「住吉神社と胡神社」

広島県福山市鞆町
 陸奥稲荷神社を後に潮の香漂う鞆の港沿いを左に見える常夜灯方向に進む。

港の船着き場に鳥居も社標もない小さな神社が鎮座する。
 港の通り沿いに唐突に小さな狛犬が神社を守護している。
神域は石垣が積まれ玉垣に囲われているが、通りと社地の区切りがないので、社頭前を通り過ぎる車や観光客など、小さな狛犬に息抜きする暇はないだろう。
 出勤や登校時の通りすがりに何気に手を合わせて行ける日常生活に密着した身近な神社の姿。

鳥居はないと書きましたが、過去には鳥居があったようで、阿形の狛犬の前に置かれた笠木はそれを物語ります。
 こうなった経緯は分からないが社地と道路の区切りがないだけに鳥居は建てにくいだろう。

働き者の小さな狛犬

 尾をピンと上に立て、大きな球に両前脚を乗せた姿。
台座には1877年(明治10)と刻まれていた。

本殿は銅葺屋根の入母屋平入で向拝が付く。
 社名札はないものの本殿前に嘗ての鳥居に掲げられた扁額が立てかけられていた。
そこには「住吉大明神、蛭子神社」と刻まれていた、二社相殿のようだ。

鞆ノ津の力石。
 尾道住吉神社で見かけた力石、ここ鞆の住吉神社本殿域にも安置されていた。
力石は重要民俗文化財に、玉垣の黒いプレートから神社が伝統的建造物(89)に指定されているのが分かる。
 こうした黒いプレートは鞆の町を歩いているとそこかしこで見かける事になります。

神社の創建由緒等、広島県沼隈郡誌(大正12年発行)の頁をめくって見た。
 社名の記述はあったものの欲しい情報は得られなかった、狛犬が寄進された1877年(明治10)が一番古い物か。
福山観光協会の紹介では「現在の社は鞆の名士、林家が建立した」とあった、創建は江戸時代まで遡るようです。

住吉神社蛭子神社
創建 / 不明
祭神 / 住吉三神
所在地 / 広島県福山市鞆町鞆865
陸奥稲荷神社から徒歩 / ​港沿いに5分程

住吉神社から雁木が続く港沿いに進むと焼き板塀の黒と白壁のコントラストが新鮮な蔵が現れる。

 なんでもドラマのロケとして使われた場所らしく、ここだけにとどまらず鞆の町にはこうしたロケ地が各所に点在するようです。
 この案内板の先にも一社祀られています。

胡神社。
 鳥居の痕跡は見当たらず、こちらも住吉神社と同じ佇まい。
町内の氏神さまのようで、西町氏子中と刻まれた玉垣が誇らし気だ。

胡神社の本殿は銅板葺の流造。

 通りと社地を隔てるものはなく、住民にとっては身近な神社だ。
この神社も伝統的建造物(121)に指定されているようです。

 玉垣の前の狛犬は、大きさ・容姿ともに住吉神社狛犬とよく似ています。
同時期に寄進されたものだろうか。
 このちびっこい狛犬、神社を守護しながら路上駐車にも気を配らなければならないようだ。

胡神社の創建についても広島県沼隈郡誌に名はあるがそれ以上のものは得られなかった。
 
胡神社について以下の記述を見付けた。
 「江戸時代前期の古史にも記述がある神社で西町の氏神様として崇敬されている。
港を生業とした商人たちの商売繁盛を祈願して祀られたもの」

どうもスッキリしない、伝統的建造物としてシリアル番号が打たれているので指定内容等問い合わせしています、そこで教えて頂いた内容は後日加筆しておこう。

胡神社
創建 / 不明
祭神 / ゑびす
所在地 / 広島県福山市鞆町鞆859
住吉神社から徒歩 / ​​港沿いに1分程

 上は鞆の町なかの人一人通るのがやっとの狭い路地で見かけた神社。
鳥居には1862年(文久2)と記されていたが詳細は不明、この神社に至っては所在地すら思い出せない。

 昔の風情が残る歴史の町鞆は見所満載、朝陽や夕陽を浴びると全く違った表情を見せてくれるだろう。
各所に案内板やマップが整備されていますが、マップにも記されない小さな神社含め全てを訪れるには一日では到底足りないだろう。
 滞在最終日、まだ一之宮を二社参拝する予定だ、そろそろ鞆の町を後にしよう。

訪問日 / 2022/04/20
関連記事 / 

owari-nagoya55.hatenablog.com