滋賀県米原市『泉神社』

滋賀県米原市大清水『泉神社』

泉神社の鎮座地は伊吹山南麗に位置し、北に伊吹山、南に養老山系に挟まれた山間の扇状地
少し南には中山道があり、東と西を結ぶ交通の要衝でもあり、戦国時代には関ヶ原の合戦で知られるように戦略的に重要な拠点になった。
名古屋では春めいた日も続き、温かさに誘われて郊外に出たくなるものです。
当地を訪れたのは3月7日。
前日はこの辺りは雪が舞い屋根や樹々には雪が残り名古屋の季節感とは随分違いを感じる。
林道に踏み入ると深い雪が残り日陰は凍結している、軽い気持ちで深入りするとしっぺ返しをくらう。

f:id:owari-nagoya55:20220409150514j:plain参拝者駐車場から社頭に向かう。
前日の雪は至る所に残る。
神社のある山裾に寄り添うように大清水集落があり、西側には田畑が広がる、少し先には住宅地が迫っている。長閑な農村地の光景はやがて消えていくのだろうか。

ここに住む者には雪深い厳しい土地柄だが、山々は厳しい環境ばかりではなく豊かな自然の恵みを人々に与えてくれる。その一つが水。
伊吹山には多くの湧水があり、滋賀県の名水6選(十王村の水、堂来清水、針江の生水、居醒の清水、山比古湧水)の一つで、名水百選に選定にされている「泉神社湧水」がある。

社頭の「御清水拝受所」には早朝から地元の方が湧水を汲みに訪れる姿が見られる、この水は地元にとっては田畑を潤し日々の生活で使用する貴重な水。
それだけに小さな集落の細い道は観光用と生活道路の経路が分けられています。
観光目的の採水や参拝に訪れた車は看板に従って専用駐車場に停めて下さい。

f:id:owari-nagoya55:20220409150535j:plain
参拝者駐車場から5分程下り社頭に向かう、右手に社務所と鳥居が見えてきます。

社頭脇の泉神社湧水由緒
・社伝によると天智天皇の頃当地の山野は弓馬操練の地で多くの牧士などの居住地。
・この地に天泉が湧出、その清冽な水から天泉所と称し素戔嗚命大己貴命の二柱を産土の神として祭祀した。
・後に天泉所は大泉大清水と改められる。
景行天皇の皇子日本武尊伊吹山蝦夷征伐に向かい、毒霧にあてられ失意粋えるが如くなられた時の「居醒水」と伝わる。
・小栗助重(宗湛)が病気平癒を祈願した霊泉とも崇められる。
・伊吹三名水(堂来清水、居醒の清水)の一つで2千年来涸れる事のない御神水で昭和60年3月28日環境庁から日本名水百選の認定を受ける。

余談になりますが、日本武尊が毒霧を浴び清水で正気を取り戻した伝説はここだけではないようです。
蝦夷征伐は何度も毒を浴びるほど強敵で、その都度清水で復活し退治したと云う事になる。

f:id:owari-nagoya55:20220409150555j:plain坂田郡志(1912年発行)から泉神社の創建に繋がる記述を見付ける。
・春照村大字大清水の村社泉神社境内より清水湧きだし、涸れる事なし、村の名の由来となる。
・永享6年(1434)の古鐘あり。
・大日霊貴尊、伊弉冊尊、大鷦鷯尊、水波能売神を祀る。
・白鳳2年(662)

f:id:owari-nagoya55:20220409150616j:plain社頭全景。
右に社号標「泉神社」
正面の明神鳥居の先から石段が上に続く。

f:id:owari-nagoya55:20220409150633j:plain鳥居の額は黒地に金の文字で泉神社。

境内は主に杉の社叢で、昨晩の雪が樹々に積もり、日差しを受けて融け始め雨のように雫が落ちてくる。
静かでとても清々しい空間です。

f:id:owari-nagoya55:20220409150654j:plain

鳥居から先は石段が続く。
境内は段々畑のように何段かに別れ石垣が積まれ境内が作られています。
よもや雪を頂く社殿が見られるとは有り難い、今日はまだいい方だろうが積雪時は足元要注意。

名水縁起
・水は生命の源。
・一帯は縄文時代中期から人が居住。
天智天皇の頃は御領所で天泉所として名付け伊吹の大神を水の神として祀った。
伊吹山系から湧出する清水は大地を潤し、古代寺院の甍を、中世には城館の偉容を整えた。
・村名も大泉から大清水に改称された。
・ミネラルを含む湧水は千数百年長寿の水と呼ばれ村人の健康と生活を支えて来た。
・昭和60年環境庁「日本名水百選」に指定、各地から参詣者が訪れる。
・ここに畏敬の念を忘れず後世に保存伝承する事を乞い希います。

