「八幡社」 春日井市松新町

春日井市松新町5丁目「八幡社」

以前は春日井市松河戸の一部だったが、1948年(昭和23)に現在の春日井市松新町として成立した町。
神社の鎮座する場所はJR中央線勝川駅から南東、徒歩3分程の場所にある。
周囲は西に駐車場、北にJRの高架が続き、それ以外は余裕を持って住宅が立ち並ぶ。
名古屋市内に比べると随分と空間に余裕が感じられる。
それほど縁のある場所ではないけれど、過去の記憶とは程遠く随分綺麗な街並みだ。

f:id:owari-nagoya55:20210703184834j:plain写真は八幡社の南東角からの眺め。
右手の建物は社地に立つ松新集会所、社頭はその西になります。
空の広い街並みが広がる一帯にあって、今では目立つ存在になった杜が残っています。
すぐ西には松新公園もあり、子供らの遊び場には事欠かない、境内を冒険する事もなさそうだ。

f:id:owari-nagoya55:20210703184851j:plain上は1891年頃の当地、下街道沿いに集落ができ、古くから人が住み農業が営まれてきた。
神社は下街道の南に位置しています。
松新の「八幡社」の創建は古く、1799年(寛政11)にまで遡るという。
創建以来200年以上この地の移り変わりを見てきた神社で、松新町の氏神様として代々受け継がれてきた。

f:id:owari-nagoya55:20210703184912j:plain社頭から境内の眺め。
こんもりとした杜に包まれた南北に長い社地を持ち、石の神明鳥居と右に社号標「八幡社」が建つ。
なんだろう、よく街中で見かける、民家に囲われて肩身の狭そうな佇まいとは違う。
隣が駐車場という事もあるのだろう、何か解放感を感じる趣だ。

f:id:owari-nagoya55:20210703184929j:plain鳥居の先にはコンクリートの蕃塀があり、拝殿から先の様子は蕃塀がしっかりと目隠ししている。

f:id:owari-nagoya55:20210703184947j:plain蕃塀先から拝殿と本殿方向の眺め。
右手の建物はよくわからないが祭礼で使う備品倉庫だろうか。

f:id:owari-nagoya55:20210703185005j:plain境内右からの眺め。
拝殿前で小ぶりな狛犬が拝殿、本殿を守護しています。
左奥に見慣れない塔のようなものがある。

f:id:owari-nagoya55:20210703185021j:plain1918年(大正7)奉納の狛犬、変に彩色されていないので個人的には好きなタイプ。

f:id:owari-nagoya55:20210703185038j:plain拝殿
四方吹き抜けで瓦葺の妻入り拝殿。
外観は派手な飾りを廃した素朴なもので、それが軒下の彫を引き立たせている。
見落としているかもしれないけれど、扁額は掛けられていなかった。

f:id:owari-nagoya55:20210703185058j:plain拝殿から本殿の眺め。
祭神は応神天皇菊理姫之命、須佐之男命、大山津見之命とされ、末社として昭和18年に町内の戦死者を祀る碑がある。
2006年(平成18)伽藍の改修が行われているようで、朽ちてしまい痛々しい姿はありません。

では参拝させて頂きます。
最近どこに行っても鈴紐は下がっていないことが多い、ここも例外ではない。
存在に気が付いて頂けているのか、近頃拍手をやたら強く打つ習慣になった気がする。

f:id:owari-nagoya55:20210703185115j:plain本殿全景
丸い石を積み上げて盛られた本殿域は玉垣で囲われ、神明造の社が祀られている。
鰹木は五本で千木の削ぎは水平です。

本殿右の巨木、しっかり見なかったけれどこの木肌から恐らく楠か、その枝ぶりのいいこと。
本殿域の上を覆うような勢いがある、比較的広い境内、好きなように成長させ、町のシンボルツリーとしてありかもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20210703185131j:plain気になっていた塔、どうやらこれは以前の玉垣を積んだものだろうか。
町の氏神様はそこに住む氏子たちあってなんぼのもの、過去の先人の志を大切に残していく、この町の思いが伝わってくる。

神社はその町の住民同士の結びつきにも重要な役割をもっているようだ。
我が町からとうの昔に消えてしまったものだ。
2021/5/22
八幡社
創建 /   1799年(寛政11)
祭神 /   品陀和気命(応神天皇)
所在地 /   ​春日井市松新町5
公共交通機関アクセス /   JR中央線勝川駅下車、南口から徒歩数分、杜が目印。