岡山・鳥取・兵庫「一ノ宮巡り」も最終日
昨日は鳥取砂丘から県境を越え兵庫県の城崎温泉に宿を取る。
降りしきる雨の中、外湯めぐりと美味しい晩御飯で一夜を過ごす。
止む気配がなかった雨も明け方には上がったが、今一つ回復していない。
早朝にホテルを発ち、城崎温泉から10分程の「玄武洞」を訪れました。
自然が作り出したダイナミックな柱状節理の露頭とそれを生活に取り込んだ結果造られた洞窟を見てから最終日最初の神社「但馬國一宮出石神社」に向かいました。
「玄武洞」からは円山川を遡り(南下)ながら、但馬の小京都と呼ばれる出石市に鎮座する「出石神社」までは小一時間程の移動時間。
豊岡盆地東の山裾に位置し、周囲はコウノトリを育む田畑が広がる。
その中に島の様に出石神社の社叢はが見えてくる。
一ノ鳥居前の参拝者駐車場に車を停め社頭を眺める。
当日はウオーキングイベントでもあったのか、境内は人で賑わっていた。
しばらく待って静かさを取り戻した参道を歩き出す。
一ノ鳥居から真っすぐ続く参道の先に狛犬が守護するニノ鳥居とその先の神門がはっきり見えてくる。
参道脇は杉の巨木が立ち並び、境内は緑の絨毯を敷いたかのように苔が自生している。
参道を横切る車道沿いに建ち年代は分からない。
どちらも口を閉じでいるように見えるが向かって右が恐らく阿形、開いた下顎が欠落しているのか?
なんだか左の吽形にくらべ不自然な頭の形に思える。
鳥居前に由緒があったが脱色が進み残念ながら読み取れなかった。
石の明神鳥居だった一ノ鳥居に対し、ニノ鳥居は木造の両部鳥居、重厚で姿のいい鳥居だ。
その先には朱で塗られた神門と外玉垣が続く。
大きな注連縄が吊るされ、その上の額はシンプルに「一宮」
神門右に手水舎、龍口から注がれる清水はセンサー付きの自動制御。
境内から神門の全景、苔が綺麗な神社の印象を持ちました。
訪れたのが10月26日、この時期だと境内のもみじは一部が色づき始めたくらい。
神門、切妻銅板葺の八脚門。
柱や梁、垂木など朱が塗られ、彫が施された蟇股にも彩色が施されている。
外観の印象に華美さは感じられない。
神門左に柱が二つ。
出石川改修工事で古い鳥居の遺物や古銭が掘り出され、この柱はその一部、地表に露出していなかった事もあり遥か昔のものとは思えないもの。
御祭神は新羅の国の王子天日槍命と伊豆志八前大神(八種の神宝)。
命は日本に渡来後、泥水が充満する但馬の有様を見て、円山川河口を切り開き泥水を日本海に流し肥沃な平野をもたらした。
鉄の文化を大陸から伝え国土開発の祖神として関係業界から崇敬されている。
神社西方700㍍に鳥居という地名が残る、昭和八年河川工事で鳥居両柱の木口とその下から開元通宝等の古銭が出土。
平安時代すでに国内第一の霊社と云われた。
尚、天日槍命の子孫として多遅間守命(たじまもりのみこと)や神功皇后がある」
神社の創立年代はあきらかではないようで、社伝の一宮縁起に谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀り、
新羅(しらぎ)の国より持参したとされる八種の神宝は、古事記に珠二貫・振浪比礼・切浪比礼・振風比礼・切風比礼・奥津鏡・辺津鏡と記され、出石八前大神(いずしやまえのおおかみ)として、また天日槍命を祭神として斎祀している。
現在の社殿は1914年(大正三)に再建されたものとされ、神門と入母屋造りの拝殿、切妻造りの幣殿と祝詞殿、その先は透塀に囲まれた流造の本殿が主な伽藍で拝殿軒下に狛犬が見える。
軒下の狛犬は年代が不明ですが、木造で以前は鮮やかに彩色されていた様子が窺われます。
大きな鈴が付けられ、角を持つ狛犬は色褪せたお互いの姿を見たくないのか下を向き、なぜか表情は冴えないようだ。「なにか思う事でもあるのか?元気出せ!」
拝殿左から本殿方向の眺め。
入母屋造りの拝殿、切妻造りの幣殿、左に祝詞殿があり後方に流造の本殿の伽藍。
本殿右からの眺め。
透かし塀に囲われた神域と鰹木が5本で外削ぎの千木が付く本殿の眺め。
本殿右側に朱色と素木の覆屋がある。
境内にはこのほか市杵島比売神社、菅原神社などが祀られている。
右側の赤い覆屋が天日槍の妃神を祀る夢見稲荷社、左が比売社で宇賀能魂を祀る。
覆屋の後方の社叢の中に玉垣で囲われ、こんもりと盛られた一画がある。
神門左の社務所、当日は御祈祷も重なりお忙しい中で御朱印を書いて頂いた。
拝殿前から神門方向の眺め。
神門の棟の直線に対し、門の先に見えるニノ鳥居の島木と笠木の緩やかな曲線が強調される。
イベントであれほどいた参拝客も立ち去り、境内を静寂が包み込む。
しっとりとして落ち着いた佇まいで苔の緑が印象に残る出石神社、そんな印象を受けた。
2021/10/26
「但馬國一宮出石神社」