名古屋市北区金城 「多奈波太神社」

名古屋市北区金城 多奈波太神社

前回掲載した深島神社から北に徒歩10分程に位置する。

f:id:owari-nagoya55:20220314080235j:plain訪れたのが2月16日。
道は堀川に突き当たる。
随分暖かくなったが川面も堤も冬枯れ、水仙の緑だけが春の兆しを感じさせる。

f:id:owari-nagoya55:20220314080254j:plain対岸に見えている。
多奈波太神社へは下流の城光橋か上流の金城橋から対岸に渡ります。
飛び越えれない?
子供の頃、棒高跳びよろしく竹竿で小川を飛び越える、そんなことして悉く失敗し親に怒られたものだ。
どちらに向かっても大して距離は変らない、城光橋から向かうかぁ。

f:id:owari-nagoya55:20220314080312j:plain多奈波太神社と深島神社の位置関係をマーカーで示します。

f:id:owari-nagoya55:20220314080333j:plain堀川右岸道路を歩くと直ぐに社地が見えてくる。
東側に参拝者駐車場もあり車で訪れても良さそうです。

f:id:owari-nagoya55:20220314080353j:plain社地は玉垣でぐるっと囲われ、南側に正参道、東側に脇参道があり其々鳥居を構えています。

f:id:owari-nagoya55:20220314080409j:plain正参道脇の社号標「式内 多奈波太神社」と解説板。
上「多奈波太神社

  • 平安時代に編纂された「延喜式」に「山田郡多奈波太神社」と記される。
  • 主祭神は天之多奈波太姫命(天之棚機姫命)
  • 尾張名所図会」に田幡村にあり、七夕の森と云われ例祭7月7日、燈をかかげて諸人参詣す」
    と記されている。
  • 昔からの祭礼風景が七夕祭りとして今も続いている。
  • 社殿は昭和20年5月の空襲で焼失、昭和39年に現在の木造鋼板葺に復興再建された。

下「多奈波太神社の乳イチョウ

  • イチョウは柱状の瘤(乳垂)が出来る事があり霊力の宿る神木とされる。
  • 多奈波太神社の乳イチョウは樹齢が若いにも拘らず多くの瘤(乳垂)が垂れ下がり珍しい。
  • このイチョウの生命力にあやかり、健やかで豊かな母乳に恵まれた逸話がある。

イチョウの解説付近でイチョウを探すが見当たらない、結果として東参道から境内に入った右側に
イチョウが植えられていました。

f:id:owari-nagoya55:20220314080428j:plain社頭から境内の眺め。
社殿や石の明神鳥居も建替から時を経ていないのでとても綺麗な伽藍。

f:id:owari-nagoya55:20220314080449j:plain正面に向拝付きの入母屋平入の拝殿、右に東参道の鳥居、乳イチョウは写真奥にあります。
拝殿左に社務所があり手水舎は境内右にあります。

f:id:owari-nagoya55:20220314080506j:plain手水舎と東参道鳥居方向の眺め。
右の掲示板に祭礼の案内。
例大祭 毎年8月7日、1月1日元旦祭、1月14日左義長祭、3月7日祈年祭、7月7日茅輪祭、10月7日祈願祭
、12月30日大祓祭、毎月7日月次祭
旧暦の7月7日には願い事の書かれた短冊が結ばれた笹竹が町内から奉納されるそうだ。

七夕というと西区の星神社の七夕伝説が思いつく。
星神社の南を流れる庄内川には「たなばたひめ」の民話が伝わる、ここ田幡村の娘と対岸に住む若者の悲しい物語だ。
心情として星神社と多奈波太神社が対であると更にジーンとくるだろうがどうもそうはいかないようだ。
南を向き鎮座する星神社に対し、多奈波太神社は背を向けるように南を向き鎮座する。

f:id:owari-nagoya55:20220314080547j:plain華美な装飾のない、落ち着いた佇まいの拝殿。

f:id:owari-nagoya55:20220314080608j:plain拝殿前の守護担当はとても愛嬌のある面々。
愛嬌はあるが頭にはしっかり角を持っている、タンコブではなさそうだ。

f:id:owari-nagoya55:20220314080625j:plainドングリ眼でこちらを見つめ、どことなく微笑んでいるような。

f:id:owari-nagoya55:20220314080643j:plain拝殿額と拝殿内。
右側に神輿が安置されていた、神紋は五三桐のようです。
由緒にあった昭和39年の再建以降、平成に入り屋根の葺き替え、社殿の修復工事等の手が入れられているようです。

祭神は天之多奈波太姫命、天照皇大神応神天皇、大山津見命、大己貴命素盞嗚神
創建時期は定かではないようですが、由緒にもあるように延喜式(925年)や後の尾張名所図会にも名が出てくる。
一説に1752年頃の江戸時代、名古屋城築城(1610年~)に伴い、鬱蒼と樹々が生い茂る多奈波太の森に換地されたとも。

f:id:owari-nagoya55:20220314080704j:plain拝殿右の「神域拡張、玉垣建設記念碑」昭和12年に建てられたもの。
碑の右側に小さな祠がありその横に注連縄が張られた一本の樹「乳イチョウ
イチョウと云えば真っすぐに聳え立つ印象がある、乳イチョウは見慣れたイチョウとは随分違うものだ。
樹の姿も違えばその枝も特徴がある。

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解説にあるように柱状の瘤(乳垂)が枝から鍾乳石のように垂れ下がっている。
仕組みは調べていないが自然の不思議として腑に落としておこう。
おやじに母乳は用なしだが、健康と幸せはそうはいかない、二人分の賽銭を投じてしっかり願をかけておく。

ここから本殿をぐるっと一周。

f:id:owari-nagoya55:20220314080745j:plain拝殿から切妻妻入の幣殿、本殿が一体となっている。
拝殿同様、華美な飾りが施されていない落ち着いた佇まいの社殿。

f:id:owari-nagoya55:20220314080804j:plain本殿は流造、千木は外削ぎで鰹木は5本。
鬼や妻飾りなどに桐紋が施されています。

f:id:owari-nagoya55:20220314080824j:plainここにも金色に輝く桐紋。

f:id:owari-nagoya55:20220314080844j:plain拝殿脇の楠が空に向かって聳え立っている。
多奈波太の森は人の都合で姿を消していったが、ここにはその面影の様な巨樹が聳えている。

f:id:owari-nagoya55:20220314080903j:plain拝殿全景、なかなかいい姿をしている。
ここにも春を告げる彩りがあった、少しづつ色が溢れていく。

f:id:owari-nagoya55:20220314080923j:plainここにも。

f:id:owari-nagoya55:20220314080943j:plain拝殿から社頭の眺め、鳥居は再建時のものだ、この光景に桜の花が加わるのもそう遠くない。
下は参拝者駐車場から多奈波太神社の眺め、住宅や店舗の並ぶ一画に嘗ての森の名残が残る。
2022/02/16
もう少し東に向けて歩いてみるか。

多奈波太神社
創建 / 不明
祭神 / 天之多奈波太姫命、天照皇大神応神天皇、大山津見命、大己貴命素盞嗚神
所在地 / ​名古屋市北区金城4-13-16
公共交通機関アクセス / 地下鉄名城線名城公園」駅から北に徒歩10分
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