西区枇杷島 「秋葉神社」

名古屋市西区枇杷島4の神明社から東に5分程。
 白菊公園の西の住宅街、建物に挟まれた奥まった場所にひっそりと「秋葉神社」が佇む。

道筋に掲げられた「秋葉神社 白川二部町内会」の看板を見逃すと恐らく気が付かないだろう。

秋葉神社正面の眺め。
 社は左の民家の奥まった場所に祀られているようだ。

近付いて見て初めて分かる、身の丈程の高さに櫓が組まれ、その上に覆屋が設けられている。

覆屋を支える高さのある櫓の下はかがり火台が置かれるなど、奥行きを有効に生かすための策なのかもしれない。
 入口の扉は施錠されていないものの気が引ける雰囲気がある。

精一杯寄った社は鰹木が4本、内削ぎの千木が付く神明造のように見えます。

 社名札は見当たらないが「秋葉神社」とあるので火之迦具土大神を祀るものと思われます。

いつ頃祀られたものか調べて見るも定かにはならない。
 左が明治26年頃の枇杷島周辺、美濃路沿いに集落が連なり、秋葉神社の鎮座地は美濃路の北外れにあたり、当時まだ町割りもされていない事から遡っても大正、昭和に入ってからかもしれない。
 何れの時期にしても、ここに集落が集まりだし火伏の神が必要だったのだろう。
高い場所に祀られた社ですが綺麗に手入れされ、今も町内で神社当番を回しているのだろう。

白菊公園付近で見かけた白菊町の謂れ。

 過去に瑞穂区『嶋川稲荷』で白菊の琵琶と枇杷島の由来について触れたことがあります。
藤原師長は1138年(保延4)藤原頼長の次男として生を受け、保元の乱のあと土佐に配流された
 後に白河院政のもとで太政大臣従一位となるも、1179年(治承3)平清盛のクーデターで当地に配流された
配流後の龍泉寺で理覚と改め出家、仏門に入る。
 箏、琵琶の演奏に優れた才能を発揮、彼の琵琶は「白菊の琵琶」と呼ばれ、1181年(治承5)清盛の死後、京へ召還となります
師長に仕えた村長の横江氏の娘に白菊の琵琶を形見として残します
 娘は現在の枇杷島まで師長を見送り、悲しみから琵琶と共に身を投じました。
それと共に師宣の琵琶は幻の琵琶となります。(後に白菊の琵琶は宮内庁所蔵と判明)
 1192年(建久3)55歳死去。法名は理覚、号は妙音院。
妙音通、師長町、枇杷島の町名や神社から南の山崎川に架かる「師長小橋」などこれらは藤原師長にちなんだものと云われます。」
 この地が分かれの場となった場所と言い、一部に残る白菊の名はこの白菊の琵琶から来ているもの。


秋葉社
創建 / 不明
祭神 / 火之迦具土大神
参拝日 / 2022/06/03
所在地 / ​名古屋市西区枇杷島3-17-18
公共交通機関アクセス / 地下鉄​鶴舞線浄心」降車​西に徒歩25分前後
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