知多四国八十八箇所霊場 「 地蔵寺・ 長寿寺・ 圓通寺」

2019年秋から巡り始めたかみさんの知多四国八十八箇所霊場巡り、残りは5番と87、88番札所を残すのみ。
なんとか年内に一巡しておきたいと思うのは人情だよね、天候を見ながら昨日ならいいだろうという事で廻ってきました。

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本来なら88番札所でゴールとしたいけれど残った札所を考えると効率が悪い、万願寺でゴールは諦めてJR共和駅に降り立ち歩きだす、まずは五番札所地蔵寺を目指す。
ルートは上の様なルートで途中には寺社や城址がありますがいつも足手纏いになるので極力スルーした。

f:id:owari-nagoya55:20211203174317j:plain長草天神社
共和駅から南西に進み県道243号線沿いに20分程で長草天神社到着。
天神社だけに鳥居をくぐると左右に大きな撫で牛が出迎えてくれる。

創建が1494年(明応3)とされ、地頭・藤田民部の邸に祀られていた菅原道真産土神として迎えたのが始まりとされるようです。
かつて英比(あぐい)ノ庄に属し、道真の孫の菅原雅規(英比丸)も祭神として祀られている。
菅原道真を祀ることから、合格祈願に訪れる若い参拝者は多いと云う。

長草天神社では室町時代から500年以上続く「とぶろく祭」が今も引き継がれ、大府市無形民俗文化財にも指定されているそうで、毎年2月25日の直前の日曜日に開催されるそうです。
地頭の藤田民部が寄進した田の収穫米でどぶろくを造り、氏子や参拝者に振る舞ったのがとぶろく祭の起源とされています。
境内左にどぶろく酒造所があり、6つの酒元組が輪番でどぶろく醸造、「とぶろく祭」当日に1年の無病息災を祈願し参拝客に振る舞われるそうだ。…これは機会があれば来るしかないナ。

その他境内には道真が大宰府から流される時に詠んだとされる歌碑や鷽替之碑などがある。
西に隣接する地蔵寺とは江戸末期まで同じ敷地内にあり、境内西側から地蔵寺山門前に繋がっている。

長草天神社
創建 /   1494年(明応3)
祭神 / 管原道真、菅原雅規
境内社 / 津島神社、五社宮(神明社、藤井神社、田ノ神社、山ノ神社、荒神
所在地 / 大府市長草町本郷44

f:id:owari-nagoya55:20211203174335j:plain延命山地蔵寺
1573年(天正元年)に地頭・市村伝四郎が地蔵堂を建立したのが始まりとされ、1575年(天正3)に、東海市横須賀の長源寺から教岩和尚を迎えて開創されたと云われます。
東に隣接する長草天神社とは江戸末期まで同じ敷地内にあり、神仏分離により敷地が分けられましたが、山門左から長草天神社に繋がっています。
本尊の延命地蔵大菩薩は聖徳太子作と伝えられ、本堂左には寄棟瓦葺の弘法堂、その右には1939年(昭和14)に、紀元2600年の記念として高さ3.5㍍の大きな大師像が安置され、納経に訪れた巡礼者を見守る様に聳えていました。

「延命山地蔵寺
勧請 / 1573年(天正元年)
開創年 / 1575年(天正3)
開創 / 教岩玄相和尚
宗派 / 曹洞宗
本尊 / 延命地蔵大菩薩
札所 / 知多四国霊場 五番札所、くるま六地蔵 一番札所、尾州大府霊場 十六番札所
所在地 / ​大府市長草町本郷40番地

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地蔵寺から県道248号線沿いを西に、末広交差点で右に進み県道23号線を北上します。

県道は一部歩道はあるものの、大半は歩道がなく車道を歩くので車には要注意。
沿道には既に菜の花が咲き、一方では秋の実りサツマイモの収穫となんだか妙な季節感。
県道沿いの田畑が広がる風景の中に小さな地蔵堂が立っていた、右手の森には神社でもあるのだろうか。

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瑞木山圓通寺
地蔵寺から30分程で圓通寺に到着。
知多四国霊場八十八番札所の八十八番札所、寺の片隅に満願霊場の石標が建つ。
かみさんの知多四国霊場八十八カ所巡礼もここで終わりを迎える。
この後伺う八十七番札所が残っているが、ルートの関係で先に納経とした。

圓通寺は現在本堂の修復工事(新築?)中。
境内をぐるっと見て廻りたいところですが弘法堂までの参道以外は立ち入り制限がかかっています。
工事中の姿を遮るものなく見る機会はさほどなく、丁度瓦を葺いている光景を見ることが出来た。
建替なのだろう、屋根のみならず木造の真新しい素材が輝いていた、二巡目には工事も終わり新しくなった姿を見られるだろう。
建物の維持管理が円滑に進む寺院もあれば、それに苦慮する寺院もありその差を目の当たりにするのが知多四国巡りでもある。
729年(天平元年)、行基菩薩により開創されたと伝えれる曹洞宗の寺。
応時は七堂伽藍を有していたが、幾度も兵火に襲われ、衰退していくが、1348年(享和4)夢窓国師が中興開山、宗派は開創以来、法相宗真言宗臨済宗曹洞宗と改宗されてきたようです。
弘法堂は本堂の左に位置し寄棟瓦葺。
堂内には弘法大師毘沙門天馬頭観音が祀られ、堂前の五色の紐は中の弘法大師と繋がっている。

