岐阜県下呂市森「​弘法山山王坊、愛宕神社、高椅神社」

大江戸温泉下呂新館で快適な一夜を明かす。
 既に朝風呂、朝食を済ませチェックアウトを待つばかり。
部屋から望む縄文橋もこれで見納めとなる。
 歩いてここまでやってきたものの、帰りは下りだがどうするか?
昨日スルーした愛宕神社や山王坊をお参りしながら腹ごなしに歩いて下りる事にした。

高野山真言宗 弘法山(飛騨信貴山) 山王坊
 以前記載した内容と重複しますが記載しておきたいと思います。
「石標に「東海圏新西国 第二番札所」とある。

 昭和43年8月、集中豪雨に伴う土石流に巻き込まれ、41号線を走行中の観光バス2台が飛騨川の濁流に転落、多くの方がなくなった「飛騨川バス転落事故」。
 事故現場の国道を走行していると「天心白菊の塔」が立ち、事故の事実を伝えてきた。
その塔も今年、上流の「道の駅美濃白川」に移転されたようだ。
 この事故を契機に国の国道の整備・点検・管理体制の見直しにつながった。
それでもこの国道や鉄道は常に災害のリスクが伴う、安全で快適が当たり前のように錯覚してしまう昨今、こうした碑は風化させたり撤去してはいけない。
 この観音霊場は犠牲者の慰霊と供養を弔う目的で事故後設けられた33の霊場で山王坊はその一つ」

入口から山王坊へ続く参道。
 参道沿いには昨日見た祠が先に続く。
この地方では大師信仰の中心的存在なのか四国八十八ヶ所の祠がずらり勢揃い。

山王坊の狛虎?
 これは犬や獅子ではなく紛れもなく虎でいいだろう。

山号信貴山から受ける印象は、奈良県生駒市に鎮座する信貴山朝護孫子寺が思い浮かぶ。
 虎の寺として知られ、阪神ファンが必勝祈願に訪れるという、ここにも立派な狛虎が寄進されていた。
虎だけを捉えると、ここ高野山真言宗の山王坊と信貴山真言宗の護孫子寺の繋がりがありそうだが定かではない。

狛虎から石段を上ると左側に鐘楼がある。
 架けられた額には「飛騨信貴山 昭和廿九年」と刻まれてていた。 
七福神 七病難封じ祈願の寺として病気封じのほうろく灸を行っているようだ。
 斐太後風土記に目を通してみたが寺の沿革は見当たらなかった。

境内右に円形に配置された七福神や白寿観世音菩薩等の像が境内に安置されていました。
 ここを更に進むと身代り大師を経て、再び寺標があった入口に戻ります。

山王坊本堂全景。
 伽藍は本堂と右の庫裏で鬱蒼とした森に埋もれる様に鎮座している。
沿革についてWikiと山王坊HPで食い違いが見られ困惑している。
 
Wiki
「1937年(昭和12)、下呂水明館創業者の滝多賀男が建立を志し、中呂の大前家旧家を下呂に移し1939年(昭和14)に本堂、庫裡を建立。
 寺格は美濃市上有知村向山にあった1685年(貞享2)建立の寺から移された」
とあった。

山王坊HP
「1200年前、弘法大師空海によって開かれた密教であり、現世利益を大切にして人々の幸福を神仏に祈る宗旨であります。
 当飛騨信貴山山王坊の本山は、和歌山県高野山金剛峯寺であり、御本尊は毘沙門天王様です。
当寺は鎌倉時代に建立されました。

 そして1992年(平成4)に、それまで雨漏りのしていた本堂を、多くの方々のご助力によって修理することが出来、その年の11月15日に落慶法要を行い、現在の当寺の姿となりました。

毘沙門天王様は、福徳・財宝を司り、夜叉・羅刹の統領として、災いをなす暗黒界を治める仏天様ですので、殊に古来より商売繁盛・病魔降伏の守護神として人々を守り、当寺は、中部地方毘沙門天王信仰の中心となっております。」

ここでは山王坊HPの内容を尊重させてもらいます。

 毘沙門天聖徳太子物部守屋討伐のため祈願した時、虎を供にした毘沙門天が現れ、物部守屋を討伐したとされる。
謙信が毘沙門天を崇め、自らを化身と称したのもそうしたことからだろう。

堂内外陣の格子天井には梵字と三鈷杵が書かれている。
 内陣の中央に本尊の毘沙門天王像が安置されています。
毘沙門天の鎧・兜はあらゆる魔を砕き、災いから守って頂けることを象徴するとされる。
 右手の如意宝珠の棒は心ある者に金銀財宝を授け、家内安全・商売繁盛・病魔退散の守護を象徴するとされます。
左手の宝塔は福を満し、信じる者の願いを叶える福徳の象徴という。

