半田市岩滑中町「岩滑 八幡社」境内から西側に続く細い路地を1~2分程進む、右手に石垣が積まれ上には黒い簓子壁が続きます。
壁が途切れ右側の視界が広がると正面に常福院本堂が現れます。
左に「西山浄土宗 甲城山 常福院」の寺号標が立っている。
境内左に「南吉のふるさと 常福院」解説。
こちらの寺もまた新美南吉と所縁があり、幼少期の南吉の遊び場だったようです。
境内で催される盆踊りで踊ったりしたなじみ深い寺だそうです。
本堂の北側は藪で、そこに棲む狸の親子を題材にして童話「ひよりげた」が生まれた。
現在も本堂の裏は鬱蒼とした藪が残り名残を留めています。
常福院は、永禄年間(1558~70)、家康の叔父で岩滑城主の中山勝時によって創建。
浄土宗西山派の寺院で山号は甲城山と号し、境内、西側一帯が岩滑城址だったという。
道沿いに続く石垣は周囲に対し明らかに高く、その上に築かれた境内が嘗て城だったと聞くとそんな雰囲気が漂ってくる。
上の写真では切れてしまいましたが、本堂右に複数の大きなソテツが植えられています、それは中山家の家老により植えられたものと云われ、市の天然記念物に指定されているそうです。
ソテツは寺の庭園で良く見かけると思います、個人的に和の庭に南国情緒満載のソテツはずっと違和感を感じ、ついつい切ってしまった、そんな年代に植えられたものだったとは。
そもそも蘇鉄が植えられ始めたのは室町時代のようで、江戸時代にはそれを庭に植えるのがトレンドとなったようです。 違和感あるなぁとずっと思っていたが、古くからの流行だったのか、見方を変えよう。
境内左に小さな堂と地蔵が安置されています。
絶妙に石を組み上げて造られた小さな祠、安置されているのは役行者だろうか。
こちらは六地蔵。
ゴールの矢勝川を目の前に気持ちが途切れたのか、見逃したところの多い常福院だ。
JR亀崎駅から13㌔程、当初は軽い足取りだった二人も疲労が足に来ている、体が鈍ってるのを実感する。
2021/9/24の矢勝川彼岸花。
この時期では花のピークも過ぎているようです。
疲れもピークとなり新美南吉記念館で靴を脱いでじっくり休憩を取り家路に着く。
巣籠生活が体に及ぼす影響は、体力の衰えとして深刻な影響を与えているのを痛感した13㌔だった。
気兼ねなく出歩ける日が早く訪れて欲しいものです。