『香取神社』半田市乙川北側町 

半田市乙川北側町2「香取神社
知多四国八十八番外奥之院の海蔵寺から南西の若宮神社を経て、社頭から右に進んだ左側に鎮座する。今回訪れた中で一番魅かれた神社かもしれない。

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上は先に掲載した海蔵寺若宮神社香取神社の位置関係。
明治の地図には香取神社を示す印は表されていなかったが、若宮神社から徒歩で2~3分ほどの西山神楽車の山車蔵の左に鎮座しています。

f:id:owari-nagoya55:20211206224959j:plain御神木は​推定樹齢450年とされるイブキの樹、幹はうねる様に上に伸び枝葉は社殿を覆わんばかり。
社殿は石垣が積まれ一段高く盛られ本殿域に周囲を玉垣と神門で囲み、覆殿の中に本殿が祀られているようで、手水舎は写真右側の常夜灯の横にあります。

鹿取神社
総本社は千葉県の香取市に鎮座する下総国の一之宮「香取神社」で全国に400社近くあるそうですが、この地方ではあまり馴染みがないかもしれない。

小社ですが歴史は古く、由緒書きは以下
香取神社 本宮千葉県佐原市
明徳時代(1390年頃)毘沙門として創建、明治8年頃に現社名に改称された。
祭神は
経津主大神(ふつぬしのおおかみ)
毘沙門さん 明徳時代の御祭神で福の神、戦の神の御神徳が有名」
とある。

どこから勧請されたものかは記されていないけれど、祭神の経津主大神(伊波比主命)は出雲の国譲りの神話に登場する神様。

天上界を治めていた天照大神は自分の息子が地上世界を治めるのが相応しいと考え、古代日本の荒ぶる地上世界(葦原中国)を治めていた出雲の国の大国主神もとへ何度か遣いを下ろすも取り込まれ戻ってこない。

満を持して遣わされたのが経津主大神と武甕槌大神の二神で、それにより大国主神は地上世界を天照大神に譲り、その見返りに大国主神のために出雲大社が建てられた。

そうした武徳から平和・外交の祖神として、勝運、交通安全、家内安全、災難除け、産業指導、海上守護、心願成就、縁結、安産の神として広く崇敬されている。

f:id:owari-nagoya55:20211206225018j:plain瓦葺の玉垣に囲まれた香取神社、鳥居や狛犬はなく小さな社殿かもしれない。
いつも感じるけれど、格式も
敷居も高い大きな神社より、街角のこうした身近にある神社の方が妙に魅かれる。
綺麗な街並みの中にポツンと荒廃した小さな神社の姿を見かけると、街並みも色あせて見えたりもします。
の守護神として住民の方々からどれだけ崇敬されているかがよく分かります。
失くした町に住む者がこうして綺麗に維持された神社を見ると、地元の結びつきの強さみたいなものが感じられ時に羨ましく思ったりもします。
半田に山車や祭りが受け継がれているのも、そうしたものが住民同士の
結びつきを繋ぐ役割を持っているのでしょう。

f:id:owari-nagoya55:20211206225036j:plain香取神社由緒書き。

f:id:owari-nagoya55:20211206225053j:plain神門の軒下の透かし彫りはうずらとあわ?

f:id:owari-nagoya55:20211206225110j:plain社殿の斜景、町の神社らしくこぢんまりと纏まっています。

f:id:owari-nagoya55:20211206225126j:plain西山山車保管庫の右に方型の小さな地蔵堂がありました。
詳細は不明。

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香取神社境内全景。
右手が西山山車保管庫、中に保管されている西山神楽車は建造は天保年間(1830~1844)とされ、明治、昭和と修理され今に引き継がれている。



香取神社
創建 / 明徳年間
祭神 / 経津主大神(伊波比主命)
所在地 / 
半田市乙川北側町2-1
若宮神社から徒歩ルート / ​南へ2~3分​​
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