名古屋市北区下飯田町の屋根神様

北区下飯田町「屋根神」

 昔の人はよく言ったもので「向こう三軒両隣」や「遠くの親戚よりも近くの他人」など近隣との結びつきを表す言葉があった、近頃はあまり耳にする事はなくなった気がする。

 良くも悪くも壁一枚で繋がった昔の長屋スタイルが今も残っていた。
「生活音が筒抜け」でプライバシーがないとされてしまうが、それが日常の事。
 それ故に互いの事情がよく分かり、お出かけの声掛けや消耗品の貸し借り、時に犬・猫の餌やり、夫婦喧嘩の仲裁など、困ったときには助け合う文化があった。
 

我家の近隣はそうした言葉も死語に近くなった。
 古い家は解体され細かく分けて分譲され、高い壁で家を取り囲み、あっという間に家が建つ。
施工業者や引っ越し業者が挨拶に訪れ、気が付けば知らぬ間に営みが始まっている。
 表札もなく、顔も知らないなんてことは珍しくない。
世の中変わったもので、壁をもって周囲との関りを避け、町内の子供会にも加わらない。
 来るべき災害が訪れた場合、隣の世帯人員も分からない。
希薄になったものだと実感するのが我が町の現状。

上は北区下飯田町で見かけた街並み。
 良くも悪くも壁一枚で繋がった昔の長屋の街並みが今も残っていた。
「生活音が筒抜け」でプライバシーがないとされてしまうが、それが日常の事。

 それ故に互いの事情がよく分かり、お出かけの声掛けや犬・猫の餌やり、消耗品の貸し借り、時に夫婦喧嘩の仲裁など、困ったときには助け合う文化があった。

昔の面影が残るこの街並みにはそうした文化も残っていそうだ、よく見ると軒下に小さな祠が祀られていた。
 「屋根神様」と呼ばれ、愛知県や岐阜県などこの地方独特の祭祀形態で、戦禍を免れた旧街道沿いの街並みで見かける身近な神様。
こうした神様は個人が祀り、地域で「神様当番」を決めてみんなで面倒を見る事が多く、玄関先に当番札が掲げられている光景も目にすることがある。
 壁一枚で軒を連ねる街並みはある意味運命共同体、どこかで火を出せば他人ごとではない。
そうした事もあり屋根神様の多くは秋葉神社熱田神宮津島神社が祀られることが多いようだ。

そうした屋根神様も老朽化した建物の建替や、分譲住宅の建築に伴い、運が良ければ新たな家屋にも祀られたり、地上に降ろされ引き続き地域に受け継がれ残るものもあるが、一方で廃社の道を辿り数は減少傾向だと云います。

 これも地域の結びつきが薄くなってきた表れなのかもしれない。
ここ下飯田町の屋根神様の今がどうなのかは定かではないが、屋根の朽ち方を見ると少し痛々しい。

 寄り添うように軒を連ねる街並みにあって火難や疫病から難を逃れたいのは誰しも願う事だ 
そこに熱田さんも加わえ三社を祀り、地域の禍い除けとして盤石の護りを築いたものだろう。

この屋根神様が祀られるようになったのはいつ頃かとなりますが、それは集落の形成を見て行けば概ね分かるかもしれない。
 上は明治、大正、昭和、ほぼ現在の集落が町に発展していく様子。
右上の1920年(大正)頃に大きな集落は記されていない、左下の1947年(昭和)に入り急速に住居が広がっている事から祀られたのは大正末期から昭和に入った頃だろう。
 屋根神様の多くはこの時期に祀られたものが多く、集落の発展の過程とともに祀られたもの。

こうして高い場所に祀られた社は梯子をかけて世話する事になり、住民の高齢化に伴い世話も行き届かなくなるもの。
 今も御札が納められているものなのか外観からは分からないが、天王祭の時期に訪れると今日とは違った光景が見られるのかも知れない。

梅雨は明けたはずなのに降り続く長雨、通りに人影はなく妙に景色も沈んでいる。
 そろそろかみさんの診断も済む頃だ、病院に戻る事にしよう。


北区下飯田町「屋根神」
創建 / 不明
祭神 / 迦具土神熱田大神建速須佐之男命
所在地 / ​名古屋市北区下飯田町3-18
参拝日 / 2022/7/19
公共交通機関アクセス / 地下鉄名城線平安通」駅降車徒歩5分程