高島市マキノ町 part2 「浄土宗西方山極楽寺」

滋賀県高島市マキノ町 
part2の今回は「西方山 極楽寺」になります。
極楽寺へは前回掲載した森西薬師堂から真っすぐ進み、大處神社社頭の先が目的地。
時間にして2分も歩けば到着です。

写真は大處神社の社地北側から見る極楽寺の伽藍全景。
訪れたのは3月21日、名古屋では桜が咲き春の訪れに浮かれている頃、ここマキノ高原では御覧のように残雪がしっかり残る時期。

極楽寺正面全景(写真は二枚合成)
伽藍は正面に入母屋瓦葺の本堂と寺号標左に鐘堂、右に小さな社が祀られている。
薬師堂の本尊を調べていた際に、薬師堂の本尊は沢村の常楽寺から一時極楽寺に移された、森西山中にあった安楽寺の本尊だった等の記述に出会った。
常楽寺安楽寺ともに定かにはならず遡れなかったけれど、薬師堂の本尊が一時託されたという極楽寺を掲載しない訳にはいかない。

浄土宗西方山極楽寺本殿全景。
大きな向拝を持つ落ち着いた山里のお寺の佇まい。
檀家の減小で身近に荒廃の進む寺院があるなか、外観は傷みのない綺麗な状態を保っている。

極楽寺の沿革は浄土宗鎮西派黒谷金戒光明寺の末寺のようで、1449年(宝徳元年)に創立され当初の寺号は宝徳山と称したようです。
後の1491年(延徳3)に山号を宝徳山から現在の西方山へ改める、600年近い歴史を持つ古刹。
1578年(天正6)に本堂を再建し、その後の1775年(安永4)にも再建されています。
また、鐘堂は1717年(享保2)に再建され、吊るされる梵鐘は1719年の鋳造だという。
現在の伽藍はその後も再建されていると思われ、その時期は比較的最近の事かも知れません。

この辺りは田家氏の森西城があったとされ、土塁らしき痕跡が見られる。
ほぼ同時期に開山された極楽寺との繋がりはよく分からなかった。

門前右に祀られている社、社名札はなく、高島郡史など見ましたが詳細は分からなかった。
地元の御婆ちゃんに声を掛けられたのがこの辺りだ、今思えば聞いておけばよかった。

西方山極楽寺

創建 / 1449年(宝徳元年)
本尊 / 不明
鎮守社 / 不明
所在地 / 滋賀県高島市マキノ町森西
公共交通機関アクセス / 
徒歩ルート(森西薬師堂から) / ​​右に2分​程
参拝日 / 2022/03/03
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