稲置街道を行く 「針綱神社」

以前掲載した稲置街道の本町道り。
目的だったビールと食を堪能し犬山城方向を目指す。

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背後に犬山城と通りの突き当りに大きな鳥居、最終目的地としていた針綱神社も間もなくだ。

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針綱神社一ノ鳥居から境内全景
右に「尾張五社 針綱神社」の社標。
尾張五社とは、尾張藩士で国学者の天野信景(1661~1733年)が著した『尾張五社略記』に記された尾張国を代表する五つの神社とされ、現在の愛知県、岐阜県に鎮座する熱田神宮津島神社千代保稲荷神社(おちょぼさん)、尾張大國霊神社(国府宮)、針綱神社を指すと云う。

しかし、これも諸説あるようで、一之宮(真清田神社)、二之宮(大縣神社)、三之宮(熱田神宮)と国府宮と針綱神社を加えた五社、熱田神宮を外し津島神社を加えた五社等定かではないようだ。
もっとも、そうして意識し参拝してこなかっただけに少し意識してみよう。

f:id:owari-nagoya55:20210629081810j:plain一ノ鳥居からの眺め、鳥居脇に狛犬、正面に反橋があるようだ。

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鳥居右の略記
「針綱神社 鎮座地 犬山市大字犬山字北古券65-1
御祭神 尾治針名根連命(尾張氏の先祖神)、伊邪那岐命菊理姫命、大己貴命大己貴命、建筒草命、建稲種命、建多乎利命、大荒田命、尾綱根命

建立年代は不明ですが、927年(延長5)の延喜式神名帳尾張国丹羽郡「従一位針綱明神」または「正一位針綱明神」と記されている古社。

f:id:owari-nagoya55:20210629081845j:plain一ノ鳥居脇の狛犬

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反橋から手水舎。

反橋は1919年(大正8)と刻まれていた。
この傾斜、とても渡れるものじゃない、神様たげが渡れる橋だ。

f:id:owari-nagoya55:20210629081930j:plain手水舎と龍口、注ぐ先は鉢ではなく竹筒だ。
後方の赤い手水舎は隣接する三光稲荷神社のもので、針綱神社に比べると若い参拝者で賑わっていた。

f:id:owari-nagoya55:20210629081954j:plain手水舎から先は境内が一段高くなり、狛犬とニノ鳥居を構える。

f:id:owari-nagoya55:20210629082014j:plainニノ鳥居の狛犬、1915年(大正4)のもので、一ノ鳥居の狛犬に比べるとベテランのようだ。

f:id:owari-nagoya55:20210629082038j:plain参道はそこから右に曲がり石段を上り社殿に続く。
正面には複数の境内社が祀られている。

f:id:owari-nagoya55:20210629082058j:plain参道正面に鳥居を構える社は上大本町の秋葉社

f:id:owari-nagoya55:20210629082118j:plain秋葉社の右の境内末社群。
この一画に山神社、杉木霊社、造酒社、大國社、稻荷社、小栗社、御饌社、染甫社、鍛冶社、熱田社・神明社、御建宮社が祀られ、小銭消費ゾーン。

f:id:owari-nagoya55:20210629082141j:plain秋葉社左の境内。
ここから左に進めば隣接する三光稲荷神社、石段を上りまっすぐ進めば犬山城

f:id:owari-nagoya55:20210629082204j:plain秋葉神社の左に鎮座する市神社、あまり聞きなれないけれど、どうやら津島神社の祭神を祀るようだ。

f:id:owari-nagoya55:20210629082225j:plain金比羅神社

f:id:owari-nagoya55:20210629082306j:plain多賀神社、この社以外は南方向を向いて鎮座するけれど、この一社だけが東を向いて祀られている。

