知多新四国霊場 五十四番札所「亀嶺山 海潮院」

知多新四国霊場 五十四番札所
亀嶺山 海潮院(半田市亀崎町)

先回掲載の「神前神社」から東に徒歩1~2分、正面の海岸沿いに国道247号線が通り、静かだった街中から交通量は多くなる。海岸が目の前で亀崎の端といってもいいかもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20211122115007j:plain知多新四国霊場 五十四番札所「亀嶺山 海潮院」は国道沿いに建っています。
よく見かける「知多新四国霊場」の幟は見当たらず、山門はありません。

f:id:owari-nagoya55:20211122115029j:plain山門がないので通りからも本堂が良く見通せます。
入口左の白壁に「知多新四国霊場 五十四番札所」の表札と右に「不許葷酒入山門」の石標、壁に「曹洞宗 海潮院」の表札が掲げられています。

f:id:owari-nagoya55:20211122115047j:plain境内の右に手水舎。

f:id:owari-nagoya55:20211122115101j:plain左に鐘楼と弘法堂。

f:id:owari-nagoya55:20211122115117j:plain入母屋瓦葺の平入で向拝が付く「本堂」と左に金比羅大権現、豊川稲荷大明神、秋葉三尺坊大権現を安置した「金比羅権現堂」右に庫裏、寺務所の伽藍。

f:id:owari-nagoya55:20211122115132j:plain本堂左に賓頭盧尊者(おびんずるさん)。
いつからここにおわすのか知る由もないけれど、多くの人々になで続けてきたのだろう。
この歳になると、もの忘れも多くなる、都合のいい「呆け」を言い訳に丸く収まっていくが、口にする本人は結構自分自身に落胆しているもので、そんな頭を撫でたいのに帽子があって撫でれない。
呆け?隣の金比羅権現堂、お参りの方が見えたので帰りでいいかと思っていたが見事に撮った気になっている自分の事だ、撫でておけば良かったか。

本堂に掲げられた「亀嶺山」の額。
曹洞宗の寺院で本尊は釈迦牟尼仏
創建は古く、室町時代中期の文明年間(1469年~1487年)、安窓全公首座により海長庵として神前神社北側の北浦に創建されたのが始まりのようで、草創開山には知多郡東浦町にある乾坤院の芝岡宗田大和尚が迎えられ、海潮院はその末寺のようだ。

f:id:owari-nagoya55:20211122115149j:plain上は「尾張名所図解」から亀崎の挿絵。
海岸には多くの船が停泊し、沖には衣浦大橋方向に向け多くの船が行き交う光景が描かれ、嘗ての亀崎は物流の拠点として賑わいを見せていたことが分かる。
その玄関先に海潮院、左には神前神社も描かれている。
随分と地形は様変わりしたが今も当時の面影は残っている。

f:id:owari-nagoya55:20211122115207j:plain弘法堂前の松の袂に白龍大神、黒龍大神を祀る社。

f:id:owari-nagoya55:20211122115223j:plain弘法堂。
こちらの弘法大師像は1899年(明治32)以前は五十四番札所として、現在は廃寺となった野間の寺に安置されていたそうです。
それが1901年(明治34)に像と共に五十四番札所として海潮院に託されといいます。
半島を横断して随分飛んできたきたものです。

f:id:owari-nagoya55:20211122115239j:plain「かめざきの かいちょういんになみしずか しゃかむにほとけのまもりゆたかに」

かみさんを待たせまくった亀崎の町から離れ、一路乙川方向に向け歩き出す。

知多新四国霊場 五十四番札所「亀嶺山 海潮院」
創建 / 文明年間(1469年~1487年)
開創 / 安窓全公首座、 開山 / 芝岡宗田大和尚
宗派 / 曹洞宗
本尊 / 釈迦如来
所在地 / 半田市亀崎町1-130
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