「窪田神社」四日市市久保田

三重県四日市市久保田「窪田神社」
 近鉄名古屋線四日市駅から徒歩30分程西の三滝川右岸堤防の手前に鎮座する。

三滝川。(久保田橋下流から上流の眺め)
 西方の御在所から湧き出た水は窪田神社の背後を流れ、四日市市内を経て四日市港に流れ下る2級河川とか。
堤から川面を眺めると以外に澄んだ流れ、神社に向かう前に河原に下りて涼んで見た。  

 四日市はどうしても過去のイメージが付きまとうが、こうして見る空も水も青々として今では四日市港から三滝川を遡上するアユの姿も見られると云う。
過去の負のイメージは微塵も感じさせない。
 この写真の堰堤、御存知の方も多いと思いますが、風船のように内部に空気満たし堰を形作るもの。
こうして溜められた水は導水口から取り込まれ田畑を潤し、町内に流され涼感を与えてくれる。

上は1898年頃の久保田橋界隈(左)とほぼ現在。
 当時は久保田橋もなく、三滝川右岸の久保田集落と左岸の野田集落以外は田んぼの広がる一帯。
先程の堰から取り込まれた水はこれらの水田を潤す事になる。
 
 随分と寄り道してしまったが窪田神社の話に戻そう。
上の地図に窪田神社の位置をマーキングしてみた、明治31年の地図にも鳥居の印を見ることが出来た。

三滝川右岸堤防道路。
 なんとこれで国道(477号線)なんだと云う。
窪田神社は右手側道の横になります。

側道を下りた久保田町
 柳通りから北に入った道路に面し窪田神社の社頭がある。
堤防と柳通りの間に鎮座し、社殿は大きな樹が聳えた杜に包まれている。
 駐車場は見当たらなかった。

社頭から境内の全景。
 社標としては立てられていないが、右の幟立てに「窪田神社」と刻まれていた。
常夜灯の先に石の神明鳥居、その先が拝殿、本殿の伽藍。

境内右に手水石。

拝殿正面全景。
 切妻瓦葺で軒先を長くして向拝を設けている。
神紋は鳥居に刻まれていた左巴の紋だろう。

社殿全景、といきたいところですが左右に樹々が迫り本殿の姿まで入り切らない。
 窪田神社の創建等の詳細は定かではなく、一説によれば1926年(大正15)に四日市市赤堀の八坂神社から分祠したとある。
地図が発行された明治31年には既に鳥居の印、境内の燈籠の1854年(嘉永7)などから八坂神社から分祀されたことは事実だと思いますが、それ以前から存在し江戸時代まで遡る神社のようです。
 それは何だとなるが分からない。

拝殿横から本殿域。
 神明造の本殿は鰹木5本、千木は外削ぎで、本殿域には燈籠、狛犬が安置されているようだ。
祭神は健速須佐之命の一柱とされるようです、分祀年度や地図の履歴から一柱ではないような気がする。

社地左側から社殿の眺め。
 左手に澄んだ小さな流れが続き、そこには小魚も泳いでいる。
右手の看板が神社の由緒?と期待したがそれは外れだった。

三滝川「石垣井堰」からの取水口
「農業用水に供するため、三滝川に堰を造り、そこから左岸の野田側と右岸の久保田側に水を取り入れている。
 ここで取水した水は、久保田と芝田の田を灌漑している。
この堰は「石垣井堰」と呼ばれ、河川改修に伴う井堰を造り替える工事が、2000年(平成12)から始まり、2003年(平成15)に完成した。
 現在久保田、野田の自治会が維持管理している。
堰はゴム堰で、いわば風船を膨らませた形で川に堰を造り取水している。
 表面水、伏流水両方の水を取り入れているが、きれいな水が流れ込んでおり、上流部では源氏ボタルのえさにもなるカワニナが生息している。
この川の流末は阿瀬知川になっている」

市内を歩いていると阿瀬知川を至る所で見かける。
 街で見かける淀んだ汚い水ではなく、三滝川の澄んだ水が導かれ適度の流れを持つもので、横を歩いていても酷暑が続く毎日ですが、見た目体感ともに涼やかだ。
淀んだ汚い川には蓋を被せ暗渠にして見えなくする手法より、川を綺麗にして絶え間なく水を流してやる前向きな取り組みだと思う。
 子供の頃身近にあった川も今や三面コンクリートになり、遠ざけられ危ないものの様に扱われている。
親水の中から学ぶ事は多いのだが・・・学ばせるより排除する方が容易だし金を生まない事もあるんだろうね。
 ひょっとすると四日市市内に蛍が飛び交うのも夢ではないのかもしれないね。

窪田神社
創建 / 不明
祭神 / 健速須佐之命
所在地 / 三重県四日市市久保田2-17-18
公共交通機関アクセス / ​近鉄名古屋線四日市駅西に徒歩30分程
訪問日 / 2022/06/10
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