石川県羽咋市「能登國一之宮氣多大社」

越中國、能登國、加賀國一之宮巡り二日目は「道の駅氷見」から能登國一之宮氣多大社を目指します。
国道415号線で県道232号線、国道249号線をひた走り、能登半島を西へ横断します。
県道249号線の「氣多大社前」の信号を右折し氣多大社まで休憩含め約1時間ほどの道のり。​​

f:id:owari-nagoya55:20210620182409j:plain氣多大社は石川県羽咋市寺家町にある神社。
何も考えず県道249号線で神社まで来てしまいましたが、ここは一ノ鳥居と二ノ鳥居の中間地点のようで、バックミラーの遥か先に一ノ鳥居が・・・・あった。
こうして見ると日本海の海岸に一ノ鳥居を構え、そこからニノ鳥居に長い参道が一直線に伸びています。

f:id:owari-nagoya55:20210620182426j:plainニノ鳥居。
駐車場は左に広大な駐車場が確保されています。
車を停め、歩いて一ノ鳥居まで向かおうとしたが、遠景だけ撮影し諦める。

f:id:owari-nagoya55:20210620182443j:plain右に「國幣大社 氣多神社」社号標。
ニノ鳥居は木造の両部鳥居、参道はここから更に続き、神門までは随分先です。

f:id:owari-nagoya55:20210620182501j:plainニノ鳥居左に由緒書き、境内見取り図。
「当大社の御祭神は大国主命(大己貴命)と申し、能登の地を開いた大神と崇められる。
創立年代は、第10代崇神天皇の御代と伝わる。
延喜の制では、名神大社に列せられる。
本殿背後、約1万坪の社叢林(入らずの森)中央の奥宮には素戔嗚命奇稲田姫命が祀られている。
伝統的な特殊神事は、新年門出式(1月11日未明)をはじめ、平国祭(3月18日~23日)、蛇の目神事(4月3日)、鵜祭り(12月16日未明)等が有名。」

f:id:owari-nagoya55:20210620182517j:plain​参道左の木々に包まれた小高い所に鎮座するのが氣多大社末社「養老大黒像奉安殿」​

f:id:owari-nagoya55:20210620182535j:plain​一間流造のシンプルな佇まい、大黒天の提灯に明かりが灯る。

f:id:owari-nagoya55:20210620182551j:plain社殿内部。
大きな厨子の扉が開けられ、にこやかに微笑む大国様が安置されています。
氣多大社の社伝に「孝元天皇の御代に大己貴命が出雲から多くの神々を率いて来降し、化鳥・大蛇を退治して海路を開いた」と云われ、氣多の「氣」はそれら神々の気に肖り付いたとか。
目が三角になる事の多いこのご時世、大黒様の表情は「少し余計な力を抜いたらどうなの」とでも言っているような。
いい表情です。

f:id:owari-nagoya55:20210620182609j:plain​参道を進みます。
背筋をピンと伸ばした狛犬と神門、左に手水舎。
写真では切れていますが参道右に社務所があります。

f:id:owari-nagoya55:20210620182627j:plain手水舎。
清水は注がれていませんでした、その代わり花手水。
常時なのかは定かではないけれど、コロナ禍にあって嬉しい計らい。

f:id:owari-nagoya55:20210620182643j:plain上を見上げて雄叫びを上げる、強そうな狛犬だ。

f:id:owari-nagoya55:20210620182704j:plain​​​​神門。
社伝に建立年代は1584年(天正12)とされ、1680年(延宝8)に補修の手が入れられている。
優雅な屋根の勾配で、派手な飾り金具を廃した​​シンプルながら、​​落ち着いた佇まいの門。​​​​

f:id:owari-nagoya55:20210620182736j:plain​拝殿
入母屋造の​
桧皮葺妻入り拝殿。

f:id:owari-nagoya55:20210620182752j:plain 建立年代は、1653年(承応2)~1654年(承応3)の建立とされ、屋根の曲線が綺麗だ。

f:id:owari-nagoya55:20210620182809j:plain​​​拝殿内
​高欄がない​縁には​​正面と左右の石段で​​上がるけれど、​​​結構な高さがあり​​​下から眺める拝殿内は写真のようになります。​​​​

f:id:owari-nagoya55:20210620182830j:plain社殿全景
左に摂社の「若宮神社」、拝殿の奥に本殿に並び、その右に摂社の「白山神社」が並びます。

