海潮山 磐台寺 阿伏兎観音堂

広島県福山市沼隈町能登原阿伏兎『海潮山 磐台寺』

「道の駅 アリストぬまくま」で車中泊、迎えた二日目は県道47号線を10分程南下した阿伏兎観音に向かう。

阿伏兎観音無料駐車場の目の前は阿伏兎の瀬戸と呼ばれる水道。
 遥か先に広島県福山市の沼隈半島と田島を結ぶ全長832㍍の内海大橋が望める。
狭い水道は干潮の潮止まりだったのかもしれないが実に穏やかな表情をしていた。

 阿伏兎ノ瀬戸
阿伏兎岬と田島の間の水道で幅は約500㍍、長さ約1㌔に渡り急激に海が狭められ、干満差が大きく満潮時には左方向、干潮時は右方向に潮流が生まれ速い潮の流れは美味しい魚を育む事にもなる。
 動力のない昔の船は潮任せ、風任せで自然を利用し航海していた、潮や風が動いていない時は港でその時を待つ潮待ちを行っていた。

駐車場背後の阿伏兎山は海に向かって急激に切れ落ち、露出した岩は海岸にまで達している。
 ここから阿伏兎山森林自然公園の散策路入口があり、阿伏兎灯台や展望台に繋がるようですが、入口のルート案内の状況を見ると整備状況はいいとは言えないかも知れない。
 この駐車場まではトモテツバスが繋がっていますが、ダイヤを見ると本数は少なく車で訪れるのがいいかも知れない。
旅館を通り過ぎた先にも4台ほどの駐車場はあるが、歩く時間は2~3分程しか変わらないだろう。

駐車場から『海潮山磐台寺』へは海岸沿いの車道を5分程歩いていけば突きあたりが目的地。

道沿いの1795年(寛政7)の銘のある宝篋印塔と右に薬師如来坐像

臨済宗妙心寺派 阿伏兎観音 磐台寺』
 拝観時間は朝8:00から

石段左の境内マップ
 阿伏兎山が切り立った海岸に切れ落ち、伽藍はその僅かな空間に作られています。
白壁の右は切れ落ちた海岸になっている、奥行きはあるが細長い境内。

拝観料100円を納め境内へ。

磐台寺境内。
 正面の朱の建物が観音堂で左手の廻廊と結ばれている。
左手の客殿全体がフレームに入らないほど境内は狭い。

海潮山磐台寺客殿。
 磐台寺は臨済宗妙心寺派の寺院。
本尊は木造薬師如来
備後七ヶ所巡禮の瀬戸内三十三観音霊場第24番、備後西国三十三観音霊場第4番札所でもある。

暦応年間(1338~1342)覚叟建智が開いたと伝えられ、一時衰退し建物は荒廃したという。
 元亀年間(1570~1573)、毛利輝元により観音堂と共に再建されたとされる。
入母屋瓦葺で内部は仏間を中央に左右に書院と奥の間を配した方丈建築。
 後方の社は鳳凰稲荷、ここから左に参道が続く。

阿伏兎 名勝 鞆公園内 大正14年10月8日指定
 けわしい海食崖が続く沼隈半島の南端、阿伏兎岬は奇勝として知られ、岬突端の断崖に立つ磐台寺観音堂は阿伏兎観音と呼ばれ、昔から海上交通の人々の信仰を集めて来た。
 観音堂は、寛和の頃(986)花山法皇が一帯の海上を往来する船の航海安全を祈願し岬の岩上に十一面観音石像を安置したのが開基。
 後に毛利輝元が再興、福山藩主水野勝種によって伽藍が整えられた。
観音堂と客殿は室町時代の建築様式で知られる。
 本尊の十一面観音は小授け・安産・航海安全の祈願所として広く信仰を集めてきた。
朱塗りの観音堂は、海からの眺望は絶品で、眼下に広がる燧灘の展望も素晴らしい。

