古墳群の上に鎮座する「東天神社・若苗神社・山神神社」

養老山系の東に広がる岐阜県海津市南濃町、『東天神社』は県道8号線沿いに鎮座します。

県道8号線「城山支所前」交差点で写真のような杜と二つの鳥居に目が止まり立ち寄ってみた。


石の明神鳥居の脇に「東天神社」社標が建ち、少し右に若苗神社の丸太鳥居がある。
参道の先は奥行きがありニノ鳥居と拝殿が窺える。
参道に朝陽が差し込み始める、長い参道奥の社殿を照らすにはもう少し時間がかかりそうだ。

一ノ鳥居に掲げられた額は「東天神社」

参道脇は深い社叢に囲まれている。

参道中ほどの右手に案内板が建てられている。

右手の若苗神社を示す看板と東天神社の解説の二つが建つ。
普段訪れる小規模の神社と比較するととても広大な社地に思えるが、嘗ては10㌶もあったという。

その社地は東天神古墳群と呼ばれ30基ほどの古墳が作られていたという。
何れも4世紀後半から7世紀前半に造られ、土器や鏡など出土した。
現存する古墳としては1~5号墳(円墳)が残る。
1号墳が東天神社本殿下。
2号墳が若苗神社社殿下。
3号墳は山神神社建立の際削られ一部が残る。
4号墳が稲荷神社社殿下。
5号墳が山神神社社殿下。

参道から見る2号墳に鎮座する若苗神社。
こうして見ると僅かに盛り上がっている様に見える。

東天神社ニノ鳥居前から境内。
鳥居の貫には一ノ鳥居には見られなかった梅の紋が彫られている。
十分に広い境内は左に手水舎、中央に入母屋に唐破風の施された拝殿、右に社務所の伽藍。
後方と左を社叢で隔たれ、社殿には歴史を感じさせる風格が漂う。
 
拝殿後方の本殿が1号墳の上に鎮座しています。

社務所全景。
社務所の後方は南濃グランドに整備されている。

千木、鰹木の施された手水舎と派手に仕事する龍。

拝殿。

シックな木造入母屋拝殿で唐破風向拝を持つ。
棟には7本の鰹木と外削ぎの千木が付き、向拝にも3本の鰹木と外削ぎの千木が飾られている。
破風の鬼や懸魚など左三つ巴の紋が見られる。

拝殿前の狛犬達。
子持ち毬持ちで年齢を聞き忘れたが貫禄漂う姿だ。

岐阜県神社庁で東天神社の由緒が記されていた。
由緒
「創立年紀不詳なれども、当社は美濃國石津郡座(十三社の内)従四位下東天天神及び日本紀略曰く延喜十一年二月十日授美乃國東天神従五位下とある。
本郡の古社なり。然れども遷座及再建等数回にして旧記古書に拠るものなく、祭神不詳なり。
永徳元年本村(羽根、馬澤、奥条その他数村同一村の頃)、宮ヶ原(現在揖斐川添ひ黄金山の南方なり)に再建す。(南宮高山の社日誓覚遷宮祭事を司る)。
その後年暦を経て(羽根川分郷の後故有)慶長五年西山北坂口に遷座す。(西山北坂口には今猶宮の段とも宮事とも云ふ正しき古跡あり)、後又慶長十八年夢想に拠り称名ヶ原に遷宮す(西駒野村奥条村入会地)現在の神域なり。
昔は杉船に乗り、武冠を戴ける神像あり。
故に最初は船を守る神とされしが、元和の頃より神遊されて其の方所を知らず。
宮ヶ原は本村東部に在るを以て東天神の名称へられ又中古の書には奉勧請大神並に島天神とも(島は東の同音誤字か)あり。
何れの頃よりか渡唐天神、天満大自在天神とも称へられた。
何れも誤り伝へられたるなり。
維新より東天天神と復旧す」