訪れた3月の時期、境内を彩るのは梅、過度な装飾を廃した社殿に色を添えている。
社殿後方の深い杜は社叢林「入らずの森」、 加賀藩により保護された森は国の天然記念物に指定されているそうで、聖域の杜には奥宮が鎮座するという。

f:id:owari-nagoya55:20210620182851j:plain左の若宮神社本殿は1569年(永禄12)、能登守護大名畠山義綱により再建されたもので、檜皮葺の1間社流造りで事代主命を祀ります。

右が氣多大社の
本殿。
棟札によれば建立は1787年(天明7)といわれ、檜皮葺の3間流造りで、前後に庇が続き、正面に1間の向拝が設けられ、それらが綺麗な曲線を描き軒先に続く、両流造りと呼ばれるもので、本殿内部は外陣、中陣、内陣に分かれているという。
大国主命(大己貴命)を祀る事から縁を求め訪れる参拝客は多いという。

f:id:owari-nagoya55:20210620182912j:plain拝殿右は摂社の白山神社本殿。
3間社流造りの檜皮葺で、建立は棟札から氣多大社本殿と同年とされ、同時期に同じ大工の手により造られたようで、本殿内や外観など氣多大社本殿に準じデザインが整えられている、祭神は菊理姫命。

f:id:owari-nagoya55:20210620182930j:plain白山神社本殿と気多大社本殿。
高欄付きの縁を持ち、蟇股や木鼻にも装飾が施されている。

f:id:owari-nagoya55:20210620182952j:plain神庫。
本殿域一番右にある方型の校倉造の建物で、建立は本殿と同時期の1787年(天明7)とされ、宝倉として呼ばれていたようです。
校倉造、久しく見ていなかったような気がする。

f:id:owari-nagoya55:20210620183014j:plain揚田神社
神庫から右に進むと参道脇に杜の入口に鳥居が建っている。
ここから先は聖域で立ち入ることは許されない、奥宮まで続くのだろうか。

f:id:owari-nagoya55:20210620183035j:plain大玉神社
揚田神社から更に右に進んだ突き当りに鎮座し、石積みの台座の上の小さな狛犬が本殿を守護している、祭神は、天太玉命

f:id:owari-nagoya55:20210620183058j:plain「むすび神苑」と彫られた岩。
縁起は分からないけれど小石を積むのが習わしの様だ。

f:id:owari-nagoya55:20210620183119j:plain菅原神社
大玉神社から右に進む参道の先にあり、菅原道真を祀る事から合格祈願などの無数の絵馬が掛けられている。

これでひと回りした事になります、神門に戻り西隣の氣多大社神宮寺「正覚院」に向かいます。

f:id:owari-nagoya55:20210620183144j:plain 神門の斜景。
角柱を用いた四脚門、屋根の勾配や木組みなど斜めから見ると美しさが増す。

f:id:owari-nagoya55:20210620183211j:plain神門からニノ鳥居方向の眺め、左が社務所

あれま、かみさんの姿がない、隣の「正覚院」へ向かったのか?
追いつかねば、正覚院はここから右の参道を進みます。

f:id:owari-nagoya55:20210620183228j:plain

能登國一之宮氣多大社​
創建 /    (伝)第8代孝元天皇の御代、または第10代崇神天皇年間とも
主祭神 / 大己貴命
境内摂社 /   若宮神社(事代主命)、白山神社(菊理姫命)
境内末社 /   養老大黒像奉安殿(大黒天)、揚田神社(荒御魂神)、大玉神社(天太玉命)、菅原神社(菅原道真)
所在地 / 石川県羽咋市寺家町ク1  


「道の駅氷見」から車アクセス /  国道415号線で西へ県道232号線国道249号線氣田大社前を右折
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