戸隠神社 中社

戸隠神社「中社」

キャンプ地の戸隠イースタンキャンプ場から奥社方面に県道36号線を走る事10分程。
 

f:id:owari-nagoya55:20210808191659j:plain下り坂の途中左側に写真の鳥居が見えてきます、鳥居の前が戸隠神社中社西参道駐車場。
中社に一番近い無料駐車場で、駐車台数は限られているけれど運試しにここまで走っても損はない。
車を降りれば西参道の大鳥居から石段を上る事無く拝殿に繋がっています。
お歳を召された方が見える場合はお勧めの駐車場。
 

f:id:owari-nagoya55:20210808191728j:plain西参道の大鳥居の手水舎。
 

f:id:owari-nagoya55:20210808191753j:plain手水舎脇の中社境内案内図。
キャンプ場からは図の左から来たことになります。
戸隠山の麓に鎮座する奥社、中社、宝光社、九頭龍社、火之御子社の五社を参拝する事を戸隠五社巡りと呼びます。
先に参拝した奥社では奥社と九頭龍社の二社が参拝ができたので、ここ中社で三社目となります。
ここから徒歩で一旦県道に出て坂を少し下り、図の下側にある大鳥居を目指します。
 

f:id:owari-nagoya55:20210808191820j:plain県道から見る大鳥居。
この辺りは大門通りと呼び、嘗ての宿坊や蕎麦屋、バス停などがあり、中社の門前町
鳥居の左右と鳥居の先に3本の大きな杉が72㍍の間隔で三角の配置で聳えています。
年輪を重ねたこの杉は「三本杉」と呼ばれ、樹齢は800年とも云われます。

鳥居右手の石垣の先には五斎神社が鎮座し、こちらには諏訪社や宣澄社などありますが後日掲載します。
まずは中社参拝です。
 

f:id:owari-nagoya55:20210808191848j:plain遠目にコンクリート造りの明神鳥居に見えていましたが、ここまできて木造である事が分かりました。
立派な鳥居です、ここから拝殿までは二つの石段が続きます。
 

f:id:owari-nagoya55:20210808191912j:plain狛犬が守護する石段の先に見える大きな杉は三本杉のひとつ。
 

f:id:owari-nagoya55:20210808191936j:plain石段を上る参拝者を見下ろすように聳える杉の巨木、三本が寄り添うように聳えているのでこれが「三本杉」と思われるかもしれませんが、これはその中の一本。
 

f:id:owari-nagoya55:20210808192004j:plainご神木として崇められ、石段途中から見上げるこの巨木の姿は、人では計り知れない自然の不思議な力が宿っている、そう感じてしまう。
 

f:id:owari-nagoya55:20210808192050j:plain最初の石段を上りきると視界は開け、神橋の先の右に手水舎があり、正面は拝殿に続く最後の石段。
左には女坂があり、西参道に繋がっています。
 

f:id:owari-nagoya55:20210808192117j:plain手水舎と左の赤い覆屋は日吉社、後方が五斎神社。
 

f:id:owari-nagoya55:20210808192143j:plainここから左の女坂を進むか、まっすぐに続く石段を上るか分かれ道です。
拝殿が顔を見せています。
 

f:id:owari-nagoya55:20210808192207j:plain最後の石段を上ると境内が広がり、その境内を守護するのが彼ら。

手前の阿形は角が付き、吽形は宝珠を付け、特徴的な横長の顔と伏せ耳。
たて髪は平面的に表し、尻尾は柔らかな曲線で彫られた素朴な容姿。
 

f:id:owari-nagoya55:20210808192234j:plain拝殿、入母屋の唐破風向拝を持つ落ち着いた佇まい。
右手にさざれ滝と境内右に青龍殿がある。
茅の輪が置かれた光景、今年も一つの節目を迎えた事を実感させられる風物詩。
流行病が広がり、強烈な暑さが続く夏、歳と共に夏を乗り切る体力に自信がなくなってくる。
 

f:id:owari-nagoya55:20210808192259j:plainここは回るしかあるまい、「祓え給へ、清め給へ、守り給へ、幸へ給え」
 

f:id:owari-nagoya55:20210808192330j:plain朝もやに包まれた中社拝殿、訪れるなら早朝がいい。
 

f:id:owari-nagoya55:20210808192356j:plain天手力雄命が投げ飛ばした戸の一部が山にあたり戸隠山になったと伝わり、戸隠神社御神体戸隠山を中心に発達し、創建以来二千年余りの歴史を刻む神社です。

平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場で、神仏習合のころは「戸隠山顕光寺」と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山高野山と共に「三千坊三山」と言われるほど栄えたという。大鳥居周辺の20軒ほどの宿は宿坊の名残を感じさせる。

江戸時代には徳川家康から厚遇を受け、一千石の朱印状を賜り、東叡山寛永寺の末寺になるなど、修験道場の場から、農業、水の神として崇められてきました。
やがて明治の神仏分離で寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社に名前を変えて現在に至ります。
 

f:id:owari-nagoya55:20210808192427j:plain神社の栞には下の様に書かれています。
古事記日本書紀に次ぐ古典「旧事記」によると、第八代孝元天皇5年(前210年)に、天手力雄命が奥社の地に鎮まられました。
その後、康平元年(1058年)宝光社に、さらに30年を経て中社に現在の御祭神が分祀奉斎されました。
平安時代には既に天下に知られた修験の名所となっていた事が「染慶秘抄」(治承2年1178)に記されています。」

祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
天の岩戸を開けるために神楽を創案したとされる知恵の神。

拝所の奥では太々神楽が奉納されるようで、運が良ければ稽古する姿が見られるようです。
社紋は鎌卍(かままんじ)で、この奥の天井に狩野派絵師、河鍋暁斎が描いた「龍の天井絵」があると聞いたが、ここからではその姿は拝めなかった。
 

f:id:owari-nagoya55:20210808192456j:plain拝殿右奥の「さざれ滝」
 

f:id:owari-nagoya55:20210808192524j:plain

戸隠山から湧き出た水がここで小さな滝となり境内を流れ下っていきます。
そんな姿から崇敬されるようになったのかも知れない、瀧がもたらす清涼感は有難い。

正面に石垣が積まれ、その上段に幾つかの石塔があります、この一画は「さざれ滝」よりこちらのためにあるような気がしてならない、詳細は不明。
 

f:id:owari-nagoya55:20210808192602j:plain拝殿左に社務所と授与所、写真の奥に向かえば女坂、西鳥居に続きます。
これから向かう無人の宝光社、火之御子社の御朱印はこちらで頂くことになります。
なので宝光社、火之御子社を参拝し、中社を参拝するといいかもしれない。
かみさんは中社をスルーして既に神道を進み始めました。
参拝客がいない早い時間だったので、人が写り込まない中社拝殿を写真に収め、追いつかなければ。
クマ除けの鈴は自分がぶら下げ、彼女は持っていない。
 

f:id:owari-nagoya55:20210808192638j:plain戸隠神社 中社
創建 / 不明
御祭神 天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
所在地 / ​長野県長野市戸隠中社
公共交通機関アクセス / JR長野駅から戸隠キャンプ場行きバス(約1時間~1時間10分)、中社宮前バス停下車

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