以前掲載の七社神社から知多四国霊場六十一番札所御嶽山高讃寺までは5~6分程の所要時間。
東を走る国道247号線西阿野交差点を渡った左側に鎮座しています。
訪れたのは2021/11/20、紅葉には早く、夏の様な日差しが降り注ぎ歩いていても喉が渇く陽気。
境内入口に数台分の駐車スペースもあるようです。
右に「御嶽山高讃寺」の寺号標、左に六十一番札所の石柱があり、そこから僅かばかりの石段を上れば長い参道が続く。
仁王門の仁王像は度重なる兵火による焼失を避けるため、ため池に沈められたと云う。
後に池から引き上げられ安置されたものがこの仁王像。
門脇にこの仁王像の解説とこの像に伝わる昔話が紹介されている。
「昔、樽水本宮山の前方下の御嶽の池の中から引き揚げられた仁王様。
大勢の村人が話し合い樽水洞雲寺へ運ぼうと綱を引いたり、後ろから押すなどした。
しかしどうしても動かず弱り果て、高讃寺の仁王様だ、高讃寺へ運ぶ事で話が纏まり、「それ引け」と引いたところ、それまでビクともしなかった仁王様は足でも生えたように軽く動き、無事高讃寺に安置でき目出たし〃。
注・戦国の天文6年(1537)織田、今川両氏の戦火を逃れ三岳の池の中へ、幾数年後の江戸初期寛文年間現在地へ「池の中から出て来た仁王様」が眼前の此の仁王様」
池から出て来た力士像二躯は県の文化財に指定され、鎌倉時代のものとされる。
昭和、平成と解体修理を受け、その際に体内から寛文と記された墨書きが見つかり、記された前回修理年などから鎌倉時代の作と推定されるようです、作者や正確な作成年度は不詳。
全高は3㍍程で知多半島の木造彫刻物では最大だそうだ。
暑い日には寺叢が作り出す木陰が心地よい、今頃は葉も落ちて空が良く見通せるかもしれない。
参道脇に複数の堂があり、正面に観音堂が見えてくる。
参道左には三つの堂と地蔵郡がある。
中ほどの堂に安置された石仏は馬頭観音だろうか。
下に邪鬼らしい姿が彫られているような、ひょっとして青面金剛かもしれない。
さらに右のやや大きな堂の内部には千躰?仏が安置されていた。
参道右の堂には弘法大師の像が安置されているようで、堂に掲げられた額は願王・・・色褪せて読めない。
手水舎と「御嶽山 高讃寺」の縁起。
宗旨 天台宗
総本山 比叡山延暦寺
開創 白鳳十二年(684)
三百の堂宇を有する七堂伽藍を完備した巨刹だった。
天文六年、文禄年間、江戸中期、明治と焼失。
県文化財の寺宝は平安時代の木造聖観世音菩薩、同木造阿弥陀如来像、鎌倉時代の木造仁王像など多数。
手水舎から目の前の石段を上れば観音堂は目の前。
右側が本堂と寺務所(納経所)
境内周辺はもみじが多く見られ、本格的な紅葉シーズンには赤く染まるのだろう、住職の話では「今年の紅葉は今一つ」と云われていたが、一面赤く染まった境内に佇む石仏の姿も見られるのかもしれない。
寺務所から見た本堂、観音堂。
鬱蒼とした寺叢が建物を覆わんばかり。
観音堂。
向拝の付く寄棟瓦葺で周囲に高縁が付く。
外陣には多くの奉納額が掲げられ、その多くは冨士登山のもの、奉納年も様々で明治、大正、昭和のものや、色褪せて文字の読み取れないものなど残り、古くから冨士講が根付いていたようです。
格子天井には白い顔料だけで絵が描かれていますが、一部の花を除き識別できない。
圓通寺でも同様の絵が描かれていたのを思い出すが、何を表したものか読み取れない。
内陣
左には金色の飾り金具が施された社に弘法大師。
中央に観世音菩薩。
堂内右、ピンボケではっきりしないけれど千手観音らしき姿も見える。
七社神社から御嶽山高讃寺徒歩ルート / 東へ徒歩5分程
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