紅葉で知られる香嵐渓、山間を巴川が流れ、少し下流で足助川と合流し矢作川に注ぐ、夏ともなれば鮎釣りでも知られる。訪れたのは4月4日、この時期は新緑が芽吹きだし山々に桜が咲く清々しい時期。
香積寺は巴川右岸の右手に見える飯盛山に鎮座します。
山の名は仏前などに供える香飯の形に似ている事から付いたとされる。
平安時代末期浦野重遠の孫・重長が三河国足助の飯盛山に移り住み足助氏を称したことに始まり、代々この飯盛山や周辺に城を構え本拠とした、急峻な地形を生かした山城は足助七屋敷の主城とされたが足助氏滅亡後、その菩提を弔うために飯盛山城跡に創建されたのが香積寺とされる。
直ぐ東の真弓山には復元された足助城も近く、先に掲載した藤ノ木神明社の北側にあった成瀬城跡もその一つとされ、一帯には山城が聳えていた。
飯盛山周辺のマップ、香積寺は丸で囲ったあたりになります。
紅葉の時期はとんでもなく混むイメージしかないが、この時期はそうした事もなくゆったりと散策出来る。
巴川右岸に続く歩道沿いに飯盛山に向け香積寺参道が続く。
右手に1738年(元文3)の銘が刻まれた不許葷酒入山門の石標が立っている。
飯盛山香積寺の概略
杉木立ともみじの香積寺は曹洞宗の古刹。
応永34年(1427)足助氏居館跡に創建された。
開基は関白二条良基と成瀬三吉丸(尾張犬山城主成瀬家の祖)、開山は白峰祥瑞禅師。
かっては学林として栄え、時には100名もの雲水が参禅した。
もみじの開祖11世参栄禅師、画技にも卓越した25世風外禅師は有名で風外禅師の絵を多数所蔵する。
総門
切妻瓦葺の薬医門は江戸初期のものとされ、紅葉の時期や新緑の頃には趣が増す。
香積寺の見所といってもいいだろう。
総門から淡い緑が芽吹きだした巴川方向の眺め。
静けさに包まれ、新緑と桜に彩られたこの時期の門もいいものです。
参道が本堂方向の伽藍。
寄棟の本堂と右側に鐘楼、その奥に庫裏、本堂左に手水舎と僧堂が主な伽藍。
寺号の香積寺は維摩経香積仏国品を典拠として名付けられたという。
概略にもあったように、香嵐渓のもみじの始まりは参栄禅師が巴川沿いの参道に植えたのが始まりで、その後大正末期から町民による植樹活動により今の姿となった。
香嵐渓の始まりは昭和5年に香積寺の香と嵐気の嵐の二文字を取って「香嵐渓」と名付けられたという。
飯盛山のカタクリの群生地も住民の活動による賜物だ。
境内左側に朱塗りの鳥居があり、飯盛山中腹の奥の院に参道が続く。
寄棟瓦葺の本堂は1722年(享保7)のものとされ大棟には鯱が乗せられている。
手水舎から本堂方向。
手水舎と僧堂。
切妻瓦葺で1820年(文政3)の棟札が残ると云う。
僧堂入口の解説。
この地に現存する江戸後期の建造物では唯一のもののようだ。
堂内に安置される文殊菩薩。
どこぞの国で人を恫喝する険しい表情の指導者、鏡に映る自分の顔と見比べてみたらどうか、座禅でも組み現実を見つめ直したらどうか。
境内右に市文化財の木造毘沙門天立像と本尊聖観世音菩薩の解説。
木造毘沙門天立像。
平安時代に作られたものとされ、庫裏の土間に安置されていた。
本堂の棟に乗る鯱と下り藤の紋。
本堂の山号額。
内陣の寺号額。
穏やかな表情の本尊聖観世音菩薩。
本堂左の朱の鳥居は豊栄稲荷。
ここから更に左にもう一つ鳥居がある、飯盛山中腹に向かって参道が続き奥の院に繋がる。
奥の院への参道入口。
右の手水鉢は側面に文字が刻まれているが元号部分が欠落し判別できなかった。
鳥居左に宝物庫と弘法堂。
ここから登りが始まる。
参道途中には歴代禅師、鈴木家五代の墓、装束塚などが急峻な斜面を均して祀られている。
十六羅漢像と歴代禅師の供養塔、ここには開祖白峯禅師、もみじの開祖11世参栄禅師、数々の作品を残した25世風外禅師の供養塔がある、石灯籠は1749年(寛延2)に寄進されたもの。
鈴木五代の墓。
室町時代から戦国時代にわたり足助城に在城しこの地を治めた鈴木氏五代の墓。
装束塚。
京の戦乱を避け当地を訪れた二条関白良基、足助次郎重範は待女に娘の滝野を仕えさした。
やがて二人に三吉丸(後の基久で犬山城主成瀬家の先祖となる)を授かる。
戦乱は収まり良基は一人京に戻るが、滝野はこの地に残されやがて良基の死を伝え聞く。
滝野は良基の残した装束をここに埋めたとされ、ここには足助次郎重範、滝野、成瀬基久、基直が眠る。
豊栄稲荷奥の院。
こうした参道を登る事10分程だろうか。
参道の行き止まりの斜面に覆屋が建ち、中には小さな狛狐が安置された社が祀られている。
上
燈籠は1724年(享保9)に寄進されたもの、創建等詳細は不明。
本堂は随分と下にある。
下
奥の宮から戻る途中の参道から眺める香積寺の伽藍。
既に北斜面のカタクリ群生地を徘徊してきた足には少しつらいものがある、所に依り滑りやすい場所もあり手摺もないので甘く見ると転倒につながる。
境内に戻り、手水舎の下から右に下る豊栄稲荷の参道を下りて行きます。
巴川沿いの散策路に出る、そこには苔庭と25世風外禅師の碑が建っていた。
宗派 / 曹洞宗