名古屋市北区柳原2「深島神社」

名古屋市北区柳原
前回掲載した宗像社から徒歩で東に2~3分の位置に鎮座する「深島神社」

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上は天王神社、宗像社と深島神社(赤)の位置。

柳原と聞くとこの地の往古の姿が連想できる。
現在の名古屋城二ノ丸付近は嘗て名古屋台地の北端にあたり、そこに那古野(なごや)城が建てられていました。
台地の北側から当地にかけては柳が茂る湿地が広がり、柳が多く茂っていたことから由来するようです。
後に家康により名古屋城が築城され、それまで尾張の拠点だった清州からこの地に移転(清須越)するに伴い城下町として整備された地域。

f:id:owari-nagoya55:20220308142037j:plain宗像社から東に進むと南北に伸びる柳原商店街の街並みが残る。
通りから南を望むと遥か先に旧称名古屋テレビ塔が良く見える。
どこもかもネーミングライツで体に馴染んだ名が変わり、我が家の息子達とも噛み合わない事が多い。

f:id:owari-nagoya55:20220308142126j:plain深島神社は柳原商店街方向に向かう通りから、左を眺め歩いて行けば突き当りの鳥居が見て取れる。
社頭は鳥居の右に「村社 深島神社」の社号標と左に由緒書きがある。
境内はさほど奥行きはなく、目の前の拝殿と右に稲荷社、左に社務所の伽藍。

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神社由来

 由緒 

  • 創建年月は明らかではない。
  • 尾張史に1398年(応永5)三月改築の記録が残りそれ以前から鎮座する。
  • 慶長年間(1596~1614)名古屋城鬼門の守護神として、新たに荒神社並びに石神社を尾張藩祖 源敬公が建立し崇敬され、二代藩主 徳川光友光友以降の歴代藩主からも崇敬される。
  • 1872年(明治5)据置公許となり、1885年(明治18)5月13日村社に列格、1939年(昭和14)9月14日指定村社へ。1994年(平成5)13等級から10等級社へ。
  • 1945年(昭和20)戦焼、1952年(昭和27)再建され現在に至る。

例祭

  • 月次祭 毎月11日
  • 元旦祭 1月1日
  • 左儀長 1月11日
  • 初午祭 旧2月初午
  • 天王祭 6月1日
  • 例大祭 10月第2月曜
  • 大祓除夜祭 12月31日

f:id:owari-nagoya55:20220308142207j:plain境内左の手水舎。
西側の柳原北公園と境内に塀はなく、公園で遊ぶ子供たちは自由に往来できる。

f:id:owari-nagoya55:20220308142225j:plain拝殿全景。
吹き抜けの拝殿は左の授興所と繋がっています。
拝殿の先に陽光に照らされた本殿と両脇の末社の姿が見える。

f:id:owari-nagoya55:20220308142245j:plain深島神社の狛犬、1932年に寄進されたもの。

f:id:owari-nagoya55:20220308142302j:plain拝殿から本殿の眺め。
本殿域は玉垣に囲まれ、本殿左に石神社と荒神社、右が牛頭天王
中央の本殿に田心姫命が祀られている。
本殿の祭神は諸説あるようですがここでは由緒から田心姫命とした。

f:id:owari-nagoya55:20220308142320j:plain本殿左の石神社、荒神社社殿。
小型の流造の社ですが千木は縦に切り落とされ、5本の鰹木が棟を飾る。
細かな彫も施された金色に輝く擬宝珠も見られる。

f:id:owari-nagoya55:20220308142337j:plain左から本殿、牛頭天王、深島稲荷本殿。
大きさの違いこそあれ造りは石神社と同じ。

深島神社
創建時期は分からなかった。
稲荷社
尾張藩8代藩主の松平宗勝の第6子、松平勝長が現在の長栄寺南付近に柳原御殿とも呼ばれた屋敷を建てた。
1756年(宝暦6)、邸内に江戸から勧請した稲荷社を建て祀ったのが始まりと云う。
牛頭天王社
1761年(宝暦11)に牛頭天王社遷宮をして御殿の中に祀った。

勝長の死後、深島神社に合祀された。
荒神社、石神社

もとは名古屋城内に鎮座していたが1694年に柳原に移され、その後1878年(明治7)に深島神社に遷座したようだ。

名古屋城下の町割から長栄寺の鎮座地は確認できたが、深島神社を始め、荒神社、石神社は見つけられなかった。

f:id:owari-nagoya55:20220308142358j:plain拝殿右の深島稲荷と左に覆屋の中に安置された岩がある。

f:id:owari-nagoya55:20220308142415j:plain御霊石由来

  • 深島神社神主 三谷左内が初代尾張藩徳川義直公(1607~1650)の命により木曽山中へ入り秘法を用い厳修し霊験を感応し当神社に安置した霊石。
  • 古来より「願い事を祈願すれば何事も御利益がある」

白みのある花崗岩に似た三角形の岩で、撫でて祈願するものではないようですが表面に艶がある。
祈願した事はただひとつ「流行病の終息」に尽きる・・・はずだった。
これを書いている現在ではもう一つ増えてしまった、「北の狐が正気を取り戻し、南の熊さんが同じ道を歩まないように」何も持たない島国に住む者の切なる願い。

f:id:owari-nagoya55:20220308142433j:plain奉納鳥居の先の深島稲荷本殿。

f:id:owari-nagoya55:20220308142451j:plain拝所に掲げられた額は深島稲荷大神とある。
祭神は宇迦之御魂大神で稲荷の使い、狐の姿は見られない
本殿はひとつの岩を台座にしてその上に祀られ、深島神社の三社と並ぶように配されています。
近年不作続きの自家菜園、今年こそ豊作であることを祈願しておこう。

f:id:owari-nagoya55:20220308142511j:plainさざれ石
鳥居右の桜の古木の根元に安置されています、看板が無ければ気付かない程小さなもの。

f:id:owari-nagoya55:20220308142531j:plain境内東から眺める伽藍全景。

以前の社殿は先の大戦の空襲で焼失し、1952年(昭和27)に再建されたものという。

f:id:owari-nagoya55:20220308142549j:plain拝殿から南方向の通りの眺め、狛犬が見つめる通りを行き交う車は意外に少ない。
神社付近に参拝者駐車場はないようでした。

f:id:owari-nagoya55:20220308142607j:plain拝殿から西方向の眺め、工事用のフェンスの辺りが宗像社になります。

f:id:owari-nagoya55:20220308142625j:plain深島稲荷鳥居の右の参道を進むと北側の車道に至ります。
そこには石の神明鳥居が建っていました、表は明神鳥居だったがこの違いはなんだろう。
千木や鰹木もそうですが、こうしたセオリーは必ずしも当てはまらないと捉えた方がいいのかも。
2022/2/12

深島神社
創建 / 不明
祭神 / 田心姫命
末社 / 深島稲荷、創建 / 1756年(宝暦6)、祭神 / 宇迦之御魂大神
     牛頭天王社、創建 / 1761年(宝暦11)、祭神 / 牛頭天王
     荒神社、石神社、創建 / 不明、祭神 / 不明、石土彦神、石巣姫神

所在地 / 名古屋市北区柳原2-3-19

宗像社から深島神社徒歩 / ​東に2~3分
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