911年の延喜11年には既に存在する古社で、それ故に今は天神社とあるが祭神すら分からないようだ。
「最初は船を守る神」とある、事実すぐ東には津屋川、揖斐川も流れ海へと繋がっている。
船神様から始まったと云うのはありえない事もない。
それが歴史の中でいつしか天神信仰に変わっていったのだろう。

拝殿の先は渡廊を介し切妻平入の幣殿に繋がる。
妻壁や木鼻に素朴な彫が施され、蟇股には左三つ巴の紋があしらわれている。
奥に見える玉垣が本殿域のもの、幣殿の玉垣の高さに対し随分高い位置なのが分かる。
この盛り上がりが古墳の名残なのだろう。

本殿。

流造で棟に鰹木6本、外削ぎの千木が飾られ、木鼻に獅子、脇障子に透かし彫りが施されている。

境内の眺め。
歴史のある神社は巨樹を育む。
社叢の樹々はさほど多くもないのだが、一本〃が伸び伸びと枝を張り外界から遮断している。

東天神社
創建 / 不明
祭神 / 不明
所在地 / ​岐阜県海津市南濃町駒野奥条入会地98

若苗神社。
東天神社一ノ鳥居から右に少し離れた県道沿いに若苗神社の丸太鳥居がある。
境内社と云っていいものか判断が出来ない。
社頭右に「ゑびす大神 若苗神社」の看板と社標。
歩道からだと1.5㍍程盛られた頂に社が祀られている。
この場所が2号墳になる。

「ゑびす大神」、七福神の一人で鯛と釣り竿を持ってにこやかに微笑む姿が印象的な商売繁盛、金運や心願成就に御利益のある神様を祀っているのだろう。
この神社の創建、祭神など確かな記述は見つけられなかったが、祭神はえびす様で間違いないのだろう。

若苗神社
創建 / 不明
祭神 / 事代主神
所在地 / ​岐阜県海津市南濃町駒野奥条入会地

県道8号線脇に東天神社参拝者駐車場があります。

その後方に黄色に染まった大きな杉が聳える杜があります。
駐車場横からシレッと社に行けてしまいます、ここが山神神社。
社の下が5号墳のようです。
シレッと横入りも失礼なので社頭から参道に向かう。
二つの鳥居があり右は朱色の稲荷鳥居で額はあるが文字は消えかかり読み取れない。
グーグル先生によれば尾白稲荷神社とあり、鎮座地が4号墳になる、赤い鳥居から続く参道の奥に鎮座するようなのでこちらの稲荷さんはスルーする事にした。

白い明神鳥居の先が山神神社。
山神神社建立の際削られた3号墳は推測ですが鳥居から参道にかけてがそれかもしれない。
特に古墳の痕跡らしいものは見当たらない。

5号墳の上に鎮座する山神神社。
大きな杉に囲まれ、その中に玉垣に囲われた小規模な本殿域が作られ、高く積まれた石垣の上に流造の社が祀られている。
手前の杉が御神木のようだ。
祭神は大山祇命
詳細は分からなかったが「創立年紀、由緒、不詳なれども古来より地方民の信仰あつく元禄十三年の七宮御検地帳には境内東西十一間南北十間とあり古社たることを知る」とあった。
駒野集落の守り神なのだろう。


山神神社
創建 / 不明
祭神 / 大山祇命
所在地 / ​岐阜県海津市南濃町駒野528-1

参拝者駐車場脇の堂。

一体の石像が安置されているがお地蔵様か観音様か見分けがつかなかった。
鬼瓦に入れられた「水」の文字、火事の禍から逃れられるようにとの願いが込められている。
安置されている小さな石像には、村人の大きな願いが込められている。
先人の思いが込められた意味のあるものだ。

 
古墳の数も多いが、参拝駐車場に停めるだけで、一度に古墳の上に鎮座する神社を四社巡る事などそんなにない。
先を急いでいなければ4号墳の尾白稲荷神社にも足を延ばしたかったが、残しておけば再び訪れる動機にもなる。周辺には多くの寺社もあり急ぐことはない。
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