秋葉社を後に仲間通り方向に向かいます。
写真は鳥居前を横切る細い生活道路、亀崎の奥まったところは「せこ道」と呼ばれるこうした細い道が細血管の様に伸びている。
車?、車体を擦る覚悟と人の飛び出しに恐れながら突っ込む事は出来るかもしれない、一方通行も進入禁止などの規制看板も無いようですが、それは必要ないからだと思います。
亀崎の町のメインストリート仲間通りから秋葉社が鎮座する小高い丘を眺める。
ここまで下りると、ここから海のある左には高い所はなく平坦な土地が続きます。
亀崎町には古くから亀崎潮干祭が受け継がれ、ユネスコ無形文化財に指定されています。
毎年5月、町内の各組が受け継いできた5両の山車が、干潮の海辺まで曳き回されそうだ。
仲間通りにはその日の出番を待つ山車を保管する保管庫が点在しています。
写真は神楽車の保管庫、現在の神楽車は1837年(天保8)のもので、古い山車は元禄~享保年間(1688~1736)に造られたという。普段は扉が閉ざされ実車が見れないのは残念だ。
こちらは力神車の保管庫、中に保管されている力神車は1826年(文政9)に造られたものだそうだ。
このほかに青龍、宮本、花王などの山車の保管庫がある。
せこ道にこの保管庫を作れないわねぇ、せこ道に車で立ち入る冒険はやめた方がいい。
そのおかげで民家が立ち並ぶ「せこ道」を歩いていてもとても静か、車の騒音からも解放され、玄関先で子供達が遊んでいても安心して見ていられる。
仲間通りを東へ道なり進み、亀崎町のほぼ中央に位置する場所に地域のお地蔵さん「半七地蔵」が安置されてています。
各家庭の外壁に祀り管理する鬼門地蔵に対し、こうした地域で世話をする地蔵地蔵もある、そうしたお堂は、せこ道や仲間通り沿いなどの公共の道に建てられているようです。
それも片隅に追いやられ建てられているとかでなく、井戸の傍であったり、道路を塞ぐように建てられていたりする。
地蔵信仰が厚いのだろうか、一帯で見かける石像の大半はお地蔵さんが多く安置されている。
仲町地蔵。
先の半七地蔵同様に仲町地蔵も地域の地蔵。
里地蔵、半七地蔵、中町地蔵など地区管理の地蔵もあれば、個人宅の鬼門封じとして祀られた鬼門地蔵など、普段の生活とお地蔵様は身近に関わりあっている。
それだけに鬼門地蔵を訪れる際はモラルを守らないといけない。
旧師崎街道に沿って北東方向に伸びる通りの光景。
黒壁の家屋が残る光景には街道の名残が漂い、一歩中に踏み入ると漁師町の風情が漂っている。
老舗の料亭や古民家を改装したカフェなどがある。
そうした町並みも、建て替え時期を迎えた家もあり、町の表情は少しずつ変わりつつある。
それと共に鬼門地蔵の数も減少しているようで、やがては姿を消してしまうのかな。
歴史ある山車や祭りを受け継いできた亀崎の町、そんなことはないだろう。
写真は仲間通りから神前神社方向の眺め。
関連記事 /