鳥取県白兎海岸『恋島・白兎川下神社・淤岐之島』

二泊三日で岡山、鳥取、兵庫の一ノ宮巡り。
道の駅神話の里白うさぎで車中泊し迎えた二日目。

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まだ薄暗い空ですが水平線を見れば徐々に陽が昇ってきています。
二日目は、道の駅から徒歩10分程西にある気田岬を目指します。

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淹れたての暖かいコーヒーで体を温め二日目が始まる。
道の駅駐車場の国道9号線
そこには白兎海岸に向かう観光用なのだろう、立派な木造の歩道橋が架かり海岸まで容易に行くことが出来ます。

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歩道橋から白兎海岸の眺め(3枚貼り付け)
右方向は鳥取砂丘方向、左が目的地の気田岬。
海岸は一面砂浜でサーフィンや釣りをする姿も見られます。
岬の右に見える小さな島が淤岐之島、白うさぎが流れ着いたとされる神話の始まりの地とされます。

この海岸は白兎神と和邇族(大陸からの海洋民族など諸説あり)との戦の場とも云われています。
小さな湾の小さな砂浜は色々な神話の舞台となった。
水平線の先は大陸。
神話だけにとどまらず、意図して海を越え訪れる者から見れば、こうした場所は上陸に最適なロケーション。

f:id:owari-nagoya55:20211218085407j:plain歩道橋から海岸線を西に進むと道沿いに案内板。
恋島は大国主が八神姫にプロポーズした場所とされ、砂浜にある小さな岩で神楽岩とも呼ばれているそうだ。
目と鼻の先の海面に見える岩礁帯と小さな島が淤岐之島。
白兎の丘へは国道沿いに左に進み、白兎トンネルの手前から気田岬を上っていきます。

f:id:owari-nagoya55:20211218085426j:plain上の案内板付近に神話「因幡の白兎」の解説板、舞台となった淤岐之島に向け閉立てられている。
息子達が子供の頃に誰しも一度は読み聞かせた事があると思います。
その時期も過去の事となると話の全容は怪しくなってくる。

f:id:owari-nagoya55:20211218085444j:plain恋島(神楽岩)白兎海岸。

遠目に見ると淤岐之島を望む砂浜に燈籠建てられ趣がある光景だわいとなる。
見るべきところは実は燈籠の礎石になっている岩のようです。
島とあるが、砂浜に岩盤の一部が露出した岩の集まり。

f:id:owari-nagoya55:20211218085641j:plainこの場が大国主命が八上姫にプロポーズした場所とされ、燈籠は1858年(安政5年6月)に、一番高い神楽岩の上に地元の若衆により建立されたもの。

冬の日本海の荒波や風雪に耐え、今も姿を留めている。

f:id:owari-nagoya55:20211218085712j:plain淤岐之島。
気多岬の目の前の沖にある神話の舞台となった島。
白兎はここに流れ着いた、陸は目と鼻の先。
この小さな島には東西に通じる洞窟が出来ているといい、島の高さは約10㍍程。
上部に僅かな平坦地があり、頂上には黒松や植物も自生し鳥居が建てられています。
この島は鳥取池田藩主の遊覧所があった所と言われ、この島蔭は昔の漁夫の唯一の避難所だったといいます。
沿岸の漁夫は、このあたりを「神が下」と呼んでいたようで、島の上に天邪鬼(あまんじゃく)の塚があるとされこのように呼んだようです。
岬と島の間の波間には水深の浅い岩礁帯があり、それがワニの背に例えられているという。
その気になればワニを騙さなくても陸に上がれる?そんな距離感です。
猪だって海を渡る、うさぎだって…それでは神話にはならないか。

