「秋葉社」亀崎町の火伏の神

前回記載した亀崎鬼門地蔵の東にある小高い丘そのものが、半田市亀崎町4の「秋葉社

f:id:owari-nagoya55:20211017174042j:plain社頭へは一旦、仲間通りに出て潮の香り漂う通り沿いを東に進むと左手に神門が現れます。
そこから参道が続き、鳥居から先は丘の頂に向け石段が続いています。
海辺の町の神社そのものの趣がある。
かみさんには次の札所へ向かってもらい、一人で目の前の石段を上って参拝することに。

f:id:owari-nagoya55:20211017174100j:plain鳥居から参道の眺め、石の明神鳥居の右に社標があり、傍らに解説板があるようだ。
鳥居をくぐった左が手水舎のようです。

f:id:owari-nagoya55:20211017174119j:plain海辺に近い住宅の密集した一帯に、玉垣で囲われた参道がぽっかりと開けられている。

f:id:owari-nagoya55:20211017174133j:plain鳥居右の解説板
秋葉社本殿 半田市指定有形文化財(建造物)
寸法 間口110㌢、奥行き120㌢、高さ127㌢
当社の祭神は火産霊命で、例祭は11月16日。
勧請年月日は明和3年(1766年)3月と伝えられている。

本殿は天保12年(1841年)に諏訪の立川和四郎富島によって造立された入母屋妻入総欅造りの小社殿。
向拝、木鼻、組物など極めて細かい細工、彫刻が施され、富島の鋭敏な刀法を知る事が出来る。
富島の彫刻は半田市内の山車彫刻にも多く残されている」

半田市教育委員会の解説が整備されているのがありがたい。

f:id:owari-nagoya55:20211017174147j:plain上は玉垣前のケースの中に掲示されている文献。
細かい文字で一杯かかれたそれを少しだけ読んでみた。
「勧請、文化12年3月 文化3年秋葉堂として建てしもの。
祭日 11月16日 所在 大字亀崎字辻
由緒 元秋葉堂海潮院の管理だったが、明治3年神仏分離の際神社となる。
神社明細帳に文化12年(1815年)3月勧請とあるは非なり。
燈籠に天明8年(1788年)12月藤吉丸善次郎の記あり、享和4年(1804年)11月拝殿成る。
本殿を祀らずして燈籠拝殿ある理なし。
明和3年(1776年)正月「おしま火事」で東西に延焼する大火に見舞われる。
正月20日を以て秋葉堂に於て鎮火災を執行し、遠州秋葉神社に月参せり。
考えうるに其の火災を機に勧請したとすれば、創建が明和3年(1766年)なのは疑なし・・・・・」
と続き、更に稲荷社について記述がある。
「稲荷社」
祭神 倉稲魂、猿田彦命、大宮女命
勧請年月不詳
元は海潮院の管理だったが、神仏分離により明治3年、伏見稲荷の分霊を奉じ祭神とした」

秋葉社の燈籠寄進年度から創建年度について考察がいろいろ書かれている。
ここは教育委員会の由緒を引用しよう。

f:id:owari-nagoya55:20211017174204j:plain亀崎は「お志ま火事」と「里火事」の二つの大火に見舞われているようだ。
それを機に秋葉社を勧請し、以来この町から大火は起きていないという。正にこの地の火伏の神である。
亀崎には複数の山車が受け継がれ、山車の保管庫をあちらこちらで見受けられる。

f:id:owari-nagoya55:20211017174220j:plain80段ほどの石段は、気持ちいいくらいに真っすぐ上に続いています。
下からではその先にある社殿の屋根の一部が見える程度。

f:id:owari-nagoya55:20211017174237j:plain正に一直線。
傾斜はさほどではないし、手摺もしっかり整備されている。

f:id:owari-nagoya55:20211017174304j:plain漸く社殿が全貌を現す。

f:id:owari-nagoya55:20211017174321j:plain境内全景。
正面が秋葉社の拝殿、左が稲荷社の伽藍。

f:id:owari-nagoya55:20211017174336j:plain瓦葺の切妻屋根の平入拝殿はさほど大きくないけれど、外観は唐破風により見た目より大きく立派な印象を感じる。

f:id:owari-nagoya55:20211017174353j:plain大きな額は「正一位秋葉大権現」と記され、瓦にはもみじの紋が施されている。
中の様子を窺うことは出来ない。
勧請年月日は明和3年(1766年)と伝えられている。
御祭神は火産霊命。
例祭は11月16日。

f:id:owari-nagoya55:20211017174411j:plain秋葉社左の稲荷社。
切妻瓦葺で妻入りの堂は向拝が付く。
鳥居前に一対の狛狐

f:id:owari-nagoya55:20211017174427j:plain狐達の姿は健康的な容姿。痩せこけた悲壮感が漂うものではない。

f:id:owari-nagoya55:20211017174442j:plain稲荷社拝殿内
祭神 倉稲魂、猿田彦命、大宮女命
勧請年月不詳

f:id:owari-nagoya55:20211017174502j:plain稲荷社拝殿から境内を振り返る。
鳥居は大正12年(1923年)奉納のものだった。
この丘から海が望める南の眺めは下に港町亀崎の街並みとその先に海が広がる、なかのもの。

津波や高潮が想定される時には、ここまで駆け上れば長い歴史を持つ秋葉さんが守ってくれそうだ。

f:id:owari-nagoya55:20211017174518j:plain何を縁起でもないと思われるかもしれない、しかし仲間通りには上の写真の様に伊勢湾台風の時に浸水した水位を示す看板がたてられていた。
都合の悪い事は忘れたいものだけれど、これは紛れもない事実として風化させてはならない指標だ。

f:id:owari-nagoya55:20211017174533j:plain神社に戻ろう、社頭の解説にあった天明8年(1788年)の燈籠を探して見るも直ぐには見つけられなかった。写真は階段降り口左で見かけた石標。
解説にある写真の形態で古びた燈籠、その視線で境内を見渡してみたが見落としてしまったようです。
とはいえ、それほど長居もできない、そろそろ下りて先に進む事にする

f:id:owari-nagoya55:20211017174547j:plain秋葉社境内から見下ろす。
なかなかいい眺めです、眼下には火伏の願いを託された亀崎の街並みが広がっています。

f:id:owari-nagoya55:20211017174603j:plain嘗ての海も埋め立てられ潮干町となり、ひと昔前に比べ、間近だった海は随分と視界から遠のいた。
家々が寄り添うような亀崎の街並みも時代と共に移り変わってきたものの、一度禍が起れば今も昔も変わる事はない。
亀崎の火伏を託された秋葉さん、これからもここから見守り続ける事だろう。
2021/09/24

秋葉社
創建 / 1766年(明和3年)
祭神 / 火産霊命
例祭 / 11月16日
「稲荷社」
創建 / 不明
祭神 / 倉稲魂、猿田彦命、大宮女命

所在地 / 愛知県半田市亀崎町4-80
関連記事 / 

owari-nagoya55.hatenablog.com