鐘楼脇に掲げてあった「ほうろく灸」
 弘法大師秘伝とされるこのお灸、効能はストレスや自律神経失調、ホルモンバランス調整などに効果があり、身体健康・病気平癒・無病息災の願いを込め祈願して頂けると云い、過去にテレビでも紹介された程知られるようです。
また、この寺は檀家を持たない祈祷寺で、人生を全うする過程で誰しも必ず直面する色々な悩みがある、これらを祈祷により和らげてくれるのがこのお寺のようです。
 悩みを持ち訪れる者を受け入れる姿は、開け放たれた無人の本堂からも窺えるような気がする。
檀家を持ち葬儀や供養を行う寺と比較すると、境内の様子は少し違うかも知れない。

山王坊
宗派 / 高野山真言宗
開基 / 不明
本尊 / 毘沙門天
毎月縁日 / 3日毘沙門天、7日七福神、18日聖観世音、21日弘法大師、28日不動明王
年中行事 / 正月三ヶ日 初詣 初護摩祈祷、2月3日 厄除大祈願星祭、北斗護摩祈祷修法、7月第1日曜 秘仏・毘沙門尊天御開帳会、11月第2日曜  毘沙門天王入仏記念祭、七福神
所在地 / ​岐阜県下呂市森2318-3
飛騨信貴山HP

狛虎から先に進んだ本殿裏に鎮座する楠公社と右に忠魂碑。
 鎌倉時代から南北朝時代の武将楠木正成を祀る。
創建など詳細は不明。

 社後方の石標は回天と刻まれている。
回天とは先の大戦で敗戦が濃厚となった時代、人が魚雷と一体となり敵目がけ突撃していった人間魚雷の事。
 自らの命と引き換えに父や母、親族を護るため突撃していった回天特別攻撃隊を伝えるもの。
楠公社と共にあるのも意味あっての事だろう。

地勢的な危うさ、きな臭い香りが漂う昨今にあって、平和に慣れてしまった感は否めない、二度と同じことは繰り返してはならないが、家族を護るための弾の込め方くらいは知っておくべき時代かも。

楠公社から左に進んだ谷への降り口付近にある櫛塚。
 詳細は不明。

櫛塚の後方から下りの山路が付けられていて、愛宕神社を経て下呂温泉合掌村方向に繋がっています。
 怪しい道ですが大丈夫。

平和の塔。
 下呂市は2004年(平成16)非核平和都市宣言を発した町。
回天碑やこの塔が宣言と関連するものなのか定かではないが、下呂温泉街から東を眺めると山中に手を合わせる様に聳え立つ白い塔は良く目立つ。

道なりに下って行くと目の前に現れるのが愛宕神社
 周囲は杉木立に囲まれ、山肌を切り開いて覆屋が建てられている。
昨日道路際から見た強烈な上りの参道はここに続いていた。

覆屋には7体の観音像と山神が祀られている。
 あたご夢くじ、おみくじは三本の授かり棒に結ぶことでなんでも願いが叶うという。
Gマップで「山の神」の​マーカー​がありますが、恐らくここを示したいのだと思います。
 山神はマップ上の「愛宕神社」にあります。

みくじは引かなかったが、参拝をさせて頂き愛宕社から下っていきます。
 途中から愛宕社を見上げる。
道は格段に良くなり手摺も用意されていますが転けるとまずい下り坂。

下を眺めれば愛宕社の神明鳥居と眼下に下呂温泉合掌村が間近に見える。
 車道まであと少し。

やっと車道まで下りて来た。
 車道に掲げられていた愛宕様の案内板。

愛宕神社
創建 / 不明
祭神 / 不明
合祀 / 山の神
所在地 / ​岐阜県下呂市森

ここまで来れば後の下りは楽なものだ。

飛騨高椅神社
 道路沿いから眺めただけですが、1974年(昭和49)に建立された神社のようです。

飛騨高椅神社
創建 / 1974年(昭和49)
祭神 / 盤鹿六雁之命、櫛八玉之神、山陰中納言藤原政朝
所在地 / 岐阜県下呂市森(​下呂温泉合掌村内​)

さてこれで帰るばっかりだが、その前にクーポンで酒を買っていこう。
 昨日通り過ぎた湯の街通り沿いの柏屋酒店まで戻って買い出しだ。

柏屋酒店
 テレビの「なんということでしょう」のフレーズで知られた番組の舞台となった店。
酒の種類も豊富で何回か利用させてもらった事がある。
所在地 / 岐阜県下呂市湯之島745-1

毎度〃出かければおやじの空のリュックは酒と特産品でずっしり重くなる。


 酒も纏めないとなぁ…当たりと外れが分からなくなる。
今回の二本はどちらも地元で手に入るもの、どぶは何度か飲んだことがあり外さないが、左の久寿玉原酒超辛口は初めてだったが美味しく飲める当たりのお酒だった。
 さて買う物は買った、後はビールを飲みながら電車に揺られて帰るとするか。

訪問日 / 2022/06/29
大江戸温泉下呂新館⇒下呂駅 / ​徒歩ルート
関連記事 / 

owari-nagoya55.hatenablog.com