「秋葉神社」東海市名和町

名鉄常滑線「名和」駅から東方向の国道247号線を右に進みます。
蓮池交差点で右に進み100㍍程進んだ左側に鎮座するのが一番畑の「秋葉社」。

f:id:owari-nagoya55:20210926105353j:plain国道247号線沿いに石垣が積まれ、その高台に社殿。
社号標は国道向きに建っていますが、社頭は国道から左に入った南西になります。
後方に見える建物は緑陽市民館で、ここに駐車場はあるけれど参拝目的で駐車出来るかは分からない。

f:id:owari-nagoya55:20210926105411j:plain国道247号線聚楽園(常滑街道)方向の眺め。
流れの悪い道路の印象が強かったこの道も、県道55号線の整備により随分と表情を変えた。

f:id:owari-nagoya55:20210926105426j:plain一番畑の「秋葉社」社頭全景。
社頭に社標はなく、常夜灯は東向きに建っていて、拝殿は境内左側にある。
不思議な配置だ。

f:id:owari-nagoya55:20210926105443j:plain緑陽市民館側から社地の眺め。
こちら側に社頭があった名残はないようだ。

f:id:owari-nagoya55:20210926105459j:plain上は1920年頃の当地、左がほぼ現在。
県道もなく、氷上姉子神社から続く半田街道もここから少し南で常滑街道にも繋がっている。
秋葉神社鎮座地は新田の南外れで、名和村の北外れにあたり、当時の地図にも鳥居が記されている。
一時期は一番畑と呼ばれていた事もあるが、随分と農地は姿を消し「畑」の印象は薄くなってきた。
古くから村を守ってきた火伏の神なのだろう。

f:id:owari-nagoya55:20210926105517j:plain境内へ
右手の手水鉢の元号は文化二まで読み取れる、文化二十年はないので1805年(文化2)に奉納されたものと思われます
。古くから鎮座するようです。
尾張名所図会、尾張史など一通り目を通してみたが、創建や由緒に繋がる明確な記述は見つからなかった。

f:id:owari-nagoya55:20210926105538j:plain参道は境内に入り直ぐに左に折れ、手前に常夜灯、その先に狛犬が一対、南西向きに拝殿が建つ。

f:id:owari-nagoya55:20210926105556j:plain常夜灯は左が秋葉山、右が天満宮と刻まれている、どちらも元号は不明。

f:id:owari-nagoya55:20210926105613j:plain狛犬も台座に刻まれた元号は〇〇4年としか読み取れなかった。
狛犬は彩色されていないもので、垂れ耳の胸板が厚いフォルムのもの。

f:id:owari-nagoya55:20210926105631j:plain入母屋瓦葺で妻入りの拝殿。正面と本殿側は格子扉。

f:id:owari-nagoya55:20210926105647j:plain拝殿から本殿域の眺め、創建や由緒に繋がる額は見当たらなかった。
格子の向こうに見える本殿域には複数の社が祀られているようです。

f:id:owari-nagoya55:20210926105703j:plain本殿域を囲う板塀は拝殿と一体になっているようで、本殿域には神木と思われる二本の大きなイチョウの樹が聳えている。火伏にイチョウは外せない。

境内右に地蔵堂が祀られている。

f:id:owari-nagoya55:20210926105718j:plain海上安全を司る青峯山の観音像のようだ。

f:id:owari-nagoya55:20210926105735j:plain拝殿奥の神殿域内。
写真左から津島社、拝殿正面に向いて左から金刀毘羅社、秋葉神社、天満社と並び右側手前の小社は塩竈社。ここをお参りすれば、ほぼなんでも叶えてくれる村の守り神。

f:id:owari-nagoya55:20210926105750j:plain国道沿いの社地に建つ頌徳碑。

f:id:owari-nagoya55:20210926105806j:plain国道沿いから見る秋葉神社
社標の向きは神社の遍歴を語っているのだろうが、知らない事ばかりだ。
2021/9/23

一番畑 「秋葉神社
創建 / 不明
主祭神 / 火之迦具土神
境内社 / 津島社、金刀毘羅社、天満社、塩竈
所在地 / ​東海市名和町蓮池44
公共交通機関アクセス / 名鉄常滑線「名和」駅下車、​南東へ徒歩5分