「厳島神社、胡神社」広島県福山市新市町

素戔嗚神社から車で10分程北上した福山市新市町、ここに鎮座するのが備後國一ノ宮吉備津神社
 二日にわたって訪れてきた愛媛・広島一ノ宮巡りもここで終わりを迎える。

駐車場は随神門の左にも広い参拝者駐車場がありますが、敢えて御池の畔にある駐車場に車を停める。
 上は駐車場脇の境内マップ。
神社は虎睡山東麓斜面に広い社地を持ち、多くの摂末社が祀られている。
 今回は鳥居前の御池の畔に鎮座する厳島神社と胡神社を掲載します。

駐車場付近の御池と桜山城跡の解説。
「桜山城跡を含む吉備津神社境内周辺は『太平記』によると、鎌倉時代末期元弘元年(1331)後醍醐天皇が討幕を計画したが失敗、笠置山に逃れて兵を募った時に、楠正成に呼応して桜山四郎入道慈俊も挙兵、備後一之宮に拠って一時は備後半国を従えました。
 しかし、同年九月に笠置山が落城し天皇が捕らえられ、十月には千早城も落城、楠正成は戦死した。
桜山方の見方は離散し慈俊は一族郎党二三人とともに、翌二年正月に吉備津神社に放火して自刃したと伝わる。
1934年(昭和9)三月一三日に史跡一宮(桜山慈俊挙兵伝説地)として国の史跡に指定。

 桜山慈俊挙兵の地とされる桜山城跡は、吉備津神社南側の標高81㍍の低丘陵頂部全体を空堀で区切って城郭としたもので、中央に長さ約50㍍の主郭、その東・西・北三方の尾根上に一段下げて曲輪を配置、各曲輪の規模大きくはないが、かなりの比高を持ち、盛土と削平により壁面を切り立たせた賢固なもので、実戦的な色彩が強い城郭。
また、これらの曲輪群の西側は尾根を空堀で分断し、東・西ともその外側に平坦地を続け、更にもう一重空堀を巡らせ守りを固くしている。
 西側に延びる尾根続きの標高156㍍のところに鳶尾山城跡がある。

この地は、吉備津神社門前町を中核として、輪倉の谷から御池を堀とし、三方を山に囲まれ一方に開けた「城郭都市一宮」が考えられる」

御池中央には長い太鼓橋が対岸の鳥居に向かい架けられている。

御池南側から石造の太鼓橋をとその先の鳥居の眺め。

石の明神鳥居のピンク色の額には「厳島神社」、右に「美嶋紅垣祠」、左に「眉目秀麗神」の石標が立ち、正面の大きな石標に「厳島神社」とある。
 赤い社殿の厳島神社は島の様に見えますが陸続きになっています。
駐車場(写真左)から橋を渡ることなく厳島神社へ参拝できますが、やはり入口から参拝したいもの。
 初めて訪れた者から見ると最初から陸続きなんだナと思いますがどうもそうではないようです。

上は江戸時代後期の代表的漢詩人であり備後国神辺で私塾「黄葉夕陽村舎」を開いた儒学者菅茶山とその一族が収集した資料群の一つ「黄葉夕陽文庫」に「備後國一宮社」の挿絵。
 下に御池が描かれ中央に太鼓橋、その先に厳島神社の社殿が描かれています、こうして見ると今も当時と変わりはないように見えます。
しかしよく見ると社殿は陸続きではなく小島であったのが見て取れます、小島の上に架かる小さな橋(現在も残る)の右手が駐車場になるので、埋め立てられ陸続きになったようです。
 また、小橋の先に小さな社も描かれています。

もう少し調べて見ると、室町時代当時と思われる御池の様子を江戸時代の初めに描いた絵図を見付けました。
 絵図には御池と当時の吉備津神社全体が描かれており、上は御池全体を切り取ったもの。
当時の御池には4つの小島が存在していたようで、それらは太鼓橋で結ばれ、右手の小島に建つ多宝塔に繋がっている光景が描かれていました。
 塔のあった小島は現在埋め立てられ「福山市交流館あびき」の東側、塔畑荒神社が祀られているあたりかと。
厳島神社を島と見なしても御池の3つの島は全て姿を消してしまい、現在でも大きな池ですが当時は今の倍の大きさはあったようです。

厳島神社正面全景。

 赤い透塀に囲われた本殿域、その右の小さな覆屋は幸神社、左側の厳島神社の石標の付近に水神と五穀神が祀られている。

透塀は近年補修の手が入れられたのか朱が鮮やかだ。
 塀の四隅に「鳩」。
当初本物が羽を休めていると思い込んでいたが、近づいても逃げる気配がない、よく見れば鳩の飾り瓦だ、飛び立つわけがない。

備後國一ノ宮吉備津神社境外社「厳島神社
 社頭左の石標に以下が記されていた。
 美人で名高い三姉妹、特に市寸島比売命を別名弁天様とも言う 
眉目秀麗神、美嶋紅垣祠、ピンクの扁額、鮮やかな朱色と小ぢんまりとした社殿。
 美人で名高い三姉妹に相応しい。
厳島神社の創建は定かではないが、室町時代(1336年~1573年)とされる絵図に記されている事から
かなり古そうだ。
 
本殿は瓦葺の流造で棟瓦には波が描かれている。

両サイドには美人を怒らした時の・・・

社殿左。

 社標の影に水神社と左が五穀神、御池の水がらみという事でしょうか。

創建 / 不明
参拝日 /  2022/04/20
所在地 / ​広島県福山市新市町419

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御池から吉備津神社への参道方向へ。
 県道26号線を挟んですぐの道路脇に瓦葺の覆屋の胡神社が鎮座しています。
蟇股に金色に輝く鯛を持つ小さな恵比寿さんと小槌を持った大黒さまが施されています。
  由緒等掲示されていなかったので詳細は分かりません。

そして拝所前には大きな額の中でにこやかに微笑む恵比寿さんと大黒さま。
 なんだか目が△になる事ばかり起る世の中、眉間にしわを寄せていても何も変わらない。
せめて笑顔だけは忘れたくないものだ。
胡神社
創建 / 不明
祭神 / 不明
広島県福山市新市町350-2

今日帰らなければならないのに道草ばかり、かみさんは既に参道の遥か先。
 この後広島焼きも食べなければ、急いで追いつかねば。