狩宿 「白山神社」

尾張旭市狩宿町。
 町名から受ける由来はこの辺り「昔は御狩場だったのか」と誰しも思うだろう。
あながち間違ってはいないようでした。
 尾張藩祖の徳川義直が狩場に向かう際の宿があったとされ、それが由来とも。

また、室町時代に拳母(現在の豊田市)の若林から狩宿姓の武者が移り住みそれが地名となったとか。
 町名の由来は諸説あるようですが定かではないようです。

山ノ神社から東へ、三郷橋から瀬戸川を越え、10分も歩けば南側の住宅街にこんもりと茂った白山神社の杜が見えるはずです。
 社頭は杜の南側になり、石の神明鳥居、右に社標が建てられています。

社頭から境内の全景。
 拝殿はコンクリート造りの新しいもののようです。

社頭の右側に御嶽神社や小さな社、常夜灯と石標が立っている。

狩宿「白山神社」の創建は定かではないようですが、当神社には市指定文化財の「陶製狛犬」があるといい、その銘文に1751年(寛延4)に地域村民から奉納された記録が残るようです。

上がその狩宿白山神社の陶製狛犬(尾張旭市指定文化財第13号)、尾張旭市HPより画像をお借りしました。
 約300年を経て今も艶やかに輝く陶製狛犬は、阿形の高さ32.2㌢幅16.8㌢、吽形の高さ32.9㌢幅15.2㌢で少し耳垂れ、阿形・吽形共に二本の角を持つ個性的な表情の狛犬です。
 
背中には村民が奉納したとされる銘文が書かれています。
 この狛犬、噂では一旦は神社から持ち出され一時行方知れずだったという、経緯は分からないがその後神社に戻され大切に保管されている。

境内左の手水鉢、舟の形を意識して彫られたものだろうか。
 残念ながら清水は満たされていなかった。

拝殿前景。
 ニノ鳥居の先に常夜灯、その先に小型の狛犬が拝殿を守護する。

狩宿白山神社の創建年代は定かではないが、陶製狛犬が1751年(寛延4)の奉納である事から更に創建は遡っていく。
 社伝では1574年(天正2)、浅井紋助源為頼が社殿を造営、その後の1673年(寛文13)に再建されたと伝わるのだとか。

コンクリート造りの白い拝殿と狛犬

 拝殿の棟には6本の鰹木と内削ぎの千木が施されている。
祭神は菊理媛命だろうか。

良く見る姿の狛犬
 奉納年度は見忘れました。

拝殿額と拝殿内部から幣殿方向の眺め。

社務所付近から社殿全景。
 幣殿から先の本殿までは渡廊で結ばれている様に見えるが、本殿域の様子は窺がいづらい。

本殿域。
 本殿は神明造で拝殿同様に6本の鰹木と内削ぎの千木が施されている。
こうして見ると本殿域には他にも社があるようだ。

拝殿から社頭の眺め。
 長い夏休みも間もなく終わり、子供達は宿題に追われているのだろう、絶好の遊び場となりそうな境内に子供達の姿はない。


 狩宿郷庫(尾張旭市有形民俗文化財)
白山神社社頭前に建つ土蔵。
 江戸時代末期から明治初期の建造物とされ、狩宿郷の共同倉庫として共有道具や祭礼道具の保管庫として使用された。
この地方ではこうした郷庫が作られていたそうですが、現存するものは少ないそうで、この郷庫も平成元年に失火で一部が焼け落ち修復されたもの。
 建物は瓦葺の切妻平入の土蔵造りで内部は中二階もあるという。

狩宿 「白山神社
創建 / (伝)1574年(天正2)
祭神 / 菊理媛命
境内社 / 御嶽神社、不明社

所在地 /  尾張旭市狩宿町3-143
公共交通機関アクセス / 名鉄瀬戸線「三郷」駅から​南東に徒歩20分強
参拝日 / 2022/07/20
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