名古屋市南区 『白水神社』

名古屋市南区白水町「白水神社」

f:id:owari-nagoya55:20210826112627j:plain上の地図、左は1938年(昭和13)頃の当地で周囲は現在ほど宅地整備が進んでいない。
この辺りは二つの河川に挟まれ、新田開発により陸地を海に広げて誕生した町。
当時はまだ西に少し行けば海岸線で大江川や天白川の河口も近く付近には貯木場も身近にあった。 
この地が急速に変貌を遂げる要因になったのは、1937年(昭和12)大同特殊鋼星崎工場の誕生と共に始まったと云っても過言ではない。
当時はまだ南区鳴尾町の一部で現在の白水町に変更になったのが1948年(昭和23)だという。

f:id:owari-nagoya55:20210826112652j:plain白水神社から南の大同病院方向の眺め、その前を左右に伸びるのが県道36号線、ここから少し東には南北に国道247号線が伸びている。
渋滞の要因だった名鉄常滑線も高架となり随分と道路事情が良くなり、新しい住宅も目立ち街並みも変わってきた。

f:id:owari-nagoya55:20210826112712j:plain白水町の名の由来は当時この辺りには、きれいな用水や小川が流れていたことに由来するという。
なんとも綺麗な町名だこと、そんな白水町は過去に大きな災害に見舞われ多くの人命が失われています。
1959年(昭和34)9月26日にこの地域を襲った台風15号、全国に死者・行方不明者5098名出す大災害を引き起こし、「伊勢湾台風」と呼ばれています。

台風の被害が特に激しかった南区白水地区では、死者・行方不明者1417人の方々が犠牲となり、その大きな引き金になったのは高潮により貯木場の木々が流され被害を拡大させた。

現在の街並みや強固な河川堤防から、そうした事は想像もできないかもしれませんが、それを語り継ぐ慰霊碑や海抜標識が目に留まります。
この白水町辺りでは海抜がマイナスの所も存在する。
白水町となり住居も住民も増えるにつれ、地域の守り神として迎えたのが白水神社。
伊勢湾台風では神社も当然被災しているはずです。

f:id:owari-nagoya55:20210826112733j:plain上は白水町周辺のハザードマップ、赤丸で囲った部分が白水神社周辺、周囲に比べ水が集まる地域。
当時に比べ強固な堤防や揚水施設も充実し環境は改善されているとは言え、近頃の気象は明らかに異常。
こうしたハザードマップに目を通しても損はない。

f:id:owari-nagoya55:20210826112752j:plain白水神社は大同病院から県道36号線を挟んだ北側の住宅街の中に鎮座します。
この広場、遊具等見当たらないけれど「白住どんぐりひろば」という事です。
柵に囲われた広場の西部分の一部を更に囲って本殿が祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20210826112811j:plain白住どんぐりひろば北側から白水神社の眺め。
境内へはこの北側から入る事になります。

f:id:owari-nagoya55:20210826112831j:plain西を背に板宮造りの本殿が鎮座し、左右に常夜灯はあるものの、狛犬や社標、由緒等の案内し見当たりません。

f:id:owari-nagoya55:20210826112851j:plain小さな神門の先に白水神社本殿。
本殿と木製の常夜灯、その前の小さな神門が良く合っている。

f:id:owari-nagoya55:20210826112911j:plain参拝は終えたものの、どなたが祀られているのかが分かっていない。
新たな町の神様と考えれば、秋葉社か熱田社、或いは津島社あたりかと思いますが、社名札、御神札が見えないのではっきりできない。

f:id:owari-nagoya55:20210826112929j:plain本殿。
木鼻には象、蟇股には龍の彫が施されている。

f:id:owari-nagoya55:20210826113004j:plainどんぐり広場南側から見る本殿に朝陽が差し込む。

過去に絶望的な自然災害を経験した白水町。
ここに人々が寄り添い発展を続ける限り、心の拠り所として神様は絶えることはない。
2021/08/22

白水神社
創建 / 不明
祭神 / 不明
所在地 / ​名古屋市南区白水町36-196  
公共交通機関アクセス / 名鉄常滑線「柴田」駅から北へ徒歩10分程