定徳寺(名古屋市中村区日比津町1)

諏訪神社から東へ徒歩で10分程、日比津公園の東に鎮座する「長秋山定徳寺」へ。
 所在地は中村区日比津町1になります。

この地にはかつて栗山城が築城されていたとされる場所で、今回「長秋山定徳寺」を訪れ、城の痕跡も探して見たがそれらしい遺構は皆無だった。
 
 定徳寺境内には天満宮、妙龍大善神、稲荷社など鎮座し、今回は定徳寺と天満宮を取り上げ、二回に分けて掲載。

定徳寺薬井門前に写真の名古屋市教育委員会の解説板がある。
内容は以下。
 「長秋山(ちょうしゅうざん)と号し、日蓮宗
延文5年(1360年)、僧日悚の創建。
 明徳年間(1390~94)の頃、当寺第二世日就により諸堂が整えられた。
当寺第25世日潤は道徳才学兼備、和歌、茶道をよくし、その高徳は四方にきこえたと伝えられ、天保8年(1837年)に身延山久遠寺の第60世貫主となった。」

 尾張名所図会の定徳寺に目を通すと内容は符合、境内の日潤碑、結天神の記述は解説では省略されているようだ。
伽藍の挿絵が見たかったが残念ながら描かれていなかった。

薬井門の左は駐車場のようだ、右側に「傅教大師御自作 日蓮上人御開眼 三十番神鎮座」の石柱が立つ。

薬井門は緩やかな曲線の壁と一体となっている。
 参道の先に見えているのは番神堂。
伽藍は参道右側に本堂、庫裏、寺務所が連なっています。

薬井門に架けられている山号額「長秋山」

薬井門から境内の眺め。
 参道左に鐘楼、その奥の番神堂左に地蔵堂天満宮の覆屋があります。

正面の番神堂と手前の庫裏と本堂。
 庭は入念に手入れされ、当日も庭師の方の手が入っていた。
定徳寺は神仏混淆の寺、正面の番神堂には複数の神像が祀られ、奥に安置された厨子が50年に一度開帳されるという。
 因みに次回の御開帳は2047年、かみさんはともかく、自分が訪れる確率はかなり低いだろう。

鐘楼。
 入母屋瓦葺で見た目は普通だが柱と梁に免震装置が施されていた。

梵鐘。
 かなり大きな物でさぞかし好い音色だろう。
一回りしたいところですが、当日それが出来る状況ではなかった。

参道右側の本堂。
 架けられた額には…達筆すぎて読めないのがまた悲しい。
何でもスマホの時代、QRの様に翳して読み取れる時代は訪れないのかね。

番神堂。
 傅教大師御自作という天照大神像などが安置されている。

番神堂を守護する狛犬大正2年(1913)に寄進されたもの。

 架けられた額…達筆すぎて読めないのがまたゝ悲しい。

番神堂左の覆屋と地蔵堂
 右の天満宮の前には赤い前掛けを付けられた撫で牛が安置されている。

昭和4年(1929)に建てられた天満宮縁起。
 「当寺祀る天満宮は宗祖日蓮上人の開眼。
元来、尊像は城西児玉町観音寺に祭祀されていた、安政3年(1857)、当山27世住職の霊夢から当境内に遷座し勧請。
以来多くの人々から崇敬されている。昭和4年春」
 一部読み取りが出来ず一部抜粋。

城西(西区名西2)からこちらに遷座したようで、尾張名所図会(1838)の「境内に結天神あり」とはこの天満宮なのだろう。

撫で牛…だろう。
 往古から多くの願いを聞き入れて来たであろう風貌。

覆屋向拝下に掛けられた額には流れるような美しい筆致で「天満宮」と書き上げられている。

覆屋内の社。
 社の全体像は分からないが向拝などに梅紋が入れられている。

先程の石像は道真と所縁の深い撫で牛で間違いないようだ。
 それにしてもこの社、道真一人を祀るには扉が多い様な。

天満宮の右隣りの地蔵堂
 それぞれに銘板が架けられていたが調整してみるも文字は読み取れなかった。
二体の像は口元に笑みを浮かべた表情をしている。制作年代は不明。

天満宮の右側から番神堂の奥に続く参道が伸びています、その先には朱の明神鳥居が立ち、その前を一対の狛狐が守護しています。
 また、鳥居左には脇参道があり南側の道路と繋がっています。

定徳寺南側から番神堂全景の眺め、境内の朱の鳥居は目立つ存在かもしれない。

 ここからすぐ南の交差点角には、以前、日比津の「秋葉社」で見かけた「南無妙法蓮華経」と刻まれた髭題目が立てられています。

定徳寺
宗派 / 日蓮宗
山号 / 長秋山
創建 / 延文5年(1360年)
開山 / 明徳年間(1390~94)
本尊 / 釈迦如来
境内社 / 天満宮
所在地 / 名古屋市中村区日比津町1-16-8
参拝日 / 2022/09/02
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諏訪神社から東へ / ​徒歩10分程