宮本武蔵の遺品や菅原道真の自画像を所蔵する「笠寺天満宮東光院」

笠寺観音として馴染みのある天林山笠覆寺(りゅうふくじ)。
仁王門前を東西に延びる旧東海道を横切り、正面の細い路地を2~3分ほど南へ歩いて行きます。
やがて左側に石垣で一段高く盛られ、濃い緑に包まれた一画が笠寺天満宮東光院
通りの白い幟がなければ、寺の存在は分かり難いかもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20210830104105j:plain通りから北を見ています。
真正面に笠寺観音仁王門、左手前が秋葉神社
今回の目的地東光院は右側の白い幟の立つ一画。
この道、道幅が狭く対面通行なので幅寄せや、進路を譲るのが苦手な向きにはお勧めしません。
駐車場は寺の北方向の少し離れたところにあります。

f:id:owari-nagoya55:20210830104125j:plain上は尾張名所図会から天林山笠覆寺の絵図に手を加えて見たもの。
左が笠覆寺で右の黄色の丸部分が笠寺天満宮東光院にあたり、東光院の右下の水色が仁王池。
こうして見ると東光院の通りが門前通りの様に見えてくる、そして仁王池(現在はない)の名も意味あり気だ。
東光院が鎮座する当たりの現在の町名は上新町ですが、秋葉神社のあたりは大門に変わり、仁王と大門のワードからこの辺りに以前は門が存在していたのかも知れない。
茶色に塗った街道沿いには笠覆寺塔頭寺院や宿坊が建ちならぶ。

笠覆寺の始まりは733年(天平5)の天林山小松寺から始まり、幾度も盛衰を繰り返し、930年(延長8)藤原兼平が再建、36坊をつくり名を笠覆寺と改めた。東光院笠覆寺の坊の一つとして創建されています。
笠覆寺はその後も盛衰を重ね、1238年(嘉禎4)に12坊を再興、江戸期には6坊となり、明治に入り独立した寺院として現在に至っている。
神仏習合の名残が色濃く残り、目的の笠寺天満宮東光院の本堂(庫裏)左に鎮座しています。

f:id:owari-nagoya55:20210830104146j:plain東光院山門全景。
出世神酒天満宮書かれた幟が目立つ。
山門をくぐり、まっすく進むと方丈に至ります。

f:id:owari-nagoya55:20210830104208j:plain東光院山号を天林山と称し真言宗智山派の寺院で、不動明王を本尊とします。
創建は定かではありませんが、笠覆寺塔頭寺院という事からかなりの古刹。

f:id:owari-nagoya55:20210830104224j:plain

山門右の袖壁に案内板。
笠覆寺塔頭として創立され1536年(天文5)に再興され今日に至る。
本尊の不動明王伝教大師の作と伝えられ、元々は紀州熊野新宮の本尊。
縁あって1651年(慶安3)に東光院本尊として伝来、厄除け満願不動として崇敬される。
境内に一堂あり、往古当地寺部の城主山口半左エ門所蔵されていたが、豊臣秀吉より東光院に授かる。
お酒を供えると顔面紅くなる言い伝えから「出世神酒天神」として信仰が厚く、尾張徳川家代々崇敬特に厚く、葵紋の御札筥等を寄付されている。
近年学問の神さまとして、学業上達・入試合格祈願の参詣が多い。
また、宮本武蔵が当寺に一時滞在、天満宮に帰依する遺品が現存する、その為、武士道上達・技術上達祈願のご利益多し。
他に源範頼の由緒あり」

範頼の由緒とは
源頼朝の父義朝と平家との戦い「平治の乱」で負け戦となり、義朝は討たれ、頼朝は伊豆國に流されます。戦に参戦しなかった範頼は縁故を辿って一時東光院に隠れ住んでいたとされる。

f:id:owari-nagoya55:20210830104249j:plain東光院が所蔵する宮本武蔵の遺品とは「宮本武蔵自筆の書」、「武蔵画像」、「自作木刀」が所蔵されているようですが現在は一般公開されていないようです。
公開されていないと逆に調べたいもの、「​南区と宮本武蔵のかかわり​」で画像付きで紹介されていました。

f:id:owari-nagoya55:20210830104316j:plain山門をくぐり左に参道が続きその先に見える寄棟の堂が「笠寺天満宮
堂の右に見えている建物は東光院本堂で更に右に方丈。

f:id:owari-nagoya55:20210830104334j:plain参道左に手水鉢
自信はないけれど元号天保と刻まれている様に見えます。

f:id:owari-nagoya55:20210830104350j:plain笠寺天満宮全景
笠寺天満宮の建立年代は定かではない、菅原道真自筆の肖像画を所蔵するとされる。
由緒に星崎城(現在の笠寺小学校)城主、山口半左衛門重勝が所蔵していたものが秀吉、そして東光院に授かるとあるので、創建は室町後期から安土桃山時代なのだろう。

堂の外観はシックな色合いで落ち着いた佇まいをしている、細部の劣化、特に縁などに随分傷みが来ている。

f:id:owari-nagoya55:20210830104412j:plain笠寺天満宮
後方が東光院本堂。

f:id:owari-nagoya55:20210830104428j:plain堂に掲げられた額は「天満宮」とある、額の形がひょうたんに見えなくもない。

f:id:owari-nagoya55:20210830104452j:plain堂内、中央に「天満宮」の額が掛けられ、金色の厨子豊臣秀吉から授かった菅原道真肖像画「出世お神酒天神」を所蔵するようで、厨子の前には小さな狛犬(獅子?)が安置されている。
左には弘法大師の姿もある。

f:id:owari-nagoya55:20210830104509j:plain堂の右に石標がありますが文字は読めませんでした。

f:id:owari-nagoya55:20210830104525j:plain左が笠寺天満宮社標(昭和3年健之) 。
右は山門から真っすぐ参道を進んだ先に立つ石標(詳細不明)。

f:id:owari-nagoya55:20210830104545j:plain本堂左と方丈入口。
参拝時の境内は樹々に包まれ建物の全景は捉えにくい状態でした。
恐らく切妻のようで、南区の案内には江戸中期(1650年頃~1750年)の建立とあった。
こちらに範頼や武蔵が身を寄せた。

f:id:owari-nagoya55:20210830104605j:plain寺号標は昭和9年と健之とあった。
寺町の名残を感じる細い通り、今や住宅が立ち並び絵図の面影は皆無です。
こんもりとした緑に包まれた一画だけは別世界のようにも感じる。

通りに戻れば強烈な日差しと暑さが襲ってくる、目の前の秋葉神社を参拝して引き揚げよう。
2021/8/27

東光院
山号 / 天林山
宗派 / 真言宗智山派
創建 / 不明
本尊 / 不動明王

笠寺天満宮
創建 / 不明
祭神 / 管原道真
所在地 / 名古屋市南区笠寺町上新町47
公共交通機関アクセス / 名鉄名古屋本線「本笠寺」降車、東へ徒歩10分程
関連記事 / 

owari-nagoya55.hatenablog.com

 、 

owari-nagoya55.hatenablog.com

owari-nagoya55.hatenablog.com

owari-nagoya55.hatenablog.com