 観音堂を支える石垣はまるで城壁。
もともとの岩盤に石を積み上げたものですが、境内側と海側の積み方の巧みさには目を見張る。

白鳳稲荷。
 銅板葺の流造で外削ぎの乗せ千木と三本の鰹木が乗る。
佇まいは稲荷を感じさせない。

手前に手水鉢、地蔵菩薩。 

ここから廻廊を経て観音堂に続く。 

廻廊から観音堂(大悲閣)
 阿伏兎岬先端部の岩上に石が積まれその上に観音堂と廻廊が建つ。
境内側は大小様々の石が積まれた乱積みだったが、海側の石積みは成形された岩が巧みに積まれたもの。
 仰ぎ見る巨岩の上に建つ観音堂は一見すると方型の様に見えるが、小さな大棟を持った瓦葺の寄棟造。
大棟には鯱が乗せられている。
 廻り縁はあるものの高さは低く怖そうな予感がする。

廻廊から海の眺めは絶景だが、下は垂直に切れ落ちている。

観音堂廻り縁、ここからは土足厳禁。
 なんですが写真の縁側の傾斜を見て欲しい、僅かに外に向け傾斜している。
多くの参拝客が訪れ縁側の表面はツルツルに磨き込まれ、高所恐怖症でなくても立って歩くのは引けてしまう。
 左は断崖、立ったまま眼下を覗き見ると体が吸い込まれるようでもある。

廻り縁から見る燧灘と手前に足摺山の石塔。

観音堂から望む足摺山の石塔、こちらも巨岩の上に立てられている。

観音堂内。
 本尊は天正年間(1573~1592年)に阿伏兎沖の海中で、鞆津江の浦の漁師三山次郎右衛門の網にかかり

引き上げられた観世音菩薩の石像。
堂の格天井には天井絵が描かれている。
 小授け・安産のご利益がある事からユニークな形の絵馬には母ならではの願いが書かれていた。

廻り縁から阿伏兎ノ瀬戸方向と精一杯下を覗いてみる、・・・・怖いかも。 

今は阿伏兎灯台が岬の高みに立っているが、往古の海を行き交う船にとって、断崖の頂に建つ朱塗りの堂は絶好の山たて(道標)になったことだろう。

 磐台寺と観音堂の全景を撮影するには内海大橋を渡り、田島側から撮るしかないのだろう。

廻廊を下り右手の石段を下り足摺山の石塔に向かう。

廻廊降り口は鐘楼になっていて梵鐘の鋳造年度は1984年(昭和59)と新しいものだった、その先に六地蔵が祀られている。 

断崖沿いに鎖が張られた歩道があり突き当りが足摺山。

足摺山石塔。

下には1903年(明治36)に鞆の石工により彫られた千手観世音菩薩坐像が安置されている。
 力こぶを見せつける様な姿は印象的だ。

ここから眺める観音堂が境内で一番綺麗に見える場所かも知れない。
 航海の安全を祈願する、その思いから建てられた観音堂、どれだけの岩が積まれたのか分からないが思いを持った時の人の作り出すものには目を見張るばかりだ。 

・・・・角っこは宙に浮いていたのねぇ、積まなかったのには意味があるのだろう。
 広島県沼隈郡誌によると現在の観音堂は1738年(元文3)、鞆奉行加藤杢兵衛忠保が藩命により改築し、その後幾度が補修が行われた。観音堂の天井絵は松林により描かれたとあった。
 また面白い記述として観音堂の沖を往来する船舶は海上安全を祈願し賽銭を投じていたという。 

今から200年ほど前、晩年の歌川広重が六十余州名所図会に描いた備後阿武門観音堂
 朝が迫る阿伏兎観音を描いたものだろう、観音堂の上には落ち行く月が描かれている。
この絵を見る限り当時は舞台造りだったのが分かる。
 広重は船から眺めた観音堂の姿を描いたのだろう。
写真などない時代、見事に特徴が描かれている。

境内の端っこでひっそり安置されている十一面観世音菩薩立像。
 網にかかった石像はこんな姿をしているのだろうか、実に穏やかな表情をしている。
磐台寺を後にする際に写真に残しておきたかった表情です。

海潮山 磐台寺
宗派 / 臨済宗妙心寺派
開基 /  花山法皇
本尊 / 十一面観音
創建 / 986年(寛和2)
所在地 / ​福山市沼隈町能登原阿伏兎1427-1
参拝日 / 2022/04/20
道の駅アリストぬまくま👉​磐台寺無料駐車場
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