f:id:owari-nagoya55:20211218085732j:plain気多岬の山陰に祀られた小さな神社「白兎 川下神社」

f:id:owari-nagoya55:20211218085751j:plain古来「氣多ノ前神ヶ岩」に鎮座されたもの。

天正九年秀吉の鳥取城攻めで秀吉の軍勢により焼失。
白兎神社と共に1764年(宝暦14)に再興、1912年(大正元年)白兎神社に合祀した。
祭神は豊玉比売で海を守り、婦人病の守護神とし崇敬され、平成21年の台風で被災し現在の場所に遷座

f:id:owari-nagoya55:20211218085808j:plain白兎川下神社の屋根に飾られた千木と鰹木は見慣れた形とは少し違う。

こうした形の呼称を知らないが、以前見かけた穂高造の鰹木に似てなくもない。
棟に沿って伸びる千木は一説には舟の舵を表しているとも聞いた気がする。
山奥の穂高神社とは違い、ここは目の前は海、そして和邇族、海洋民族の香りが漂ってくるような。

f:id:owari-nagoya55:20211218085827j:plain白兎 川下神社由緒 

「川下神社は古来気田ノ前神ヶ岩に鎮座されたもの。
白兎神社と共に、宝暦14年(1765年)に再興。
大正元年に合祀した祭神の綿津見大神の娘豊玉比売は神ヶ岩に庵を結び鵜の羽を敷き鵜草葦不合の命を生み龍神となり海に入っていった、依ってここに祀ったと伝わる。
海を守り婦人病の守護神として広く知られる。
平成21年の台風で被災し現在の場所となる。
祭典は8月1日」

白兎 川下神社
創建 / 不明
祭神 / 豊玉比売
所在地 / ​鳥取県鳥取市白兎

f:id:owari-nagoya55:20211218085847j:plain気多岬

白兎川下神社から国道に出てトンネル右手を上っていきます。
この先に気多岬東屋や更に上ると白兎の丘に続きます。

f:id:owari-nagoya55:20211218085905j:plain気多岬東屋から淤岐之島の眺め。

入口から2~3分の岬中腹にあり、東屋の外観は特段見所がある訳ではない。
しかし東屋内から望む淤岐之島(おきのしま)は「因幡の白兎」の舞台が一望でき、鰐の背中とされる岩礁帯を見下ろせます。
浜から見る島の姿とはまた違う姿を見せてくれる。
こうして窓枠から眺める淤岐之島の姿は額に入れられた一枚の絵のようでもあり、朝な夕な光景は移り変わっていくのだろう。

f:id:owari-nagoya55:20211218085924j:plain淤岐之島。

東西に繋がる岩窟は見て取れないけれど、荒々しい自然が創り出した岩の島。
島には鳥居以外になにもない、ここに辿り着いたら目の前の陸に上がりたくもなるだろう。
岬から島までは白波が立つほどの浅い岩礁が続き、ひょっとすると鰐すら近寄れない水深です。

f:id:owari-nagoya55:20211218085940j:plain「白兎の丘」

気多岬東屋から岬頂上の丘へは二つの歩道がありますが、訪れた際は東屋から先に続く歩道は閉鎖され、
東屋手前に上に続く坂を上っていきました。
丘には展望台があり西側の眺望が望めます。
白兎神上陸の地としてカップル向きの撮影スポットが建てられています。

f:id:owari-nagoya55:20211218090004j:plain西側の眺め。

眼下に小沢見の集落とその先の岬の「大崎城址」が望め、東方向を眺めると遠く鳥取砂丘が見通せます。
サーフィンに適しているのだろう、この時期でも波に乗る姿も見られる。
夏の澄み切った青い海もこの頃になると沈んだ色なり、冬の訪れを感じさせる。

f:id:owari-nagoya55:20211218090022j:plain東側の白兎海岸と道の駅方向の眺め。

大きな浜ではないけれど消波ブロックがある訳でもなく自然の姿をそのまま留めています。
道の駅と丘はこれくらいの距離感、ゆっくり往復しても1時間はかかりません。
白兎神社参拝の際は恋島・白兎川下神社・淤岐之島まで歩いて見るのもいい。

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