以前掲載した江南市田代町郷中の「神明社」
その中で「小折村には二つの神明社があり、それは外宮(南山神明社)と内宮(当神明社)でいづれも生駒家代々の氏神であった・・・・」としました。
今回はその外宮「南山神明社」を取り上げます。
生駒氏と所縁のある松杜天神社から県道157号線を南下、徒歩で10分もあれば県道沿いの社頭に到着する。
内宮とされる郷中の「神明社」から細い路地を南に進めば5分もかからない。
手前の県道157号線は岩倉街道(柳街道)でもあり、街道沿いに社標と常夜灯、神明鳥居が建つ。
鳥居から続く長い参道の先にニノ鳥居と社殿が見える。
参道を進みニノ鳥居の前まで来ると左右に細い小道が現れます。
社標の立つ右手を眺めれば松杜天神社が見えている。
社頭周辺には駐車場は見当たりませんでした、車の場合は久昌寺に停めて歩くことをお勧めします。
社地は玉垣がなく、多くの常夜灯が社地を囲む。
内宮にあたる郷中の「神明社」ではそれすら見かけなかっただけに、外宮は破格の扱いとみて取れる。
ニノ鳥居と社標、境内左に手水舎があり鳥居の先には石の蕃塀があり、社地は杜で囲われている。
ニノ鳥居から境内の眺め。
社頭はほぼ東を向き、拝殿、祭文殿、本殿が連なる伽藍。
瓦葺の手水舎と手水鉢。
鉢には明治廿六年(1883)と刻まれていた。
自分で境内を見渡したところ大正の年号が多い中、唯一明治の元号がこの鉢だった。
手水舎から伽藍全景。
右手に社務所(無人)と境内社が祀られている。
切妻瓦葺の四方吹き抜けの妻入拝殿。
大棟の鬼瓦には南山の文字が入る。
拝殿の妻壁に施された彫飾、左右に翼を広げた龍?が施されている。
あまり見た事がないデザインだ。彫り手の力の入れようが伝わってくる。
境内右に無人の社務所と境内社。
右から豊川稲荷、津島神社、津島社、稲荷社と祀られています。
祭文殿・本殿域は玉垣で囲まれている。
祭文殿全景。
龍神社もそうであったように、こうした形の伽藍はこの辺りで良く見られ、変化のある屋根の形や左右対称の姿は個人的に好きな形。
幣殿前の狛犬は大正生まれ。
祭文殿から本殿の眺め。
本殿両サイドの棟持ち柱がよく見え、高縁に小さな狛犬がいるようですがこれ以上は寄れない。
南山神明社の創建時期は定かではない。
生駒家広が領主としてこの地に居住するにあたり、守護神として勧請(かんじょう)した内宮が明応年間(1492~1501)と伝わることから、南山神明社の創建がこの年代より遡る事はないでしょう。
何れにしても生駒家や氏子達により受け継がれてきた長い歴史を持つ神社。
祭神は豊受大神。
本殿域側面全景、神明造の本殿はよく見えますが、周囲は高い塀で囲われ、本殿域に他の社が祀られているのか定かではありません。
鰹木は6本、千木はスパッと横に切られた内削ぎ。
県道から少し入っていることもあり、通りの喧騒は杜が遮断し静かな境内が広がっています。
役行者堂
ニノ鳥居前の小路を松杜天神社方向に進んだ境内の東外れに祀られています。
内部にはお堂建立のため寄付された方々の名が掲げられ、最後に1996年(平成8)と記されいた。
比較的新しいもののようだ。
内部には写真の役行者の石像が一体安置されていた。
行者堂の右に玉垣で囲われた一画があり日露戦戦没者慰霊碑が建てられていた。
生駒家の氏神として、内宮の郷中神明社に対し、外宮の位置づけとして祀られる南山神明社。
内宮に比べ厚遇されているような気にさせる。
南山神明社
創建 / 不明
祭神 / 豊受大神
境内社 / 豊川稲荷、津島神社、津島社、稲荷社
所在地 / 江南市田代町南出466
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