岐阜県瑞浪市 耳ノ木神社

岐阜県瑞浪市土岐町「耳ノ木神社」
 一日市場八幡神社から下街道を10分程西に向け進む。
途中の松阪町西交差点の津島社、御嶽神社の鳥居を過ぎ間もなくすると右手に常夜灯が見えてくる。

「耳ノ木神社」社頭全景。
 街道筋の民家の間に山の斜面に石段が続きその最上段に覆屋が建つ。

常夜灯の寄進は明治の頃、四十とあるがその下がよく分からなかったが1900年代初期に寄進されたもの。

境内右の石碑。
 耳ノ木神社建立に伴い寄進された方々の名が刻まれている、表には寄進年度は見当たらなかった。
碑の表面は時の経過により苔むし趣のある姿をしている。
 後方に「一日市場区 耳ノ木神社」の看板が立てられている。
社標も鳥居もない社頭、神社名を知る術は唯一「土岐地区まちづくり推進協議会」の地道な活動によるこの看板のみ。

覆屋に続く石段。
 訪れた当日は石段中央に朽ちた木が置かれていた、丸太鳥居の名残かも知れない。

石段の右にも寄進者の名が刻まれた碑が立てられている。

覆屋右の斜面に石の祠が祀られています。
 「山神社」とある。
祭神は大山津見神かと思われますが、いつ頃祀られたものかなどの詳細は不明。

岐阜県神社庁で耳ノ木神社の由緒として以下のように記されていた。
「常盤姫の哀話に因むお社

耳ノ木神社という珍しい名前の神社ですが、それには次のような言い伝えがあります。
 今から約700年程前、明智の豪族の娘、常盤姫がこの地を領していた土岐頼兼の妻となりました。
或る時、姫の衣擦れの音をおならの音と聞き違えた家臣達から嘲笑を受け、それを苦にして川に身を投げてしまいました。
 その時、杉の若木を切って杖にしていたのを川岸に突きさして置いたのですが、それが根づいたのを見て、人々は姫の潔白を知ったのです。
そして自分たちの耳の誤りを深く恥じ、そこに耳木神社を建てたというのです。
 祭神は高御産巣日之神(タカミムスビ)という古事記の最初に出てくる神。
天文9年(1540)奉上葺耳木大明神の棟札があることからも古い由緒をもつ神社と云える」

 高御産巣日之神は天地創世・天地開闢(かいびゃく)神話のなかで、天地のはじめに高天原に出現した造化三神で、天之御中主神(アメノミナカヌシ)の次に現れた第二の神で五穀豊穣、無病息災・延命長寿にご利益があるとされる神とされる。

覆屋の中に祀られる檜皮葺きの流造の社は大きなものではないが、高欄や脇障子がつき、木鼻に獅子と象、向拝に龍の透かし彫り、脇障子に彫など施され手間をかけたもの。


 訪れた時は雑草が茂り、奥に踏み込む気になれなかったが、往古の先人達や多くの寄進者の思いから祀られた神社、本殿や覆屋を見る限り今もその思いは受け継がれている。

耳ノ木神社

創建 / 天文9年(1540)の棟札が残る
祭神 / 高御産巣日之神
境内社 / 山神
所在地 / ​​​​ 岐阜県瑞浪市土岐町476-1
訪問日 / 2022/04/30