「天王社」名古屋市守山区川村町

守山区は天王社が多く、随分巡っていますが全てを参拝するには程遠い。
このあたりになぜ多くの津島信仰の天王社が多いのか理由はよく分からない。
天王信仰の総本山津島神社が比較的近く、牛頭天王の御利益が疫病や災い除けと日常に密接する事もあるのだろう。ここから勧請され各地に広まり、街角の小さな社や祠として建てられて行ったのが天王社。

津島神社は嘗て神仏習合の影響を受け「津島牛頭天王社」と称し、牛頭天王を祭神として長く崇敬されていますが。
そのあり様を変えるきっかけは近代になってからの事。
明治政府の神仏分離令、疫病を防ぐ神として牛頭天王を祭神とし、薬師如来本地仏とする神社に対して祭神は素戔嗚に変えるか、牛頭天王を社名、祭神から外すように発布した。

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それは廃仏毀釈につながり、頭を失った石仏など多くの歴史的遺産を失うきっかけのひとつとなりました。(上は平泉寺白山神社)
総本社の津島牛頭天王社も例外なく津島神社に改称し、牛頭天王本地仏薬師如来は討ち捨てられることなく、神宮寺だった宝寿院の本尊として移されます。
津島牛頭天王社から勧請され、集落に祀られた社も同様の流れになりますが、必ずしもそうでない場合も見られます。

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守山区川村町や周辺も天王社が集まり、認識している物だけでも七社は祀られているようです。
半日あれば一気に廻れる距離ですが、どこぞへ行きがてら訪れるのでなかなか全て囲えない。
今回そのなかで川村町の天王社(赤塗部分)を訪れてきました。

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ゆとりーとライン川宮駅から東に歩き川村公園の東にある交差点、訪れた時は更地となった角地の一画に取り残された様に瓦葺の覆い屋が川村町の天王社。

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四方吹き抜けのこの建物、覆屋と云うより祭殿だろうか。
ここから北に川嶋神社が鎮座します、祭礼はこちらで行っているのかも知れません。

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南側から眺めた天王社。
綺麗に手入れされた境内、その先に定番ともいえる朱に彩られた覆屋がある。

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瓦で葺かれ、木鼻も施された切妻の覆屋。
その中に朱の鳥居と板宮造りの社が祀られ、これも全体は朱に塗られ守山の天王社の趣そのもの。

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こちらの天王社がいつ祀られたか。
現地や地史など目を通しても分からなかった。

航空写真で遡ってみると1945年(昭和20)頃の集落西外れに現在の建屋らしき姿が見て取れ、集落ごとに災い除けの天王社が祀られているのが分かる。
人が集まれば神社も自然に生まれ、やれ祭礼だなんだと地域のコミュニティーの場となって行く。
嫁入りがあれば菓子も撒かれ、話を聞きつけ集まった子の名も顔も知れ渡る。
地域が一体となるいいイベントはあったものだ。
当時、水田や田畑が広がっていた一帯も、僅かな年月で水田や田畑から住宅に変わっていき、町の変貌と共にこうしたイベントも見なくなった。
推測でしかないけれどこの天王社、遡っても明治あるいは大正くらいまでだろうか。

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北側から見た天王社、後方が川村公園、少し進めばゆとりーとラインの高架が続く。
今はとても見通しがいい、この光景もそんなに長くはないのだろう。
2022/2/20

川村町 天王社
創建 / 不明
祭神 / 牛頭天王
所在地 / 名古屋市守山区川村町182  
公共交通機関アクセス / ゆとりーとライン川宮駅から​東へ徒歩10分程   
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