「萬松山 常安寺」

西春日井郡豊山町字木戸「萬松山 常安寺」
現在は曹洞宗のお寺で、以前掲載した豊山町豊場木戸の『八社神社』の社頭西側に参道が隣接し、伽藍はその奥に広がります。

f:id:owari-nagoya55:20220306090729j:plain前回も使用した地図、明治時代とほぼ現在の立地の移り変わりを見ていきます。
当時の豊場村集落西部の北外れに鎮座し、北側から西にかけては水田の広がる立地。
左の地図にも常安寺(黄マーカー)として記されており、この地に古くからあるお寺である事が分かります。

f:id:owari-nagoya55:20220306090754j:plain上は尾張名所図会の常安寺挿絵。
右下が八社神社で左上の伽藍が常安寺になります。
八社神社山門左に上に続く参道が伸び、奥で左に折れその先で突き当りとなっています。
その右側に常安寺山門が描かれています。
周辺環境は住宅地に変貌していますが、参道の位置関係は今もそのまま残っています。

f:id:owari-nagoya55:20220306090816j:plain上が八社神社脇の参道口。
右隅に建つ石標は「三國傳来 根釈迦如来奉安場」と記されています。
1916年(大正5)に名古屋出身の実業家の伊藤萬蔵(1833~1927年)氏から寄進されたもの。
実業家として財を成し、各地の寺院に多くの寄進を行い財の一部を世に還元した人物。

挿絵に描かれた参道口から伽藍を望む事は出来ません、山門に向け進みます。

f:id:owari-nagoya55:20220306090835j:plain突き当りを左に進むと塀が山門に続き、塀の向こうに伽藍が広がります。
参道はこの先で行き止まりとなり、挿絵と全く変わっていません。

f:id:owari-nagoya55:20220306090852j:plain山門周辺の眺め、門の左右に置かれた解説板が目に入ります。

f:id:owari-nagoya55:20220306090911j:plain右に「不許葷酒入山門」の石碑と二体のお地蔵さまが安置されています。
解説板はお地蔵さまではなく、常安寺寺宝で県の文化財に指定されている鋳造誕生仏についてのもの。
鎌倉時代に作られたものと云われその解説は以下。
「県指定文化財  鋳造誕生佛
高さ13.5㌢、胴の直径2.5㌢、重さ260gの小さな立像。
所謂「天上天下唯我独尊」の形をなしている。
材質は金・銅で保存状態は良く、光沢のある漆黒色を呈している。
豊山町教育委員会
大きなものかと思いきや、ちょっとしたフィギィアと同等のサイズだ。

f:id:owari-nagoya55:20220306090930j:plain左の解説「三界万霊の碑」
解説板の奥に建てられているのがそれです。

f:id:owari-nagoya55:20220306090950j:plain解説は以下
1834年(天保5)に大洪水があり、大水は西豊場一帯の稲田に集中し大山川の堤防が決壊し、濁水がいつまでも溢れた。
西豊場の農民達は稲田の冠水が引くのを待ち切れず、悲愴な決意で各自に鍬や鋤を持ち、大蒲新田の囲い堤を切り崩しました。
尾張藩では農民の気持ちを汲みながらも暴挙は許せないとして、その罪を問われた三十七名は投獄され、獄死した者もいた。
後世になり有志農民達が、この犠牲者の霊を弔うためにこの碑が建立された。
豊山町文化財研究会 2018年」
西豊場農民の思い、水没した大蒲新田一帯の農民の思い、裁く立場の思い、苦渋の選択だったのが理解できます。碑には複数の名が刻まれています。

f:id:owari-nagoya55:20220306091018j:plain山門。
重厚な趣の切妻瓦葺の四脚門、近年建て替えたのかとても綺麗な姿です。

f:id:owari-nagoya55:20220306091036j:plain門から境内の眺め、左に手水舎、本堂、庫裏、明王堂の伽藍。
さて境内へ・・・・・視線を感じ山門天井に目をやる。

f:id:owari-nagoya55:20220306091056j:plainそこには二間に渡り格子天井に絵が描かれています。
門の入口側は草花が描かれています。

f:id:owari-nagoya55:20220306091115j:plain出口側に描かれた龍。
この躍動感ある龍が上から睨んでいた、視線の主はこの龍だった。
2000年に描かれたもので、上が安?江と読むのか下は観山、安江観山の手によるものか?
見事なものだ。
これ以上首は曲がらないが、できれば仰向けになって見たいものだ。
この龍と対面できただけでも訪れた甲斐があったというもの。
あらたな天井画コレクションに加えよう。天井画だけで纏める必要がありそうだ。

f:id:owari-nagoya55:20220306091137j:plain境内全景、二本の巨樹が聳え立つ広い境内。

f:id:owari-nagoya55:20220306091156j:plain手水舎両脇にお地蔵さま。
後方に聳える巨樹の根元に朽ちた明王像が安置されています。
火炎が彫られているが風化と欠落が進み、全体の姿は想像できない。

f:id:owari-nagoya55:20220306091215j:plain本堂全景、寄棟瓦葺で左の軒下に梵鐘が吊られている。
宅地化が進み、本堂後方の森の緑は存在感がある。

f:id:owari-nagoya55:20220306091233j:plain存在感のある二本目の巨樹。
挿絵の同じ位置に木が描かれている、木の種類を見なかっが写真の木肌を見ると楠か?
嘗て本堂後方に広がっていた水田は姿を消し、住宅地に変貌を遂げた。

f:id:owari-nagoya55:20220306091250j:plain棟に乗せられた「萬松山」の山号瓦と梵鐘。
常安寺の歴史は古く、812年(弘仁3)に現在の名古屋空港付近にあった岡山に、空海が創建した真言宗の観音寺から始まると云う。
平安末期に戦禍で焼失し衰退の道を辿ったが、後にこの地を収めた織田家家臣の溝口富之助が、私財を投じて現在地に常安寺として再建。
熱田の円通寺の末寺となり曹洞宗に改宗した。
本尊の釈迦牟尼如来は、溝口氏が九州肥後国如来寺から勧請したという釈迦如来立像で、印度から唐を経て伝来したもので、「豊場の寝釈迦」とも呼ばれるそうだ。

山門や伽藍が比較的新しいのは天井画の描かれた時期に手が入れられたのかもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20220306091310j:plain境内右の庫裏と棟続きの明王堂。
二体の烏瑟沙摩明王像が祀られています。
背後の炎で日常生活の不浄を焼き払う功徳があり、トイレの神さまとして知られる。
歳と共に妙に手を合わせたくなる。

f:id:owari-nagoya55:20220306091336j:plain本堂から山門方向の境内の眺め。
挿絵には描かれていないが、境内には迦葉水と呼ばれた小池があったともいいます。
山門が小さく見えるほど、空に向かって聳える二本の巨樹、常安寺の象徴ともいえる。

f:id:owari-nagoya55:20220306091355j:plain常安寺駐車場から伽藍の眺め。
二本の巨樹と天井絵が印象に残る常安寺です。

1/20に周辺の二社を訪れました、当日は時間もなかったので2/24改めて訪れました。
狭い道、一方通行の多いこの辺り、巡るにはチャリがいい。

萬松山 常安寺
宗派 / 曹洞宗
創建 / 812年(弘仁3) 
開基 / 弘法大師
再興 / 溝口富之助
再興時期 / 不明
本尊 / 釈迦牟尼如来
所在地 / 西春日井郡豊山町字木戸76
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