6/3枇杷島4の「神明社」周辺を徘徊しましたが、日を改めて7/27再度枇杷島を訪れた。
名古屋市西区枇杷島「男女守稲荷神社、白要・白王両龍王」
枇杷島4の「神明社」から徒歩で10分もあれば辿り着ける距離に鎮座します。
当神社の駐車場は左右に空き地はあるものの、参拝者駐車場として利用していいものか定かではなかった。
住宅街の道路北側に鳥居を構え、南向きにた社頭がある。
南北に長い社地で間口は広くはないが奥には住宅街にあって貴重な緑の杜を持つ。
男女守稲荷神社社頭から境内全景。
石の明神鳥居と右側に「男女(なんにょ)守稲荷神社」の社標(1935年健之)が立ち、右側の駐車場側にも白い明神鳥居が建てられている。
まずは「男女守稲荷神社」へ。
鳥居をくぐり参道を進むと左手に手水鉢、赤い鳥居の先には狛狐、正面の拝所から本殿の姿が見える。
右の献灯台の寄進は1932年(昭和7)に寄進されたものだった?ように思う。
境内で見られる寄進物の多くは昭和に入って寄進されたものが多かった。
手水鉢。
寄進年度は不明。
朱も鮮やかな鳥居の扁額は「男女守稲荷神社」
この神社の創建時期や社名の由来については定かではない。
男女の縁を守る稲荷さん? そんな安直な由来から来ているとは思えない。
なぜそう感じるかと云うと、境内に縁結び的な雰囲気はあまりない。
男女守稲荷神社の右後方に同神社の奥宮とされる白要・白王両龍王が祀られている。
農耕神の稲荷神と奥宮に祀られる雨を掌る龍神様、二神でひとつと捉えると男女の関係とも似ている、それにあやかって付いた社名か?
拝所前に稲荷神の使い狛狐。
肉付きの良い姿は狐と云うより犬に近いフォルムかもしれない。
拝所から神明造の本殿方向の眺め。
本殿前にも一対の狛狐が守護している。
本殿域は朱に塗られた玉垣で囲われ、白要・白王両龍王の鳥居から白の玉垣に変る。
本殿域には大きな榎が聳え立っている。
本殿域の榎の巨木は大きく枝を張り、男女守稲荷神社の本殿域全体を濃い緑で包んでいる。
住宅街のシンボルツリーとも云える立派な榎は保存樹に指定されている。
こうした巨木には昔から何かが宿ると云われる、それが後方の龍神なのか?
本殿域の狛狐。
拝所前の狛狐に比べると尾は長くややスリムで狐らしいフォルムのもの。
6本の鰹木と内削ぎの千木、セオリーから見れば女神が祀られている事になる。
後方に見えているのが奥宮とされる白要・白王両龍王の本殿。
赤い「男女守稲荷神社」と奥宮の白い「白要・白王両龍王」全景。
白要・白王両龍王の鳥居扁額。
拝所から本殿域全景。
白要・白王両龍王。
そもそも男女守稲荷神社の社地は現在枇杷島3に鎮座する八幡社が鎮座していた場所と云う。
八幡社の創建は1529年とされ、現在の枇杷島3に遷座したのが1612年(慶長17年)とされます。白要・白王両龍王が天文年間(1532~1555年)に琵琶里の守護神としてが祀られたとされる事から、八幡社にもともと祀られていた事になります。
八幡社遷座時、そこに鎮まっていた二頭龍王だけは神罰を恐れ動かせなかったのかもしれない。
やがて時と共に人々の記憶から存在が忘れ去られ、再び目覚めたのが明治の開墾という事なんだろう。
男女守稲荷神社の創建時期は不明、ひょっとすると八幡社に祀られていたものか、1612年(慶長17年)以降新たに祀られたものか確かな記述は見当たらなかった。
白要・白王両龍王を奥宮とする事から見て、男女守稲荷神社がその後に創建と云うのもしっくりこない。
白要・白王両龍王の右に昭和13年に建てられた成耕記念碑がある。
今は二頭龍王も鎮まり、「御神酒」を供えてくれる参拝者の願いを叶えてくれているのだろう。
ここは賽銭よりもなによりお酒が一番のようだ。
男女守稲荷神社
創建 / 不明
祭神 / 不明
白要・白王両龍王