滋賀県長浜市八幡東町 楽市弁才天
琵琶湖北部の南北に長い長浜市の南部にあたり、長浜城を中心とし秀吉が基盤を築いた城下町が広がる。
戦国時代に戦いの場となった歴史のある地域で、東には伊吹山を望み、西に琵琶湖と接した自然豊かな景色が広がる土地柄。
若かりし頃は若狭の綺麗な海を求め国道8号線を北上したものだ、当時は北陸自動車道が開通する以前で、国道沿いにはドライブインが多くあった時代、当時に比べ国道沿いのドライブインは姿を消し、住宅や大型店舗が連なる住みやすい町に変わったものだ。
楽市弁才天は西友を中核にした長浜楽市の駐車場に鎮座しています。
用あって偶然立ち寄り店舗入り口の鳥居に目が止まり立ち寄ってみた。
店舗入り口にさりげなく石の明神鳥居と右に「楽市弁才天」の社標は立っているが行き交う人は多いながら見向きもされないようだ。
石畳の参道のすぐ先に流造の本殿が祀られ、左手には弁天池もある。
子供達も訪れる場所柄から池はネットで覆われていた。
大きな巨岩の上に祀られた社は銅板葺の流造で内削ぎの千木、鰹木が・・・二本。
遠目に綺麗に維持されている様に見えたが、どうやら鰹木は本来4本で二本が取れてしまったようだ。
台座後方の建立銘記。
略記によれば
「此の地域一帯は淨清水湿地帯のため水神を鎮め、地域の発展と長浜楽市守護の為、都久夫須麻神社の祭神である三柱の分霊を勧請した。市杵島比売命(弁才天)、浅井姫命(水神)、宇賀御霊命(商売繁盛の神)、九ノ坪池には土地神を鎮祭する。 平成元年」
琵琶湖に浮かぶ竹生島に鎮座する都久夫須麻神社から勧請した企業社のようです。
施設は1988年に開業、その翌年に神社が建立されている、当初からその意図はなかったのかな。
上は1981年頃の鎮座地周辺。
つい最近のことながら周囲一帯には田畑が広がっていたが市街地化はこれ以降急速に進み、田畑は宅地化され地表の土壌は舗装化され湿地が消えていくのが窺われる。
水神を鎮めたくなるのもよく分かる。
嘗ては田畑が広がっていたこの地に鎮座する楽市弁才天を駐車場から眺める。
おやじの町も以前はこうした場所だった、雨が降れば泥濘になり、水溜まりはしばらく乾くことがなかった、宅地化、舗装化され地面から土壌が消えると環境は一転し、そうした事はなく快適になった。
代わりに井戸は枯れ、地表に降った雨は地中に浸み込むことなく濁流となって側溝や道路を流れる。
清水の湧き出た山裾は乾燥化して何かが変わってしまったようだ。
出生率は今後も上がることなく人口は減っていく、自然と調和の取れた開発は相反するものだろうか。
最近身近に感じる怖い光景を見ると、快適を求めるあまり一線を越えてしまった自然からの警鐘の様に思える。
楽市弁才天
創建 / 1989年
祭神 / 市杵島比売命(弁才天)、浅井姫命(水神)、宇賀御霊命(商売繁盛の神)、土地神
所在地 / 滋賀県長浜市八幡東町9-2
訪問日 / 2022/03/27
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