八柱神社を訪れたのは4/4、穏やかに流れる犬伏川の堤沿いの桜並木は桜の花が見頃を迎えていた。
県道486号線を南下、犬伏川に架かる落合橋を越えすぐ左に写真の八柱神社の社標が立っている。
ここから左折し御作公民館方向に車を進めると八柱神社が鎮座する。
八柱神社全景。
西側は田畑が広がり、田畑の外れに大きな巨樹が聳える森がある。
樹々に包み込まれる様に八柱神社が鎮座します。
右側には先ほど越えたはずの犬伏川が間近を流れている、対岸の小高い山〃は河岸まで迫っている。
社頭全景。
常夜灯の先に明神鳥居、杉の巨木が並木となり拝殿に繋がっている。
社頭左に手水舎、近年建替られたようで新しく立派なもの、ここも龍はお休みだ。
石の明神鳥居に掛けられた「八柱宮」の額。
離れて見た境内の印象は暗いイメージでいた、杜の樹々が一定の間隔を持っていることもあり外光が入る明るい境内。
社頭右の由緒書き。
「九等級 八柱神社 旧指定村社
鎮座地 豊田市御作町小子191番地
祭神 天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、熊野樟日命、湍津彦根命、市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命
由緒 社伝に、安元三年(1177)九月一八日、山内摂津守正信がこの地に来住し鎮守の神として勧請した。
爾来住民の崇敬厚く、明治六年村社に列し大正四年九月二十三日指定社となる。
境内社 神明社、八幡社、八剣社、洲原社、秋葉社、稲荷社、御鍬社、金刀比羅社、津島社が祀られ、
それらは一六五四年から一八三六年にかけて創建された。
昭和四十七年七月一三日、奥三河地方大水害により社殿を流失。
住民総意のもと昭和五十一年二月七日工事着工、同年十月一八日新社殿が竣工した」
水害とは昭和47年7月豪雨を指しているのだろう。
由緒に移転や補修の記録はないが、安元三年の創建から延々と鎮座、崇敬され続けた神社も聞き慣れた「経験のない豪雨」には為す術もなかったようです。
古くから鎮座する寺社周辺は安全と信じて来たが、やたら耳にする「経験のない」言葉や事象からそうした事も妄想でしかないのかもしれない。
被災後神社は立派に建替えられ碑が残された、この地を担う次の世代への継承(警鐘)として有意義な事だ。
参道中程から見る社殿。
杜を形作る樹々の高さには目を見張るばかりだ、社殿が小さい訳でもなく山間に佇む神社としてはむしろ規模は大きい。
拝殿付近に建てられた由緒書き。
社頭のものと同じ内容のものだ。
社殿全景。
拝殿、幣殿、覆殿が繋がり本殿脇の左右に境内社が祀られている。
御作の欅。
拝殿手前に聳える樹高27.7㍍、樹齢約400年とされる欅。
新芽が芽吹く前で枝の一本〃がうねる様に伸びる姿に自然の力強さが伝わってくる。
今頃は新緑に包まれている事だろう。
境内にはこの欅以外にも樹齢200年以上樹高35㍍を越える杉などが杜を形成している。
拝殿全景。
切妻平入の銅板葺の二重屋根で大棟から切妻の向拝が続く鉄筋コンクリート造りのもの。
水害で社殿を流失した過去を踏まえての選択なのだろう。
杜はその水害を耐え抜いたという事だろう。
拝殿前の狛犬。
1959年(昭和34)に寄進されたもので目つきが鋭いもの。
向拝から杜を見上げる、真っすぐに空に伸び続ける杉の巨木(御作の杉)。
拝殿額「八柱神社」
左三つ巴が神紋のようだ。
拝殿から渡廊を介し入母屋平入の幣殿、覆殿に繋がる。
大きな本殿を覆うだけに覆屋は社殿の中で一番高く立派なものだ。
右に境内社三社祀られている、右側の小さな社は三社相殿で社名札はあったが読み取れなかった。
ここだけで5社が祀られている。
本殿、三間社流造。
本殿左の境内社。
ここに6社祀られ、右の大きな社二つは右から八幡神社、八剣神社。
八剣神社から左の社、御鍬社、金刀比羅社、左二つは退色も進み読めなかった。