亀宝山 東光寺

いつ以来だろう
こんなご時世になり知多新四国八十八箇所霊場巡りも随分とご無沙汰していた。
夫婦共にワクチン接種も終え、感染防止に心がけながら久し振りに公共交通機関で巡る事にした。

f:id:owari-nagoya55:20210930093920j:plainJR金山から電車を乗り継ぎ今回の目的地の入口となる亀崎駅に降り立つ。
通勤・通学時間を避けきれず多少混んだりもしたがスムーズに到着できた。
亀崎駅まで来ると人はまばら、開放された気分に浸れる。
今回は久し振りながら10㎞越えの道中、訛った体にはきつい距離かもしれない、のんびりを心掛ける。

f:id:owari-nagoya55:20210930093939j:plain亀崎駅前の案内板。
まずは赤丸の 亀宝山 東光寺に向かう。
知多四国八十八カ所巡りの起こり
814年(弘仁5)、弘法大師が諸国行脚の途中、三河から舟路で知多半島を南下、南知多町大井聖崎から上陸し、同地医王寺と同町山海岩屋寺に滞在し、護摩修法された後、野間を経由し、陸路北上し伊勢路に向かったという。
弘法大師は知多の風景が四国に似ていることに驚いて「西浦や 東浦あり 日間賀島 篠島かけて 四国なるらん 」と詠んだそうです。
知多四国は1809年(文政7)に開創され、知多半島を一周する順路をとる弘法大師の88ヶ所霊場です。

f:id:owari-nagoya55:20210930093957j:plain駅から真っすぐ東に進み亀崎相生交差点で左に進み、国道366号線を北上、上の写真の二股を右に進みます。
その先の二股も右、緩い上り坂を上りきります。

f:id:owari-nagoya55:20210930094014j:plain坂を上りきると二股になり、右の下り坂を下っていくと上の写真のように左にスロープが現れます。
車の場合はここから境内に入れますが、運転に自信がなければ避けた方が無難かも。
歩きの私たちはこのまま坂を少し下っていきます。
左手に僅かばかりの石段が見えてきます、そこが東光院の参道。
この坂は弘法坂と呼ばれ、坂は更に下へと延び、その先は亀崎相生交差点を直進した道に繋がります。

f:id:owari-nagoya55:20210930094036j:plain石段を上ると境内が広がり、正面が本堂、右が庫裏。
幟の経つ左の建物が遍照殿、その右手前に鐘楼の伽藍。
立地は東が切り立った崖、南が緩やかに下る弘法坂、私たちの歩い来た西も緩やかに下っています。
衣浦港に向かって伸びる台地の先端になるようです。

f:id:owari-nagoya55:20210930094055j:plain境内右に控え柱が付いた手水舎、手水は休業中でした。

f:id:owari-nagoya55:20210930094110j:plain四面の方型屋根の鐘楼とその手前に赤い前掛けと帽子を被せられた複数の地蔵が並ぶ。

f:id:owari-nagoya55:20210930094126j:plain梵鐘、見た目に新しものに見える。
池の間には
左 「夕焼け小焼け」の歌詞が刻まれ。
右 弘法大師御入廷1150年を記念し1984年(昭和59)に寄進されたのがこの梵鐘のようです。

f:id:owari-nagoya55:20210930094145j:plain東光寺は 西山浄土宗のお寺で山号は亀宝山と称し、知多新四国八十八箇所霊場に所縁の深い番外札所。
1903年(明治36)、和歌山県山東光寺より寺号と本尊を移し創建されたという。
開山は実空誠感上人、開基は久田文七によるとされ、本尊は阿弥陀如来。 

写真は遍照殿(弘法堂)全景、右の建物が三体大師堂。
東光寺に訪れる前は古い建物を想像していたが、訪れて見ると比較的新しい建物でした。
1945年(昭和20)の三河地震で被災、本堂や遍照殿は倒壊。
1978年(昭和53)に本堂が再建され、
1980年(昭和55)に遍照殿の再建。
1995年(平成7)に三体大師堂再建。
2007年(平成19)本堂、納経所を改修。

古い伽藍の印象を受けないのも、地震後に再建された建物ばかりだから。
この地震がもたらした深い傷跡は東光寺だけでは収まっていないだろう、その目線で見て行く事も必要なのかもしれない。
では本堂でお参りを済ませ弘法堂へ。

f:id:owari-nagoya55:20210930094212j:plain遍照殿。
ガラス越しに内部に多くの像が安置されているのが分る。

f:id:owari-nagoya55:20210930094256j:plain遍照殿内部。
中央に厨子があり、その左右には弘法大師誕生から入定までの62年間の姿を、1年で一体に表現した62体の弘法様が鎮座している。
「年弘法」とも呼ばれ、両手、両足、口にまで筆をくわえた書の名人弘法大師の姿がある。
あの姿を見ると「弘法にも筆の誤り」と言うけれど、そりゃぁ間違えもするさと思えてくる。
一体〃見ていくと空海の人生そのもののを垣間見ることができるかも。

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遍照殿右の三体大師堂内部。
陶器製と思われる三体の大師像が安置されています。
左から厄除大師(災難除け弘法)、五鈷杵と宝剣を持つ大師像です
中央で宝珠を持つ像が日限大師(期限を区切って願う日限弘法)。
右の五鈷杵を持つ像が招福大師(福を招く弘法)。
既にかみさんはお経も唱え、納経印を手にして待ってくれています。
なんとなく足手まとい?

f:id:owari-nagoya55:20210930094514j:plain亀宝山 東光寺納経印

この時期イチョウの樹の下は銀杏でいっぱい、参道は黄色に染まっている。
境内入口の赤い灯篭、とても目立つ存在で東光寺のシンボルとでも言ってもいいかもしれない。
銀杏を踏まない様に気を付けて次の目的地に向かいます。

知多新四国八十八箇所霊場 番外
西山浄土宗 亀宝山 東光寺
宗派 / 西山浄土宗
創建 / 1903年(明治36)
本尊 / 阿弥陀如来
所在地 / 半田市亀崎月見町三丁目十四番地
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公共交通機関アクセス / JR金山➡東海道本線「大府」➡​武豊線「亀崎」➡徒歩約10分