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境内右の末社群を秋葉神社方向に眺める。

f:id:owari-nagoya55:20210629082424j:plain末社群の左に鳥居を構える針綱天満宮
多くの境内社があるけれど、創建時期などは分からなかった。

f:id:owari-nagoya55:20210629082449j:plain針綱天満宮の右に三ノ鳥居、その先は本殿方向に石段が続きます。

f:id:owari-nagoya55:20210629082512j:plain針綱神社拝殿と右に八幡社。
「針綱神社の犬
天文6年(1537年)、信長公の叔父、織田信康公が自ら木の犬を彫り当神社に延命長寿、安産を祈願した。
その犬は誠に素朴で良い出来とは言えないが大きな陽物をつけているのが特徴である。
その犬を模して古くから子犬は織田広近(信康の4代前)を模して彫ったとも云われる。
この広近は信康が犬山城を築く68年前の文明元年(1469年)夏、犬山の木ノ下の地に初めて城を築いた人で、非常に活動力の優れた人であったと云う。
この旺盛な力が商売と結びつき、商売繁盛の守護犬として商家に人気があったと云われる。
又、一説には、犬の特徴にちなみ神社に祈願すると良い殿御に巡り逢えるとか。
下半身の病を思わないとか。
犬は安産故、安産、子授、縁結びの守護犬として若い女性に人気があり、厳かに授けられたものと伝えられています。
命の神としても有名で戦のある度、出征する兵士、家族の参拝が後を絶たなかった。」
(針綱神社栞より)

f:id:owari-nagoya55:20210629082536j:plainこれが約500年前に奉納されたと云う「木彫りの犬」(写真は栞から引用)

f:id:owari-nagoya55:20210629082603j:plain神紋は三つ巴。
下は拝殿に掲げられた扁額。

f:id:owari-nagoya55:20210629082625j:plain針綱神社社殿全景。
「御由緒 当神社は延喜式神明帳所蔵の式内社で本国貞治本に従一位針綱明神又元亀本には正一位針綱明神とあり、太古よりこの犬山の峯に鎮座させれ、東海鎮護、水産拓殖、五穀豊穣、厄除、安産、長命の神として古来より神威顕著にして士農工商の崇敬殊に厚く白山大明神と称えられる濃尾の総鎮守でありました。
中古織田信康公、市内木の下城を社地に移築せんと後奈良天皇の宣旨を蒙り、天文6年(1537年)8月28日、白山平(お城の東方にあるお山)に遷座し奉った。
爾后69年を経た慶長11年(1606年)4月8日更に市内名栗町に遷座し奉り、城主成瀬氏代々の祈願所でありました。
明治維新の後、同15年(1882年)9月28日名栗町の座地より天文6年(1537年)迄座地であった現在地に御遷座になり、戦前は県社とし戦後は宗教法人針綱神社(尾張五社のひとつ)として近隣の崇敬を集める。」

f:id:owari-nagoya55:20210629082646j:plain上、白馬
本殿西側に祀るこの白馬は古くから子供の守り神として霊験あらたかと云われ、お馬さんにお供えした豆を頂くと歯ぎしり、ひきつけが治ると伝えられおり、願い事の叶うお馬さんとして信仰されている。
下、愛宕
燈籠は1829年(文政12)のもので竿には子孫の福を願った銘文が刻まれている。

f:id:owari-nagoya55:20210629082708j:plainニノ鳥居から本町通を振り返る、人の流れは三光稲荷神社に向かう姿が大半でした。
訪れたのは3月9日、この時期は境内の梅と木曽川沿いの河津桜が見頃だった。
 

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 針綱神社
創建 / 不明
祭神 / 尾治針名根連命、伊邪那岐命菊理姫命、大己貴命大己貴命、建筒草命、建稲種命、建多乎利命、大荒田命、尾綱根命
境内社 / 秋葉社、山神社、杉木霊社、造酒社、大國社、稻荷社、小栗社、御饌社、染甫社、鍛冶社、熱田社・神明社、御建宮社、石神社、金比羅神社、多賀神社、針綱天満宮、八幡社、愛宕
所在地 / ​犬山市大字犬山字北古券65-1
公共交通機関アクセス / 名鉄小牧線犬山遊園駅」から​西に徒歩15分程
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