名古屋市西区 『宗像神社』

名古屋市西区上名古屋2「宗像神社」
 西隣に先回掲載した和徳稲荷社と社地を共にする。

辨天通り沿いの歩道沿いに鳥居を設け、参道を抜けると社頭が現れる。
 車道に面し、左が和徳稲荷社の鳥居、右が「宗像神社」の神明鳥居。

伽藍は、正面が拝殿で右に社務所が連なり、鳥居右奥に手水舎と神楽殿が主な伽藍。
 社務所右に境内社へ続く参道が奥に延びる。

鳥居左に立つ遷座由来、下は由来から抜粋。
 「宗像神社創建は詳らかではない。
応永5年(1398)3月、改造の記録が残る。
 遡る事555年、深島弁財天の下に御深井社、滝島社があり、那古野荘三弁天と称され四民から崇敬された。
慶長年間(1596~1615)、名古屋城造営に伴いこの三社は城郭の守護神とされ、藩主からの崇敬は篤く、修理造営の支出は代々藩から支出され止むことはなかった。
毎年10月9日の例祭には、徳川家より使者が派遣され幣帛が献上された。
明治26(1893)年1月、御深井社は当地に遷り村社に列格。

第二次大戦終結の年、昭和20(1945)年5月14日、空襲により伽藍は悉く烏有と帰す、幸い御神体末社金刀比羅社に合祀されていたため難を逃れた。
昭和21年11月9日宗教法人宗像神社成立。
本殿、拝殿、社務所が相次いで再建され、昭和28(1953)年10月9日御神体は本殿に戻された。
本社祭神は田心姫命湍津姫命市杵島姫命宗像三女神
鎮座地は名古屋市西区上名古屋町西内江四十二番地。
昭和28年10月9日」

この遷座由来が現地で確認できたものとしては一番詳細に書かれている。

上は後日、和徳稲荷社を調べている際に出会った宗像神社の記述。
 名古屋市史 社寺編から宗像神社の記述を抜き取ったもの。
記述はコマ番号181から始まり、一部抜粋したものを下にあげて見た。

「宗像神社
 西春日井郡金城村大字上名古屋字西内江に在り。
もと辨才天、藩祖義直公、宗像神社を勧請、宗形社とも号した。
 俗に辨天又は御深井の辨天と称す。
もとは下御深井の池の中島にあり。
 勧請年月不詳、尾張史には本社深島社、武島社の三社を筑前の宗像三社と疑いの余地はないが、それ以前の詳細は不明。
頻繁に修造、遷宮の記録があり、従来は尾張徳川家の私社。
 明治7年(1874)村社に列し、以来開門され一般の参拝が許される。
明治22年現在地に正遷宮
祭神は中央 田心姫命、左 倉稲魂命、右 徳川義直
境内社は金刀比羅社、須佐之男社、祭神は須佐之男尊を祀り、村の辻天王の二社。

金刀比羅社殿はもと境内神社和徳稲荷社の本殿にして、明治初年御深井の種々の小社を合祀。
和徳稲荷の祭神は倉稲魂命、もとは屋船句句能智命、屋船豊宇気姫命

ここで分からなかった和徳稲荷の祭神の記述が現れ、先に掲載した和徳稲荷の祭神を不明としたが追記した、相変わらず創建時期については不明のままです。

鳥居をくぐった先の常夜灯。
 竿には安政7(1860)とある。
遷座由来によれば、明治26(1893)年に当地に遷座とある。
 この常夜灯が移設されたものでなければ、市史にある「和徳稲荷社の本殿…」とあるように稲荷社もしくは金刀比羅社のものが流用されているのかナ。
社標は昭和28年(1953)で宗像神社建設委員会から寄進を受けたもの。
 笠の先端が欠けているのは空襲の影響か?

手水舎、手水鉢。
 切妻瓦葺の良く見かける姿のもので、手水鉢に龍はいない。
変わり?といっては変だが、鉢の上に吊るされた鳥の目的はなんだろうね。

拝殿全景。
 左に保存樹の楠木が聳えている。

拝殿前には白い狛犬

大正4年(1915)に寄進された狛犬、1世紀前のものとは思えない程綺麗な色をしている。
 なんだろう、妙に鼻が強調された肉付きの良い姿をしている。

楠木を見上げる。
 一旦は幹の先端で上を止めたようだが、そこから新しい枝が伸び、空に向かって成長する。
幹は樹高以上に逞しく成長し続ける。

 我家の桂も同様、自然の力を抑え込もうとしてもおよびもしない。

拝殿向拝の破風飾りに三つ葵の紋が輝いている。
 拝殿内には大きな宗像神社の額、奥の社の前には金色に輝く角付きで個性的な表情をした二対の狛犬の姿がある。
宝物の義直揮毫の社号額、狛犬とはこれらの事?
 
 祭神は三女神、市寸島比売命、多紀埋毘売命、多岐都比売命徳川義直

社務所右から奥の境内社へ。
 ここにも小さいが個性的な狛犬の姿がある。

境内社には金毘羅社と須佐之男社があると云う、更にこの社の右にも二社祀られている。
 正面の神明造の社に社名札はなく何れか特定できない。

この位置から本殿幣殿の眺め。
 本殿は外削ぎの乗せ千木に5本の鰹木、俗にいう男神となってしまうが…

拝殿から幣殿に続く渡廊の軒下にも引退した狛犬が安置されている。
 猛々しい表情は犬ではないのか?
年代は不明ですが表舞台を若手に任せ、隠居の身となりここに安住の地を与えられたようだ。

 どなたか忘れたが、宣うだけ宣い道筋も付けれなかった「一億総活躍社会」から見れば隠居するにはもったいないキャリアがありそうだ。

不明社とブロンズ製の狛犬

小型ながらなんという威厳に満ちた姿だろう。
 石では表せない細かな表情に滑らかな鬣のウエーブ、一目惚れだ。

失礼ながらバックからも撮らせてもらいます。
 吽形の耳はこちら動きを知ろうと聞き耳を立てているようだ。
台座には文久元年(1861)とある。

不明社の右に祀られた二社。

 社の間の奉納幟は「多聞龍神」とあるが、二社ともに社名札はなく、周辺の寄進物からもどちらが龍神なのか分からない。
 社名札が…欲しい

宗像神社東から社殿の眺め、社殿の向こうが和徳稲荷社。

 手前の石碑は顕彰碑と玉垣建造寄進者の名が刻まれていた。

宗像神社、様々な表情を持つ狛犬が印象に残る神社。

宗像神社
創建 / 不明
祭神 / 市寸島比売命、多紀埋毘売命、多岐都比売命徳川義直
境内社 / 金毘羅社、須佐之男社、多聞龍神、和徳稲荷社
所在地 / ​名古屋市西区上名古屋2-7-1
公共交通機関アクセス / 地下鉄鶴舞線浄心」駅降車、​北東に​徒歩5分程
参拝日 / 2022/08/26
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