「井具羅神社」三重県四日市市

三重県四日市市伊倉。
 既に掲載した窪田神社から南西に10分程の住宅地の広がる一画に「井具羅神社」が鎮座する。

社頭に続く道は御覧の様に右に畑、左に幼稚園と挟まれるように社地かある。
 南側の通りから眺める社頭は、狭い通りの先に鳥居があり神社の存在は分かり難いかもしれない。

上は前回使用した1898年(明治31)の当地の地図とほぼ現在の地図。
 北を流れる三滝川の南に広がる水田地帯に伊倉村の集落があり、村の西外れに鎮座しているのが分かります。

現在の伊倉は1889年(明治22)に赤堀村、中川原村、芝田村、伊倉村、久保田村、大井手村、松本村の7ヶ村が合併して三重郡常磐村になったという。
 石垣井堰の解説にあった「常磐のまち」はこの常磐村を指しているのだろう。
その後1941年(昭和16)に四日市市編入され常磐村は廃止、常盤地区と呼ぶ様だ。

伊倉に鎮座する井具羅神社、伊倉が転じ井具羅神社になったのか、井具羅神社から転じ伊倉となったのか定かではないけれど何か関連がありそうです。 

狭い通りを抜けると境内が広がり、その入口に白い狛犬が安置されている。
 左の阿形は葉に遮られ顔を見せてくれていない。

社頭全景。
 神明鳥居の先に広がる境内は左側が公園にもなっているようです。
隣が幼稚園という事もあり子供達の活気のある声が良く聞こえてくる。

境内に入り左の建屋は井戸の様に見えますが、全周玉垣で囲われた手水舎のようです。
 ここに来るまで目にしなかった井具羅神社の社標もここに立っていた。
左に案内板もある。

囲われた手水舎の中の手水鉢、余程古い物かと屈んで側面を眺めるもそんな感じでもないようだ。
 

脇に立つ案内板は「井具羅神社由緒」
 内容は以下。
「神社は伊勢国三重郡大字伊倉村字川嵜にある。
 祭神は「健速須佐之男命」。
勧請年月日は不詳だが古来より現在の東隣の巨大老松の中にあった。
 明治2年(1869)11月井具羅神社と改称。
明治6年(1873)3月20日に伊倉村村社となる。
 明治21年(1888)町村制公布、明治22年(1889)4月1日、伊倉村は中川原村、久保田村等7ヶ村連合で常盤村へ。
 後に明治政府の一村一社の令により明治40年(1907)9月26日、三重郡大字伊倉字浄裕の無格社山神社、祭神は「大山津見神」を合祀、井具羅神社と単稱とした。

明治40年(1888)町12月12日、赤堀村の八阪神社(常盤村村社)に合祀された。
 以後氏子は遠離につき参詣が遠のき、敬神の念が次第に薄らいだ。
昭和2年(1927)3月12日、この地に井具羅神社を新築、八阪神社から分祀し現在に至る」

八阪神社はここから赤堀方向へ歩いて30分程の位置になる。
 由緒にある「東隣の巨大老松」は何処を見渡しても名残らしきものは見当たらなかった。
身近にあってなんぼの集落の守り神、分祀した動機はよく分かる。

拝殿。
 切妻瓦葺のシンプルな趣が漂う。
昭和2年(1927)に新築とあるので建物は綺麗、手入れされた境内と相まって心地いい環境です。
 子供らを遊ばせるにはいい空間か。

伽藍全景。
 拝殿から本殿は壁でぐるっと囲われ本殿域の様子は窺うことが出来ない。

本殿。
 棟には5本の鰹木と外削ぎの千木が付く。

ひと昔前は田んぼが広がっていた伊倉、今はその姿はなく、舗装された道路と住宅が広がるベッドタウンに変貌したようだ。
 この陽ざしを受けていると、水の張られた田んぼの光景が妙に恋しくなる。

井具羅神社
創建 / 不明
祭神 / 健速須佐之男命、大山津見神
所在地 / 三重県四日市市伊倉2-8-5
参拝日 / 2022/06/10
窪田神社より徒歩ルート / 南へ10分   
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