『稲荷社』名古屋市南区

名古屋市南区南野2丁目 稲荷社
県道36号線から南に一本入った三叉路の角地、住宅が広がる一画に小さな杜が残っています。

f:id:owari-nagoya55:20211105091620j:plain周囲を玉垣が囲う社地の北側に南野2丁目稲荷社の社が見えています。

f:id:owari-nagoya55:20211105091636j:plain三角形の社地は底辺を南に、頂点を北に向け、社頭は東側の道路沿いにある。
タイトな社地になっています。
南側には南野二丁目公民館があり隣接しています。
この公民館、趣に独特なものがある、まるでお堂のような造り。
南野2丁目公民館の札が掛けられていますが、恐らく以前(現在もかもしれない)は弘法堂で地域のコミュニティーの中核だったのかもしれない。
何れにしても公民館としては味のある外観だ。

f:id:owari-nagoya55:20211105091657j:plain社頭は道路から太鼓橋が架かり、その先に明神鳥居が建てられています。
左には「南区史跡散策路」の案内板とその奥に石碑が建っている。

f:id:owari-nagoya55:20211105091719j:plain碑には「福井八左衛門供養塔」とある。
現在のこの地はひと昔前は南野村で当時庄屋だったのが福井八左衛門。

以下は南区福井八左衛門(ふくいはちざえもん)の供養塔(くようとう)から引用。
「福井八左衛門供養塔
弘心寺の境内に、新田開発の遺徳をしのんで、1914年(大正3)に村人が建てました。
南野村の庄屋福井八左衛門は江戸時代、瀬戸内海の製塩業に圧倒され、当地の塩の生産に見切りをつけ、田畑、塩屋を売却して資金を作り、1757年(宝暦7)八左衛門新田開発に挑んだが、完成に至らず地頭竹腰山城守に、新田築方証文と共に返還しました。
山城守は自普請(周辺集落からの供出金)で築立てたがこれも費用がかさみ開発できず、1791年(寛政3)に御小納戸(徳川家直轄)の控となります(『尾張徇行記』)。
なお、八左弘法堂(現弘心寺)は1924年(大正13)に建てられています」
ほぼ素性が見えて来たような、因みに稲荷社の創建は1848~54年(嘉永年間)の創建だと云われているようです。
分からないのは現弘心寺、公民館は寺なのかい? 近くに寺は無かった気がする、それとも弘心寺の札を見落としているのかもしれない。今となってはもやっとしたものが残る。

f:id:owari-nagoya55:20211105091741j:plain社地北側から境内社殿の全景。
一段高く積まれた神殿域に3社が祀られているのがよく分かる。
中央の大きな社は流造、左右の社は板宮造りのようです。

f:id:owari-nagoya55:20211105091801j:plain以前はここに流れがあったのだろうか、太鼓橋を渡り1961年(昭和36)に再建された鳥居をくぐり境内へ。
左右の常夜灯は1928年(昭和3)寄進のもの。

f:id:owari-nagoya55:20211105091820j:plain上は1891年頃の南野の地図。
マーカーの位置が南野 稲荷社の鎮座地になります。
周囲はまだ水田が広がっていて、そこに八左衛門新田に導く水路が伸びています。
社頭入口の太鼓橋は単なる飾りだけではなかったのかもしれません。

f:id:owari-nagoya55:20211105091840j:plain境内左に手水鉢があるが、ここに龍はいないようだ。
今こうして見る鉢は脚の部分に拘りがあるようだ、寄進年度は確認していません。

f:id:owari-nagoya55:20211105091900j:plain参道は右に続き本殿域へ。
石積みの本殿域に更に台座が作られ、その上に社が祀られ、中央社殿の左右に狛狐が守護している。
本殿域左右に常夜灯が二対と本殿域の石積みの左右に狛狐が祀られている。

f:id:owari-nagoya55:20211105091919j:plain鳥居前の燈籠より古そうですが年代は不明。

f:id:owari-nagoya55:20211105091938j:plain本殿域左右にひっそりと佇む狛狐。
こちらも年代不明、立派な尾を持つ狐ですが随分と風化しているのか細かな輪郭は失せている。

f:id:owari-nagoya55:20211105091959j:plain南野 稲荷社参拝させてもらいます。
玉垣で囲まれた本殿域、中央の社を守護する狛狐は見慣れぬ参拝者を睨んでいるような。

f:id:owari-nagoya55:20211105092017j:plain本殿域の三社に社名札は掛けられていません。
中央は稲荷社としても左右の社は………分からない。

f:id:owari-nagoya55:20211105092038j:plain本殿域の狐の目は吊上がり、視線は鋭い。

f:id:owari-nagoya55:20211105092056j:plain稲荷社、流造で大きくはないけれど脇障子も付き彫飾りも入れられている。

f:id:owari-nagoya55:20211105092117j:plain本殿域の社殿全景。
右側にはもみじもあり、それが色付いて行くと境内も華やかになるのでは。

f:id:owari-nagoya55:20211105092138j:plain境内左の片隅に建つ八左衛門新田稲荷社境内改修碑。
1938年(昭和13)の健之で改修に貢献された多くの方々の名が刻まれている。

f:id:owari-nagoya55:20211105092158j:plainそろそろ帰ろうと境内全景を撮ろうとしていた時、地元の方が参拝に訪れた。
こうして参拝に訪れる方の姿があるのは、この稲荷社のご利益があらたかな証かも知れない。
境内も綺麗に掃き清められ、稲荷社を支える氏子の姿が見えてくるようだ。
2021/10/21

南野2丁目 稲荷社
創建 / 1848~54年(嘉永年間)
祭神 / 不明
境内社 / 本殿域に2社の不明社
所在地 / 名古屋市南区南野2丁目
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参拝者駐車場はありません。