多奈波太神社を後に黒川沿いに志賀本通方向へ30分程東に進む。
黒川沿いで見かけた解説板「糊落としの風景」
庄内川から導かれ以前に比べ綺麗になった気がする黒川、つい最近までこんな光景も見られたという。
地下鉄名城公園から徒歩で神社を巡ってきたが六所社でひと区切り。
名古屋環状線から一本北に入っていることもあり意外に静かな住宅街、その一画に六所社が鎮座しています。
神社西側に隣接する医王山成福寺の山門、幼児園もあり山門は塞がれていた。
上
六所社境内西側の「彩江橋」欄干(左)と御嶽神社社標(右)。
欄干? 街を歩いていると子供の頃に比べ随分と川が無くなった気がする、無くなったわけではなく川の上に蓋をして暗渠化され表に見えていないだけの事。
この欄干は大幸川の暗渠化に伴いここに保存された「彩江橋」の欄干。
大幸川は東区、千種区、名東区に至る長い小川で以前は蜆や小魚も生息していた。
今も生物がいるか定かではないが、歩道の下には隠れた小川がとうとうと流れています。
下
岩山の上の御嶽社(左)と右に尾張大国霊神社(国府宮神社)が祀られている。
これらが六所社の末社なのかどうか定かではない。
上
六所社社頭、神明鳥居を二つ構えています、一ノ鳥居はハイカラだ。
渋く輝く銀メタの金属製、内部は分からないが無垢の樹より確実に対候性はいいだろう。
これの金色バージョンは静岡の秋葉社にもあったような気がする。
鳥居左に見える掲示板、その基礎に使われている石も彩江橋の道を辿った近隣の橋の石材が使われている。
下
石造のニノ鳥居と右に稲荷鳥居。
豊藤稲荷
詳細は不明ですが奉納鳥居や幟の多さから相当な御利益があるのだろう。
住宅が広がる一帯にあって五穀豊穣はないだろうが、商業施設が多いので商売繁盛なのだろう。
境内に聳える巨樹、種類までは見なかったが空に向かって伸びやかに聳えている。
真夏の炎天下には一時の安らぎを与えてくれる杜だ。
境内全景、左に手水舎、右に妻入り瓦葺の建物、六所社の額が掛けられているが詳細は不明。
二本足の手水舎と手水鉢。
露・・・ 「そんなんだから皆に嫌われるのですよ」「なかよくしましょう」
社殿全景。
左の廻廊は拝殿に続く、本殿域の左右に境内社が祀られている。
六所社境内に由緒書きは見当たらず詳細は不明、ただ1781~1788年の天明年間に社殿造営の棟札が残るとされるので、歴史は古そうだ。
北区と東区は六所神社が多い、ここ下飯田町から少し東の上飯田南町には祭神も全く同じ六所宮が鎮座します。
近代工法の社殿は新しく、クリーム色の塗装が施されている。
拝殿前の狛犬は毬と子を持った昭和38年寄進のもの。
拝殿額と拝殿内。
祭神 / 伊弉諾神、伊弉冉神、蛭子神、天照大御神、月読神、素戔嗚神。
六柱を祀るから六社を祀るから六所なのか知る由もない。
上
左から琴平金羅社(大物主神)、弁天社、八大竜王社、山ノ神社、熊野社(月読神)、神明社(天照大御神)。
これら何れも下飯田周辺の開発によりこの地に集まってきた。
今は住宅が広がるこの地も少し前は稲田が広がり、糊落としの黒川や田畑を潤す小川など生活と水は密着していた、水に縁のある神様が多いのはそうした過去の立地を示している。
正面に鎮座する八幡社。
社は天神社と同様の大きさですが、こちらは高縁や脇障子などの飾りが付く。
如意宝珠を持つ龍や木鼻の獅子など、小さな社のわりに手も掛けられている。
拝殿から名古屋環状線が走る南方向の眺め。
嘗ての稲田は姿を消し背の高いビルや民家が広がっています。
「六所社」 北区下飯田町
創建 / 不明
祭神 / 伊弉諾神、伊弉冉神、蛭子神、天照大御神、月読神、素戔嗚神
境内社 / 御嶽社、尾張大国霊神社、豊藤稲荷、天神社、琴平金羅社、弁天社、八大竜王社、山ノ神社、熊野社、神明社、八幡社
所在地 / 名古屋市北区下飯田町1-1
公共交通機関アクセス / 地下鉄名城線「平安通」駅から西に徒歩10分程
多奈波太神社から徒歩ルート / 志賀本通を東に30分
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