名古屋市西区枇杷島3の秋葉神社から北に進み、幼稚園南の筋を左に進むと左側に石鳥居が立っています。
神社である事に違いはないのでしょうが社号標などがなく社名は分からない。
グーグル先生に聞けば「神社」としか表記されずつれない返事だった。
通りから神社の眺め。
住宅街の路地左側に石鳥居が立てられています。
「神社」全景。
石の神明鳥居があり、そこから右の境内に小さな山が築かれその頂に流造の社が祀られています。
鳥居正面の石標には「四国八十八ヶ所、西国三十三ヶ所御砂」と刻まれ、社号標ではなかった。
社地が民家の敷地の中にあり、ずかずか立ち入るのは気が咎め社頭から眺めさせて頂きました。
弘法大師と所縁のある西国遍路。
歳と共に足腰は衰え、遠く離れた西国霊場を踏みしめる事は出来なくなるものだ。
ここは各霊場の御砂と本尊又は掛け軸を纏め、地方にいてもここで拝む事で巡礼したと同等の御利益を得る事が出来る御砂踏み道場とみえる。
右手の小山は御嶽神社でいいだろう。
麓から頂にかけて複数の行者像と霊神碑が安置され、山丸三の紋が見られる。
右側には1930年(昭和5)に寄進された「御嶽開山覚明霊神 150年祭記念」の石標が立つ。
霊峰御嶽は覚明霊神が行者として1782年(天明2)に黒沢口登山道を開き、後の1792年(寛政4)に普寛行者が王滝口登山道を開いた山、それにより御嶽信仰や講が全国に広まり一般にも登拝が浸透していった。
講は大きく分けて開山した覚明系と普寛系の二つに分かれ、宮丸講、福寿講、心願講、日出講などの講社に分かれていくようです。
覚明霊神の俗名は丹羽仁右衛門、1719年(享保4)、現在の春日井市牛山町で生を受けます。
春日井市牛山町の天神社には覚明霊神の像をはじめ生誕地の石標と顕彰碑などが見られます。
また、ここから南に鎮座する清恩寺には覚明行者が剃髪した「覚明行者剃髪道場舊跡」の石標もあるようで、枇杷島と御嶽開山の祖覚明霊神は所縁の深い土地柄。
生誕地の春日井や周辺で御嶽神社をよく見かけるのもそうした事もあるのだろう。
御嶽神社本殿。
左右に小さな狛犬がいますがこれ以上寄れず寄進年度や表情などは分からなかった。
山岳信仰では宗教観を絵に表した曼荼羅が描かれます。
御嶽なら御嶽山曼荼羅、白山なら白山曼荼羅、冨士なら・・・・曼荼羅は多い。
実際に御山に登拝し、目の前の雲海に後光のさす姿が現れれば神仏の存在を感じたに違いない。
難しい言葉や文字で見た事もない宗教観を語られてもわからない、絵や自然がもたらすそうした事象は何より神仏の存在を受け入れやすい、山に登るとなんとなくそんな気にさせるシチュエーションに出会った事はないだろうか。
枇杷島の御嶽神社全景。
岩の積まれた小高い御山は、里と山に生まれ山に戻る故郷の霊峰御嶽を繋ぐ扉なのかも知れない。
御嶽神社から西に進んだ三叉路の角に延命地蔵尊が祀られていた。
詳細は分からないが堂内に二体のお地蔵さまが安置されていました。
左のお地蔵さまは表情も読み取れず古さを感じる、ここは二人分の賽銭を奮発しお互いの無病息災をお願いしておこう。
上は今回枇杷島を訪れ参拝した三社を地図に落として見ました。
「御嶽神社」
創建 / 不明
祭神 / 不明
参拝日 / 2022/06/03
所在地 / 名古屋市西区枇杷島4-6-17
公共交通機関アクセス / 地下鉄鶴舞線「浄心」降車、西に30分前後(神明社👉秋葉神社経由)
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