街の生活では蛇口を捻れば水は出るものと錯覚しがち、愛知用水神社でも感じたようにそれは知らない働きがあって成立するもの。
ここでは水を育む山と樹々、そして川が神同様に大切にされています。
それらは地元の方の清掃活動や保全活動により保たれ、意識のレベルは別次元。
現在は「御清水拝受所」が建てられ300円で採水できます。

f:id:owari-nagoya55:20220409150715j:plain石段登り口にある泉神社湧水。
以前はここで採水できたが現在は立ち入り禁止、ここから導かれた湧水は「御清水拝受所」で採水できるようになっています。
水源を荒らされた結果の苦肉の策だったのは容易に想像できる。
湧水量は日/4500㌧と云われ、無尽蔵のように感じるけれど、山肌から湧き出た水は扇状地の土壌にすぐに吸い取られていきます。ここで農耕を営むうえでこの流れは神のようなものです。

f:id:owari-nagoya55:20220409150732j:plainさて石段を上ります。
石垣の積まれ方は山城の雰囲気が漂います。

f:id:owari-nagoya55:20220409150750j:plain拝殿が間近に迫る。
上から見下ろす様に両脇の狛犬が拝殿前を守護している。

f:id:owari-nagoya55:20220409150807j:plain狛犬
左と右で季節感が全く違う。
一面白銀の世界もいいものだがこうした光景はそんなに見られるものじゃない。

f:id:owari-nagoya55:20220409150824j:plain毬持ちと子持ちの狛犬、足元の子は構ってもらいたいばっかりだ。

f:id:owari-nagoya55:20220409150845j:plain
拝殿から社殿全景。
入母屋瓦葺の平入で四方はガラス戸になっていて、内部は外光が差し込み明るい。
拝殿の先は石垣が積まれその先に幣殿、本殿と続く。

拝殿から本殿方向。

f:id:owari-nagoya55:20220409150904j:plain拝殿右の神楽殿
1713年(正徳3)と記された木札がある、瓦葺で素木の建物は木札がなければ境内社と見間違えるほどの規模、逆に神楽殿?と疑いたくなる大きさ。

f:id:owari-nagoya55:20220409150923j:plain
拝殿左側の本殿域、透塀の先に二社祀られているのが分かる。
景色は春だ。

拝殿右側の本殿域はまだ冬景色、こちらにも二社祀られているようだ。

f:id:owari-nagoya55:20220409150941j:plain上 本殿域右
30㌢程残雪が残る山に分け入り本殿域を眺める。
流造の本殿と右手に二つの社。

手前は流造で高縁はない。
奥は流造で向拝に唐破風が付き棟が大棟に繋がっているようです、高縁や脇障子も付いているようだ。
屋根は檜皮で葺かれているように見える。
社名や祭神など記した木札があるようだが分からない。

f:id:owari-nagoya55:20220409150958j:plain上 本殿域左
こうして本殿を見ると本殿向拝にも唐破風が施され、妻壁には細かな彫が施されているように見える。

右側と同じ造の社が二社祀られ、どちらも社名を記した木札があるが読み取れない。

f:id:owari-nagoya55:20220409151020j:plain社殿側面全景。
拝殿から渡廊の先に幣殿、本殿へ連なり、左右の透塀は幣殿に繋がっている。

泉神社湧水は拝殿右側の山肌から湧出しているようで、水を司っているのは正に泉神社そのもの。
伊吹山から湧き出た清水が川となり田畑を潤し、梅花藻やイトヨなど育み、ミネラルに富む水は住民の健康をも支える命の水だ。
川と生活が切り離された都会とは違い、ここには生きた川と人が密着する少し前の原風景がある。
地蔵川水源の加茂神社もそうですが、小さな流れは琵琶湖に注ぎ、下流にある大きな街の水源となる。
水源地に住む人が川を大切に護っているのが見て取れる。

f:id:owari-nagoya55:20220409151037j:plain拝殿左方向の小高い丘に鐘楼が建てられている。
坂田郡志にあるように梵鐘の池の間に永享6年(1434)11月7日の銘が刻まれていた。
今も現役のようで600年前の梵鐘がどんな音色がするものか聞いて見たいものだ。

f:id:owari-nagoya55:20220409151057j:plain鐘楼あたりから石垣の眺め。
急な斜面に何段にも石垣を作り社地を作る、良くぞ積んだものだ。
目的を果たす、先人達のエネルギーには敬服する。

f:id:owari-nagoya55:20220409151115j:plain石段途中から社頭の眺め。
地元の方の軽トラに今日使う湧水を積んでいく姿がある。
大清水集落には軽トラが一番だ、街から来た大型車が迂闊に集落に侵入すればそれだけで日常の生活が崩れていく。駐車場から歩こう。

f:id:owari-nagoya55:20220409151132j:plain

狛犬が見護る御神水拝受所。

覆い屋の中に複数のホースが繋がれた給水塔があり、観光客は保全協力金を支払えば持ち帰れる。
味は伊吹山の味、自然の味だ(意味わからん)、美味しい水です。
塩素は滴下されないので煮沸して飲むのが賢明。

泉神社
子供に自然の恵みの有難さ教えるのには良い場所かもしれない。

創建 / 662年(白鳳2)
祭神 / 大日霊貴尊(天照大神)、伊弉冊尊(伊邪那岐命)、大鷦鷯尊(仁徳天皇)、水波能売神