御詠歌 慈悲深き 大師の恵み 有難や 今日木之山に 法の花咲く

「瑞木山圓通寺」
開創年 / 729年(天平元年)
開創 / 行基
中興年 / 1348年(享和4)
中興開山 / 夢窓国師
宗派 / 曹洞宗
札所 / 知多四国霊場 八十八番札所、知多西国観音 二十五番札所、知多西国三十三所霊場25番、知多百観音札所2番
所在地 / ​大府市共和町小仏67番地
JR東海道本線共和駅」より、徒歩約15分

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「山神社」

圓通寺から県道23号線、県道50号線沿いに30分程歩く。
丸根砦跡の南を走る県道50号線(師崎街道)の道路際に真新しい「山神社」の社標があり、その奥の杜に社地を構える小さな神社が「山神社」
緑区の山神社としては唯一独立した社叢を持つ神社だと云う。
覆屋の中に祀られている本殿の創建は定かではないようですが、1650年代(江戸時代初め)の記録には既に記載が残ると云われている。祭神は大山祇命
東海道線の高架が万里の長城の様に社頭の前を遮り、忘れ去られた様にポツンと鎮座していますが、以前は社頭前に踏切があり、大高の町に通じ人の往来は多かったのだろう。

山神社
創建 / 不明
祭神 / 大山祇命
所在地 / ​名古屋市緑区大高町西丸根
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owari-nagoya55.hatenablog.com


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「山神社」から大高駅方向に向け県道50号線沿いに5分程歩くと右側に「長寿寺」が鎮座します。
知多四国霊場八十七番札所で山号は鷲頭山、寺号は長寿寺と称し臨済宗永源寺派の寺院。
本尊は阿弥陀如来で知多四国霊場 八十七番札所。
その他に知多西国観音 二十六番札所、知多百観音 一番札所でもある。
コンクリート造りの伽藍で知多四国八十八箇所霊場の寺院としては半島先端で見かける寺院の姿とはかけ離れた立派で庭も綺麗に整備されている。
本堂手前の右に方型屋根の弘法堂があります。

鷲頭山と号し、臨済宗永源寺派
当山はもともと真言宗長祐寺と称したが、1560年(永禄3)鷲津砦の兵火で伽藍を焼失。
江戸時代、大高領主の志水忠継の母長寿院は黄檗宗への信仰が厚く、その臨終に際しこの地に禅寺の建立を孫忠時に遺命した。
1682年(天和2)徳川光友の援助もあり伽藍が竣工し、春日井郡三淵村の臨済宗黄檗派(現在の黄檗宗)の「紫金山慈眼寺」を開山した越伝和尚を招聘し中興開山、この時宗派を黄檗宗へ改宗、寺名も祖母の法名に因み「長寿寺」に改め、現在の宗派になったのが1691年(元禄4)石梯道雲和尚の時される。
志水家の菩提寺として厚遇され、「尾張名所図会」にも挿絵が描かれています。

特徴のある山門東側に高蔵坊稲荷神社の鳥居があります。
この神社には昔話として
「むかし〃寺が傷んできて修理もできず住職の高蔵坊は困っていた、その頃この山に一匹の狐が住んでいて、住職はこの狐をとても可愛がっていたという。
住職の嘆きを知った狐は、住職の姿に変化し村々を巡りこの寺の御利益を説いて廻ったという。
その結果、お参りの人々が訪れる様になり、寺は立派に修理できた」
村人はその狐を高蔵坊狐と呼び一層可愛がったそうで、後に村人は、お堂を建てこの狐を祀ったのが高蔵坊稲荷神社だという。

「鷲頭山 長寿寺」
創建 / 不明
開山 / 越博紹付、開基 / 長寿院元操尼
中興年 / 1689年(元禄2)、 中興 / 中興道雲石梯
宗派 / 臨済宗永源寺派
本尊 / 阿弥陀如来
札所 / 知多四国霊場 八十七番札所、知多西国観音 二十六番札所、知多百観音 一番札所
所在地 / ​名古屋市緑区大高町字鷲津山13番地

一巡目最後の87番の納経を終え、2年がかりでかみさんが巡った知多四国霊場八十八カ所霊場、ひとまず一巡を終えた。
この間、会社の都合で一緒に納経したのは数えるほどしかないけれど、二巡目は足かせも外れ全て一緒に周れるはずだ。
実際に歩いて見ての感想。
大勢で歩くイベントならともかく、歩道が未整備だったりして、歩く横を吹っ飛んでいく車が多く、そこを延々歩くのは注意が必要。

総歩行距離約7.5㌖ 総歩行数18,000歩、前日の天気の影響で多少風は強かったが思ったほど寒くもなく快適に歩けました。

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帰る前に情熱餃子鳴海店で遅いランチの満足ランチ800円なりとビールで喉を潤し、大高駅から家路に着く。
所在地 / ​名古屋市緑区鳴海町下汐田​74

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今回の徒歩ルート / ​JR共和駅からJR大高まで徒歩7.3㌖・90分

下はJR大高駅で見かけた史跡散策路のマップ、見所の多い町です。

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