宇都宮市大谷町の「大谷元観音」からエアコンの効いたバスに揺られて約25分程、最終目的地「下野國一之宮 宇都宮二荒山神社」へ。
これまでの長閑な景色から一変した見慣れた都会の光景が広がる。
ここも会場設営の為の資材スペースとして使われ、参拝や写真を撮れる雰囲気ではなかった。
それでもまだ開催当日でなくて良かったのかも知れない。
石段から神門を望む。
石段や石垣にはこの地の自然がもたらす大谷石がふんだんに使われている。
上は左側の境内社。
上
右は剣宮、祭神は素戔嗚尊をお祀りする、例祭日6月15日。
左は十二社、祭神は国常立神、国狭槌神、豊斟渟神、泥土煮神、沙土煮神、大戸之道神、大苫邊神、面足神、惶根神、伊弉諾神、伊弉冉尊、天照皇大神、天忍穂耳神、彦火瓊々杵、彦火々出見神、鵜茅葺不合神をお祀りする。
例祭日9月15日。
小さな社に16柱、超過密だ。
下
管原神社、祭神は菅原道真をお祀りする、例祭日8月4日。
管原神社左に筆塚(右)と針霊碑。
踊り場右の境内社。
上
左が松尾神社、祭神は大山咋神、中津嶋姫命、例祭日1月15日。
中央が荒神社、祭神は素戔嗚命、例祭日6月15日。
下
奥から石段側の眺め、手前は水神社、祭神は罔象女神。
切妻銅板葺で軒側に唐破風が付く。
門柱は丸柱で前後に角柱の控柱が其々2本付けられた四脚門で彫飾りなどは少ない。
社記には仁徳天皇の御代に毛野國が上下二国に分けられ、御祭神豊城入彦命の四世孫奈良別王が下毛野國の国造に任ぜられ、この時、祖神である豊城入彦命を荒尾崎(下之宮)に祀ったのが始まりという。
銅板葺の入母屋造りで大きな向拝を持っている。
手前には大きく勇猛な姿の狛犬が守護している。
境内は右側に神楽殿、左側に社務所が建ち、本殿の左右に境内社がある。
拝殿前の狛犬と拝殿。
拝殿内には「延喜式内二荒山神社」と記された大きな扁額が掛けられている。
創建時期など詳細は不明。
市神社 祭神は大市姫命、例祭日6月15日、初市祭1月11日、花市祭2月1日。
須賀神社 祭神は素戔嗚尊、例祭日6月15日、夏祭(天王祭)7月15~20日。
寄進年代を見忘れた狛犬。
阿形、吽形ともに口の開き具合に差がなく、平面的に刻まれた感の強いもの。
その愛嬌のある顔は二荒山神社で一番印象に残るもの。
拝所の額、シンプルだ。
内部を一枚撮ってPCで補正して見ると、金色の飾り金具を多用した本殿らしき姿が現れた。
拝殿から本殿方向の眺め。
二荒山神社の社殿は、かつては20年毎に建替えられていたと云われ、戦国時代以降は戦火や失火により幾たびか焼失に見舞われたとされ、現在の社殿は明治10年(1877年)に明治新政府により仮社殿として再建されたものと云う。
境内の眺め(拝殿から手水舎、神門)。
上
神門から続く廻廊。
下
境内右側に神楽殿が建つ。
神楽殿から左の眺め。
上、前田雀郎句碑、境内にはこうした句碑や歌碑が複数立てられている。
下、神馬像から市神社、須賀神社の相殿方向を眺める。
拝殿左の女体宮と十社方向。
ここからだと神明造りの本殿の姿が見渡せ、棟には9本の鰹木と外削ぎの千木が見て取れた。
本殿左の女体宮。
内削ぎ千木で鰹木は5本、祭神は三穂津姫命、例祭日10月22日。
十社。
祭神は素戔嗚尊、天兒屋命、味耜高彦根命、武甕槌命、豊城入彦命、大山咋命、事代主命、下照姫命、譽田別尊、日本武尊の県内式内社の神10柱を祀る。
初辰稲荷神社(左)と明神の井(右)。
明神の井。
この井戸にまつわる伝承は数多く残され、明治天皇が明治四十二年十一月那須野ヶ原大演習の折、当地に行幸があり、この井水を以て湯茶を献ったと伝えられている。
この井戸水は御神水で霊水であり、御手水や神棚に供える御水に、また書道等の技芸の水に使用すると上達すると言う信仰があり、持ち帰えると御神徳を得られる』
天井一杯に奉納提灯が吊るされている。
祭神は倉稲魂命、例祭 陰暦2月初牛日、月次祭毎月初牛日。
ここ初辰稲荷神社で参拝は最後と思い込み、ここから左方向に進まなかった、これが失敗。
今、境内マップを眺めて見ると、この左方向の少し離れた所に東照宮が祀られていたようです。
下に宇都宮二荒山神社の境内マップを載せておこう。
全国の東照宮を巡りたい自分にとってここでの取りこぼしは痛い、
長い?人生、再び訪れる事も有ろう、東照宮はその時のお楽しみ残しておこう。
下野國一之宮 宇都宮 二荒山神社
創建 / 不明
祭神 / 豊城入彦命