名古屋市西区枇杷島2「中島黒體龍王大神社」
先に記載した「子安地蔵尊」から北の庄内川左岸堤防上に鎮座する神社。
上
これまで枇杷島周辺に鎮座し参拝した寺社を地図に落としたもの。
左が昭和7年、右がほぼ現在のもので、中島黒體龍王大神社は赤のマーカー。
この神社は中島と呼ばれていた庄内川の中州に鎮座していたと云う。
現在の地図では既に中洲の面影はないが、左の昭和初期の地図では中洲が描かれている。
枇杷島橋は大正初期、既に現在の場所に架け替えられ、以前の橋は中島黒體龍王大神社の少し上流側に架けられていたが既に姿は見られない。
流程が長く幾つもの支流が流れ込む庄内川、川幅は広いが中洲がある事で川幅は狭まり、尚且つ上下流で大きく流れを変えるため水害が多く、古くから川と鬩ぎあって来たところ。
水害の一つの要因となる中洲は昭和25年から33年にかけて掘削・撤去され、地図上から姿を消す事になります。
下は尾張名所図会の挿絵に描かれた中島(手前)の様子。
庄内川を挟み現在の清州と対岸の西区を繋ぐ美濃路は橋がなく渡しで行き来していた。
そこに橋を架ける上で中島は重要な役割を果たした。
当時、既に中島には集落が出来ていたが、美濃路を結ぶ要衝ながら渡しを使い行き来していた、中島があった事で二つの橋を架け対岸に渡る事が出来るようになった。
1622年(元和8)、中島を中継とし挿絵にある大小二つの橋が架けられ、容易に庄内川を越えられるようになり、それにより中島には茶屋などが建てられ賑わいを見せた。
尾張名所図会には「国中第一の大橋で、東西に二橋を架け、大橋は長さ七十二間(約130㍍)、小橋二十七間(約48㍍)、杭・桁・梁・高欄其他に至るまでみな桧材を用い、結構の善美で見るものを驚せ、両橋の間に中島があり南北六町(約600㍍)ばかり川中へ墾出す」とある。
多少盛り気味とも思える内容ですが、当時の技術では庄内川の川幅を一つの橋で架ける事は難しく、中島が無ければどうだったか。
中島黒体龍王神社は中島守護をもたらす龍神が鎮座する神社。
由緒によれば面白い話が伝わっている。
「当社は中島黒體龍王大神社と称し、祭神は黒體龍王大神を祀る。
位置は愛知県西春日井郡西枇杷島町大字下小田井字中島。
御光明帝(1633~54)の慶安年間(1648~1652)に当時枇杷の洲と呼ばれていた此の地で立穀豊穂の祈願が行われていた頃の事。
夢枕に御神体が現われ「龍神となってこの地を守る」とお告げがあり、村人はそれを喜びこの神社を建て370年以上の歴史があると云う。
一方で当地には御嶽黒沢口を開いた覚明行者と龍にまつわる話もあるようです。
寛政元年(1789)この地を訪れた覚明行者(1718~1786)は大雨で橋が流され、川の畔で思案に暮れていたところ、金色の大蛇が現れ覚明行者を対岸に運んだと云う。
巡行を終えた覚明は、帰途に里人と共に神社を改修した、今を去る事237年前である。
そんな龍に纏わる話があるようで、大きな川にはこうした龍や蛇はそこかしこに生息し、庄内川堤には他に何体も龍が鎮まっています。
子安地蔵尊堂から改修された堤の上に鎮座する中島黒體龍王大神社。
神社は1953年(昭和28)に中島から庄内川左岸堤防上に遷座しますが、2019年(令和元年)堤防補修・改修工事に伴い、少し下流の現在地に再移転しました。
黒で塗られた綺麗な外観や境内はそうした事もある。
左は庄内川、右が枇杷島の街並み。
草木が茂っていた堤防は改修・舗装され名鉄名古屋本線の橋梁まで伸び、車の乗り入れができない事もあり、ランニングコースとして利用する姿も見える。
ここから下流の枇杷島橋は橋梁嵩上げ、4車線化、橋桁削減に向け、新たな橋の建設工事が進められています。
今後も新幹線の橋梁架け替え、やがては名鉄の橋梁架け替えなどこの地域は変貌し続けるようです。
昭和19年、大出水で中島に鎮座した神殿の一部を流出、社地を南100㍍の地に遷座。
昭和25年、神殿を造営。
昭和28年、名古屋市西区東枇杷島町の庄内川左岸堤防に遷座。
令和元年現在地に遷座。
国家の康安、家内息災、商業繁盛の加護が得られる。
「寛永3年(1626)尾張藩が枇杷島橋下流袂に設置した水斗杭で、管理は枇杷島橋々守当町川口惣七家が務めた」
尾張藩により寛政10年(1797)に設置された水見杭は堤防法面に2本立てられ、川底から堤防天端までの水位を測り水位の上昇に応じ枇杷島村村民が尾張藩に報告していたという。
最悪の水位となった場合、橋の保護、城下への浸水被害を避けるため、下小田井側の堤防を切り被害の最小化を図ったようです。
手水鉢に清水を注ぐのは立派な髭を持った青い龍。
元旦祭 1月1日 午前零時
節分祭 2月3日 午前10時
春季大祭 4月24日 午前10時
秋季大祭 10月24日 午前10時
拝殿額「黒龍神社」
最初にこの🐍を持ち上げ重さを感じ取り、座布団の上に戻す。
願いをこめながら🐍を良く撫で持ち上げた時、軽く感じれば願いが叶うもの。
石とはいえこの手の重軽石は…触れない
この重軽石の右側に扉があり、拝殿内に入る事が出来ます。
左右にも社があり、右の社の上には金色の龍、左の社には青い龍の姿、龍の巣窟だ。
其々の社に木札が掛けられているが榊の陰となり読み取れなかった。
幕に描かれた神紋も初めて見るもの、神職の方がお見えであれば伺いたかった。
格子天井の中央に縦6面、横4面を使って躍動感溢れた二頭の龍が描かれている。
顔料の種類は不明ですが、令和の龍に相応しい描き方で、特に鱗の描写が素晴らしい。
これから時を重ね趣が増していく事だろう。