名鉄河和線「八幡新田駅」から佐布里池を経由して名鉄常滑線「長浦」まで歩いてきましたが長浦神社を参拝し終わりを迎えます。
白華山 慈雲寺からだと西に徒歩で30分程です。
こうして見ると鳥居から先の参道は恰も工業地帯に続いているかのよう。
境内は南北に長く、鳥居をくぐった正面が手水舎になる。
境内で神社の由来等の解説板は見かけなかった、この時は「まぁ後で調べればいいか」と考えていたがそれは甘かった。
地史など色々と調べて見るもさっぱり記述が見付けられない、お手上げです。
掲載用に写真を纏めていて本殿の後方にプレートがあるのに気が付く。
精一杯拡大すると小さな文字が記されているようだ、恐らくこれが縁起だったのかもしれません。
ここに祭神や創建につながる記述があるものと思います。
やはり写真右下の縁起?を見落としたのが大失敗です。
まさか本殿後方に掲げられているとは想定すらしない、参拝する際には後方のプレートに視線を向ける事をお勧めします。
ここに鳥居が記されるのは昭和に入ってから、西側の海が消え、丘陵地が宅地化されてからの事です。
創建時期はこの頃で集落の拡大にともない、地元の守護として祀られたのではないかと思います。
祀られている神さまは眼下の海を見た事がないかも知れない。
長浦神社
創建 / 不明
祭神 / 不明
境内社 / なし
所在地 / 知多市長浦1-346
公共交通機関アクセス / 名鉄常滑線「長浦」駅から徒歩5分程
徒歩ルート(白華山 慈雲寺より) / 西に30分
参拝日 / 2022/03/03
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神社は名鉄常滑線沿いの切り立った丘の上に鎮座し、長浦駅のホームを直下に見おろす立地。
家並みの続く東側から訪れると社頭の先は工業地帯の煙突が聳えるくらい、背後に民家やビルなどは全くありません。こうして見ると鳥居から先の参道は恰も工業地帯に続いているかのよう。
社頭は東向きで右側に「長浦神社」の社標が立ち、木造の神明鳥居を構えている。
右手の看板は由緒書きかと期待したがそうではなかった。境内は南北に長く、鳥居をくぐった正面が手水舎になる。
手水舎
西に切り立った高台の端にあたり、その先の名古屋港湾工業地帯の眺望が良く、夜になれば照明に浮かび上がる工業地帯が綺麗に見える場所かも知れない。
参道は右に折れ、その先の本殿域の全景。
綺麗に整備された境内に、一対の常夜灯と拝所、玉垣に囲まれた本殿域のシンプルな伽藍。
後方の建物は知多市長浦公民館。
斜めから見る本殿域。
背後に写り込むものがないのは実にすっきりしていい。境内で神社の由来等の解説板は見かけなかった、この時は「まぁ後で調べればいいか」と考えていたがそれは甘かった。
地史など色々と調べて見るもさっぱり記述が見付けられない、お手上げです。
掲載用に写真を纏めていて本殿の後方にプレートがあるのに気が付く。
精一杯拡大すると小さな文字が記されているようだ、恐らくこれが縁起だったのかもしれません。
ここに祭神や創建につながる記述があるものと思います。
本殿は神明造で鰹木が6本で偶数、千木は内削ぎ、所謂女神を祀っている事になる。
この判断基準も一概にあてはまらない、創建の推定に繋がるものとして、社標が1985年(昭和63)、旗立てが1946年(昭和21)と何れも元号は昭和のものだった。やはり写真右下の縁起?を見落としたのが大失敗です。
まさか本殿後方に掲げられているとは想定すらしない、参拝する際には後方のプレートに視線を向ける事をお勧めします。
上は大正時代とほぼ現在の地図の比較。
大正時代のこの地図から、東部は宅地造成される前で、丘陵は海岸線まで迫り、大きな集落も見当たらない、西側は伊勢湾が迫り潮の香りも漂ったことだろう、この時代に鳥居は記されていない。ここに鳥居が記されるのは昭和に入ってから、西側の海が消え、丘陵地が宅地化されてからの事です。
創建時期はこの頃で集落の拡大にともない、地元の守護として祀られたのではないかと思います。
祀られている神さまは眼下の海を見た事がないかも知れない。
こんな事になるとは露ほども知らず、梅も見れたし、寺社も回れ、充実した一日だったと境内を後に長浦
駅に向かった。長浦駅から長浦神社の眺め。
コンクリートの法面が鎮座地、電車の待ち時間に参拝できる距離感です、その際は本殿後方のプレートをお見逃しなく。長浦神社
創建 / 不明
祭神 / 不明
境内社 / なし
所在地 / 知多市長浦1-346
公共交通機関アクセス / 名鉄常滑線「長浦」駅から徒歩5分程
徒歩ルート(白華山 慈雲寺より) / 西に30分
参拝日 / 2022/03/03
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