愛知県小牧市応時『大山神明社』

小牧市南の応時4に鎮座する大山神明社

f:id:owari-nagoya55:20211112193639j:plain少し西に上街道(赤線)が通り、江戸時代は小牧宿助郷村の一つとして人や物資の往来が盛んでした。
明治に入りそれまでの北外山、南外山、北外山入鹿新田が合併し外山村となる。
1891年の地図の中で大山神明社は既に記載されている。

f:id:owari-nagoya55:20211112193728j:plain名鉄小牧線から県道25号線を東方向へ歩いて5分程の県道沿い、緑豊かな杜に包まれ鎮座するのが大山神明社
境内西に隣接するように公園があり、周囲は玉垣やフェンスが囲い子供らを遊ばせるには絶好かもしれない。
県道の歩道には進路を塞ぐように太い幹の樹が聳えている、神社の杜という事もあるのだろう幹を迂回するように歩道が作られている。
自然への畏敬の念を感じる光景だ、名古屋市内であれば歩行の邪魔、やれ鳥だ、虫だと騒がれて伐採の道を辿るのは間違いない。
お子ちゃまだって当然のように境内側に回り込んで歩いていく、ここでは大先輩の巨木に人が道を譲るのだ。

f:id:owari-nagoya55:20211112193752j:plain南向きに鳥居を構える大山神明社
右に社標と鳥居の先に常夜灯があり、右側の建物は「大山会館」

f:id:owari-nagoya55:20211112193818j:plain杜に包まれた参道の先に赤い屋根の木造蕃塀と拝殿があり、奥には東西に長く石垣が積まれた神域がある。

f:id:owari-nagoya55:20211112193840j:plain蕃塀から社殿方向の眺め、強烈な日差しに本殿域の姿が飛んでしまった。
拝殿は瓦葺、妻入りの四方吹き抜けのもので2015年に修復を受けた綺麗なもの。
控え柱を持つ木造の蕃塀も腐れがある訳でもなく綺麗な状態、恐らく同時期に手が入れられたのかもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20211112193902j:plain最初にこちらの神社、由緒書きがなく、さらっと地誌など目を通したが詳細は分からなかった。

f:id:owari-nagoya55:20211112193927j:plain本殿域は玉垣で囲われ三つに区切られていた。
小さな狛犬が守護する本殿を挟んで左に御嶽神社、右に赤い屋根の小社が祀られている。

f:id:owari-nagoya55:20211112193949j:plain本殿前を守護する小さな狛犬、寄進年度まではよく分からなかった。
しかし綺麗に補修された拝殿や、灯篭の柵や手摺など氏子の方々がしっかり支えているのが伝わってくる。
氏子の方々の存在が感じられる神社は規模の大小に関わらず、参拝に訪れても心地いいものです。

f:id:owari-nagoya55:20211112194014j:plain本殿右の小社、板宮造りで大きな楠の下に祀られているが残念ながら社名までは分からない。

f:id:owari-nagoya55:20211112194039j:plain中央の本殿。
午前中の日差しは撮影には適さないかもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20211112194102j:plain鰹木が4本、千木は内削ぎ。
社標に神明社とあるので祭神は天照大御神でいいと思います。
社名札があるとうれしいなぁ。
では参拝っと。

f:id:owari-nagoya55:20211112194128j:plain本殿域の右手前に3匹の亀(?)の石像がある。
なぜ亀がいるのか?
天照大御神と云えば陽光、陽光と合いそうなのは鶏を勝手に結びつけてしまう。
意味あっての事だろう、由来が良く分からない。

願わくば由緒書きが欲しい。

f:id:owari-nagoya55:20211112194151j:plain本殿左の御嶽神社
御嶽をイメージさせる石組の神域に、先端のとがった一抱えはありそうな立派な石標が建っている。

f:id:owari-nagoya55:20211112194220j:plain拝殿から鳥居方向の眺め、杜の中に陽光が差し込む様は、天照大神をお祀りする神明社らしい光景かもしれない。

2021/10/15
大山神明社
創建 /   不明
祭神 / 天照大御神
境内社 /  不明社、御嶽神社
所在地 / ​愛知県小牧市応時4-163 
公共交通機関アクセス  /  名鉄小牧線から県道25号線を​東方向へ歩いて5分程​ ​