「天王社」 守山区永森町

名古屋市守山区永森町、この町にも『天王社』が祀られている。
 

f:id:owari-nagoya55:20220322112746j:plain上は川村町近隣の明治時代(左)と現在(右)の地図で一帯に祀られた天王社を落として見た。
赤枠のものは既に何回か訪れ、枠で囲ってないものは今だ訪れていない天王社。
今回訪れた永森町天王社は赤塗で示してあります。
永森町天王社について、1889年(明治22)町村制施行・合併により二城村大字大永寺となり、当時の二城村集落の南に位置します。
二城と「城」が付く様にこの辺りには嘗て大永寺城があった、城の場所は定かではなく大永寺辺りにあったものと思われます。
1978年(昭和53)守山区大字大永寺、大字金屋坊、大字牛牧、大字大森垣外の各一部から、同区永森町として誕生した町、由来は大永寺の「永」と大森垣外の「森」を取って「永森」となったそうだ。

明治の地図と現在の地図から天王社の分布を見ると集落ごとに祀られている様子がわかる。
新田開発と集落の発展に伴い、集落の災い除けに祀られていったものだと推測できる。
肝心の永森町天王社の創建がいつ頃なのか分からなかった。

f:id:owari-nagoya55:20220322112806j:plain少し前は水田が広がっていたこの辺り、今は水田すら見る事は難しくなった。
上はゆとりーとライン金森駅、大曽根から高蔵寺を結ぶバス路線で全区間の一部、大曽根から小幡緑地間はこうした高架が延々と続く。
県道の渋滞や名鉄瀬戸線の踏切待ちなどの影響を受けずスムーズに移動できる。地下鉄の代替交通網として整備され、朝夕を除き概ね10分間隔で運行されている。渋滞時には上を走るバスが羨ましく感じる。
天王社へは金森駅で下り、北に進み古川右岸に広がる住宅街の角地に鎮座します。

f:id:owari-nagoya55:20220322112843j:plain永森町天王社。
西から東方向の眺め、この先はすいどうみち緑道が左右に伸びています。

f:id:owari-nagoya55:20220322112908j:plain東から西方向の眺め、先にはゆとりーとラインの高架が聳えています。
天王社外観は一帯で見かけるものと全く同じ、瓦葺の覆屋に朱色の本殿が祀られたもの。
例によってDIYの香り漂う朱の塗装は覆屋の土台部分まで達しようとしている。

f:id:owari-nagoya55:20220322112932j:plain角地に建つ本殿は南を向いて祀られ、道路から参拝する事は出来ない。
社地へは東側の通りから境内に入る事になります。

f:id:owari-nagoya55:20220322113029j:plain参拝の為境内に入らせて頂く。
綺麗に赤く塗られた覆屋と本殿、そこには赤い鳥居も置かれています。

f:id:owari-nagoya55:20220322113059j:plain参拝を済ませ本殿の写真を撮らせてもらう。
興味本位で誰か開けたのか?
閉めるべきものか困ったものだ、今どき姿は見られている、不審なおやじの不審な行動は面倒なことになりかねない。ありのままにしておこう。
そのおかげで津島神社の御札が見て取れた。
もうひとつ、置かれていると思っていた鳥居は覆屋の玉垣と一体物だった。
良く鳥居が置かれたりするが、これが定型なのか?と思いたくなるほど収まりも見た目も自然だ。

f:id:owari-nagoya55:20220322113118j:plain中央にある石も含めて赤一色だ。
まめに塗装されていることもあり躯体に傷みもなく、人の温もりが感じられる天王社だ。
土台ごと染めてしまってはどうだろう。この町の禍除けとして存在感は更に増すような気がする。

「天王社」 守山区永森町 
創建 / 不明
祭神 / 建速須佐之男命
所在地 / ​名古屋市守山区永森町236-1239
公共交通機関アクセス / ゆとりーとライン「金屋」駅降車、北に10分程
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