知多四国霊場第72番「慈雲寺」からの続きとなります。
今回は慈雲寺後方の山の頂に鎮座する白山宮となります。
上は尾張名所図会の慈雲寺挿絵。
1844年(天保15)の刊行当時の挿絵に白山宮は記されています。(赤丸部分)
右に秋葉、左に行者と記された小さな社が描かれていますが現地では見つけられなかった。
白山宮の創建はよく分からないが、岡田の集落では古くから鎮座する古社のようです。
慈雲寺観音堂左に白山宮の鳥居が建ち、鳥居から直ぐに石段が頂の境内に続きます。
鳥居左に縁起が掲げられ賽銭箱が置かれています。
縁起には以下のように記されています(一部読み取れない部分はアドリブで記載)
「白山宮縁起 1522年(大永2)慈雲寺境内にまつられた白山妙理大権現をいう。
身体健康、商売繁盛を祈願する時その御利益は広大無量と云われ町民の尊敬する所となった。
火難除けの神様であり秋葉三尺坊を祀っている。
修験行者もまつり、上まで行けない方はこちらで参拝下さい」
縁起から1522年(大永2)が白山宮の始まりと見ていいのかな。
白山宮が鎮座する岡田の町、往古の村の氏神はこの白山宮だったとされます。
さほど大きな鳥居ではないが笠木に石が積まれている。
いつからか「投げた石が笠木に乗れば願いが叶う」、まことしやかな説があるようです。
拝んで尚且つ自ら努力して願いが叶う、乗せる努力をするくらいなら石段上って拝んだ方がどれだけ確実か。それにしても上手に乗るものだ。
上り口から上を仰ぐ、ちらりと見えていた拝殿も姿は見えなくなる。
両側に白山妙理大権現の奉納幟がズラリと並ぶ。
白い幟はあたかも壁のように上まで続く、青い空を背景にすると更に白く感じる。
今も変わらず多くの方から崇敬されているのが良く分かる。
石段を上り切ると境内が広がる、参道の先に拝殿が見える。
ここも参道両脇を奉納幟が白壁のように拝殿まで伸びている。
拝殿は簓子壁と白壁の入母屋瓦葺で向拝のない拝殿はシンプルな美しさが漂う。
5本骨扇の日の丸紋は誰のものだろう。
挿絵にある秋葉や行者は、縁起の記載内容からこの白山宮に纏められたようですが、この秋葉山大権現や行者堂大権現の始まりがいつなのかは分からない。
長く神と仏は共生していたが、神仏分離により権現様を祀っていた鎮守の多くから権現が消え、白山社や秋葉社に改め、祭神は菊理媛命や加具土命に変えられる。